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2014年4月19日

ザ・ハリケーン(1999)

Universal

- 寛容は難しい -

殺人罪で投獄されたボクサー。彼の自伝を読んだ青年は、カナダ人グループとともに再審運動に関わる・・・・

・・・BS-TBSで鑑賞。当時大きく報道されたことは記憶しているが、人種差別に関しては諦めモードにならざるをえない深さを感じていたので、「ふーん、珍しく人道的な連中もいるんだな、アメリカ人でないところがミソかな」と、軽く思った記憶しかない。

ところが、この作品は描き方が良かったのか、訴えかける力が凄かったのか、事の深刻さ問題の深さに関して認識を改めさせる力を感じた。この作品はゴールデングローブ賞の主演者賞は取っているらしいけど、アカデミー賞にも相応しいと思った。

主人公のキャラクター設定が良かった。敵愾心にあふれ、暴力で立ち向かおうとしか考えていない人間が、宗教的な寛容の精神に目覚める過程が丁寧に描かれていた。丁寧に描いても、なかなか理解はされないとは思うものの、良い方向性だったとは思う。

娯楽の面の魅力は少し不足していたかも知れない。途中でボクシングのシーンが何度かあったが、思い切ってラストに持ってくるのも考えた方がいいのでは?ラスト近くまでは、いっさいボクサー時代の映像は見せず、ただの受刑者として描いても良かったかも。少々細切れで途中に入れすぎていたと思った。

この作品にはエログロのシーンはない。でも殺人のシーンや血まみれの死体が写るシーンはあるので、子供には向かないし、デートで観る類の映画とは思えない。全然楽しくはない。恋人と、部屋で静かに観る分には悪くないと思うけど、あえて選ぶべき作品とも思えない。恋の要素があんまりない作品。

テーマは人種差別の弊害、人権無視の非道、不公平さに対する問題提起と、それらを克服する宗教的、人間的な寛容さにあるとまとめることができる。

事実関係については、この作品には誇張があるようだ。警察からの妨害工作などが本当に起こっていたら、たぶん犯罪行為だろうけど、曖昧に描くことで誰が犯人か分からないように、注意して描かれていた。

ハリケーン自身は、実はチャンピオンにはなっていなかったそうだ。そこは映画用の脚色ということになる。ただし、その判定にも人種差別が関係していなかったかどうかは判らないが。明らかなノックアウトを取らない限り、当時の判定で勝利を得ることは難しかったかも知れない。

主演のデンゼル・ワシントンの演技は見事だった。今なら特殊メイクを使って齢をとった時代のスタイルは変えてくれただろうが、顔や髪型、ひげなどだけのメイクでも、違和感のない変化を表現はできていた。

怒りに満ちた主人公が、徐々に人柄を変えていく姿には感動を覚えた。実際の受刑者があのように変化することはあるのか?年齢が上がって覇気のようなものが諦めに替わることはあると思うが、自分が無実の罪によって処罰されたら、精神をまともに保てるか自信はない。生き残り続けることができるか、数十年も獄中で我慢できるか、全く分からない。

警察内部で出世するために、偽証を強いる、サインを偽装することが実際にあったのだろうか?そのへんも演出かも知れないが、あっても不思議ではないと思う。日本でも珍しくはないのだろう。そして、冤罪が明らかになって放免されることは滅多にないのも事実だろう。

アメリカの場合は、判事がまともなら逆転が可能なことが救い。判事も人種差別主義者が多いだろうから、滅多にはないと思うけど。日本の場合、実情は知らないのだが、政府の意向に真っ向から反対する判決は少ない印象。選挙制度に関しては珍しく違憲の判断を下したけど、住民訴訟の類は仕方ない場合だけ住民勝訴、なるべく国に有利にという感情のようなものを感じる。あくまで勘にすぎないが、統計でも取ってみれば分かるだろう。

寛容の精神が大事と口では誰でも言うけど、主人公だって長い間攻撃しか考えない人間だったし、自分を救う努力をしている人に対しても疑心暗鬼の状態だった。ついつい攻撃してしまうのである。攻撃し、打ち負かさないと自分が危ない状況が世間に満ちているから仕方ない。

韓国や中国と日本の関係は、今は酷い状態。未来志向と日本の首脳は言うけど、虫が良すぎる話と思う。慰安婦問題は解決したという主張も、本来が解決するはずのない問題だと思う。少なくとも、なんらかの人権侵害が恒常的に行われていたことは明白。それは無視できない。補償賠償すべきかどうかは別として、権利侵害もなかったという主張は、それ自体が権利侵害だろう。

どこの国でも解決しないまま、なし崩しで放置されてきたはず。人種差別、人権侵害は世間にあふれている。ハリケーン氏の受けた仕打ちは酷いもので、耐え難い苦痛があったはずだが、私達の多くは無関心だった。寛容の精神以前に、無関心や無関心を装うことが問題。攻撃的な態度も問題。対立をエスカレートさせると、問題は複雑になるばかりである。

追求は必要だが、長期化、先鋭化すると、悲劇を生む新たな原因にもなる。問題解決より再発予防を目指した方が現実的だとは思う。

医療事故の検討の際にも感じるが、基本として犯人探しより、再発防止を中心に考えないといけない。過去の事故の責任追及、失敗した人物の吊るし上げのようなことをやると、対立や隠匿を助長するだけ。新たな問題を起こすばかり。国家間の対立にも、この姿勢が勘案されればいい・・・実際問題として大きく期待できないが。

ただし、戦略として「我が国は再発防止を目指し、いたずらに対立を煽る立場に賛同できない。対立を煽る態度にあるかぎり、問題の深刻化は覚悟しないといけない」・・・という姿勢に徹することは考えても良い。相手国がそれで治まるはずはないが、攻撃に対抗するより良いはず。第三国に対するアピールのひとつにはなるだろう。

 

 

 

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