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2014年4月16日

連合艦隊(1981)

- やむをえない? -

東宝製作の戦争映画。太平洋戦争の発生、終焉を、ふたつの家族を中心に描いた作品。4月13日のBS放送で鑑賞。

主演はまだ若々しい永島敏行と中井貴一だが、森繁久弥や財津一郎、丹波哲郎なども大事な役を演じていた。視点が独特で、いまだに勇ましい戦争映画が多い中、市井の人たちが悩み苦しむ様子が中心となった流れ。

戦艦の中が血と油でドロドロになる様子が再現されていた。実際もそうなるだろうと想像する。体験者の意見もあったのでは?でも、せっかく作った戦艦の模型は波の表現に限界があったようで、リアルではない。怪獣映画の技術のままで残念。CGがないと無理だったようだ。

昭和56-57年頃の映画だが、公開当時のことは全然記憶にない。戦争映画を学生時代に見るのは、よほどのオタクくらいだったのでは?娯楽のために、こんな映画を観る人もいない。今だって、この作品を家族で観るのは勧められない。恋人ともそうだろう。真摯な態度で作られた作品とは思うものの、娯楽や興行的な面では限界があると感じる。

そもそも、戦争映画というのは作り方が難しい。あんまり真面目に作ると、兵士をさげすみ国辱的で情けないといった反発が来るし、戦意高揚に偏ると戦争美化と批判される。視点は色々あるから、良いバランスというのがありえないのでは?

人物についての評価にも偏りがあるような気がする。敗戦の将たちについて論じても、記録は曖昧だろうし、言い訳や言いがかり、中傷非難合戦は免れえないので信用できない。無能に描かれた幹部にも、実は優秀な人が多かったと思う。

この作品は、戦争の犠牲となった家族に焦点をあてて、戦争や当時の指導部を批判する方向で作られている。人によっては偏りがあるという印象につながるだろう。この作品の家族への視点はかなり実情に近いと思うが、そう思わない人も多いだろう。

当時のことは想像するしかないが、おそらく子供が兵学校に入学したら、これは出世は間違いない、未来は明るいと思ったろう。真っ先に死ぬ可能性も高くなるが、社会的には誇れる立場になれる。社会的義務を果たす責任ある立場を意味したと思う。そんな家族の意識が、かなり重要視されていた点は、作品の特徴だと思う。

もし敗戦していなければ、視点がそのまま今も続いていたことになったはず。今の時代、いったいどんな風になっていたろうか?参謀達も英雄のままで、‘美しい国’になっていたかもしれないし、冷戦の主戦場になって荒廃し、悪魔のように言われていたかも。

米国との戦争が最悪の結果になりうることは、軍人達の相当数は理解していたと思う。いっぽう米国は、大義名分はあったとしても、おそらく経済的な理由を中心に考え、最大の公共事業として戦争に訴えることを望んでいたと思う。日本側はどう実戦を回避するかが腕の見せ所だったはずだが、何かに失敗した。その辺の詳細は、この作品では判らなかった。

詳細を描くと、米国にとって都合の悪い話になるから圧力がかかるかも知れないし、軍国主義礼賛、もしくは極端な自虐主義になって、誰からも非難される運命にあったかもしれない。気の毒だが司令官の誰かに悪役になってもらう方法しかなかったかも。

相手が戦争を望んでいる場合、奇跡のような手腕がない限り、戦争回避は難しい。当時の指導部も、一概に無能呼ばわりはできない。・・・できれば、たとえ指導部が若手将校に次々殺されても回避すべきだったとは思うが、実際に自分が軍幹部だったら、そうする勇気はなかったろう。

自分が殺されるだけなら良いが、子供達まで批判にさらされ、出世の道まで絶たれたら困る。

もしかすると、そんな家族への思いや出世への意識が日本側の問題の根底にあったのかもしれない。軍隊での出世には、勇ましい意見を言うことも必要。戦争回避ばっかり訴えていたら立場を失い、家族も失望させる。敗戦の危機より、自分の家族に見せる顔のほうが重要に感じた・・・やむをえない・・・そんな面はなかったろうか?

どこの国の軍人もそうだとは思うが、もっと社会的に成熟し、軍人としてより、会社員や政治家、学者などとして出世できる様々な道がある国では、軍隊での出世以外のことを意識できる。でも、当時は軍隊内部で出世するしかなく、そのせいで勇ましさに歯止めが効かない構造的な欠陥があったのでは?

やむをえないで開戦し、やむをえないで敗戦するという丹波哲郎のセリフがあった。‘やむをえない’という言葉のどこかに、家族に対する自分の顔の意識がなかったろうか?その顔のせいで悲劇を生むなら、社会的責任について考え直してみる教育を、兵学校で徹底する必要があったろう。

自分の出世を犠牲にして集団の勝利、生き残りを優先する精神、それが徹底しないと軍が勝利し続けることは難しい。クールな視点に立つ退却、最終的な勝利に必要な戦略に関しては、純粋に軍事的な観点から意見が一致しないといけない。その認識が足りなかったようだ。出世意欲が邪魔したように思えてならない。証拠はないが。

作品の中の軍人達は部下の犠牲は非常に気にしていた。その点は実像もそうだったと信じるが、その思いやりに酔っていたとも考えられる。それに自分の出世欲を隠した形跡も感じる。決まり文句がある。「部下が犠牲を払った戦勝を無駄にできないので、退却しない。」「部下に犠牲を強いられないので、攻撃しない。」・・・でも、そこに自分の都合を隠しているかもしれない。少なくとも、誰もそうでなかったと否定はできない。

そこまで掘り下げた視点は、この作品にはなかったと思う。そこまで描くと、深い情の部分に触れるので一般の広い支持を得られない。当人達や、関係者の遺族などには耐え難い侮辱になる。

ただ、一大叙事詩にするなら、いろんな視点を参謀達の意見の中に盛り込む中に、そんな視点のセリフもあったほうが良い。勇ましい意見を言う参謀に、「それは貴様の出世のためだけの意見だ!」と看破するくらいは、あっても良かったのでは?戦争映画は、つくづく路線が難しい。

女性の視点が少し表現されていた。小手川祐子が男だけの都合で自分の人生が勝手に決められることに不満を言う時の言い方や、奈良岡朋子がこっそり子供の死を嘆くシーンなどは上手かった。

今、ウクライナの情勢が緊迫している。遠い地域の紛争だが、日本にも影響はある。経済的な悪影響は凄くなってくるかも。今後ロシアと欧米の意見をどんな風に調整するのか、全く予想できない。戦争を回避できるかの危険な状態は、この作品の最初の部分とも似ている。

ロシヤの場合、ロシア系住民の権利を侵害されたら、国内の強硬派が黙ってはいないだろう。もともとクリミア半島やウクライナの東側は本来ならロシアだという意識が強いはず。クリミア戦争や独ソ戦でも凄い数の犠牲を払った記憶があるはず。黙認などはできようもない。

でも、本当に戦争になったら、また悲劇が繰り返されるばかり。ウクライナ側だって反撃するはずだし、占領を続けるとなるとロシア経済は破綻しかねない。欧米とは仲良く通商を続けた方が絶対に都合がいいのに、紛争が長引くと困る。でも、まさか方針を転換する動きがロシア国内から発生することはありえない。愛国心が優先されるだろう。

欧米側も黙認はできない。ウクライナ人を見捨てることは他の地域への影響を考えると難しい。でも、完全に支援したら大戦争が起こってしまう。ウクライナ支援が、そこまで重要と考えてはいないだろう。親ロシア政権でも構わないと思っているのでは?よくは知らないが、普通に考えるとそう思う。

ロシア側にとっては、ロシア寄りの政権が復活し、軍事予算を多く使わないまま紛争が休息に入ることが望ましいと思う。ロシア寄りの政権が難しいなら、中立的な勢力でも妥協するだろう。そこが、結局の落とし所だろうか?

あるいは、ウクライナの地方各州の権利を拡大し、親ロシア州は親ロシアの独自路線を進めさせるという先延ばし妥協案もありうる。やがて独立されても仕方ない。戦闘になるよりはマシと思う。

ウクライナ政権がどう行動すべきか、非常に難しい。ロシア軍に侵入されることは避けたいし、ロシア系住人やテロリストが長期間活動するのも許しがたいだろう。でも、占拠した連中を実力で排除することは危険。周辺と隔離して人道面に注意しつつ、相手の疲労を待つべきでは?

ただし、それを続ける予算があるか、ロシア系住民がさらに大規模な暴動を起こしてこないか、いざとなった時に欧米から支援が得られるかは分からない。誰が、どこの国が利害を調整できるのか、それもよく分からない。

ロシア系勢力と欧米志向の勢力が共存できる政権が成り立つなら、危機回避の道になると思うが、今まで度々政権交替が起こっていることからして、おそらくどちらかに偏るような制度しかないのだろう。憲法や国会の制度に欠陥があるに違いない。でも、それを変える手順には相当な手間をかけての改正が必要で、当面は無理。

ロシアの天然ガスへの依存は大きな要因らしい。長引けば、いったん妥協せざるをえなくなってロシアに有利に運ぶ。でも、また直ぐ反発する動きが出る。それを繰り返しているように見える。日本が石油の禁輸で米国と対立したように、エネルギーの問題が不満爆発の根底にあるようだ。「また、油で我々に指図するのか!」、と。代替エネルギーが登場したら、状況は変るだろうけど、直ぐには無理・・・

 

 

 

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