映画評

  • 当劇場は劇場主のための映画館です。訪問者を期待しておりません。内容の客観性、正確性は保障できません。でも、真摯な批評を目指します。

劇場主

  • 乙女座 AB型 どの占いでも最悪の運勢 内科クリニックやってます。

Conflict of Interest

  • 特にありません。

おことわり

  • 当劇場は誹謗中傷を目的としておりません。もし権利を侵害されたと感じられた方は、申し訳ありませんが管理会社や公的機関に御相談ください。

« ジャッキー・コーガン(2012) | トップページ | 図書館戦争(2013) »

2014年3月 5日

八十日間世界一周(1956)

- 記録映画 -

賭けで世界一周をするイギリス紳士の物語。使用人とともに出発した主人公だったが、いくたのトラブルに巻き込まれ、しかも自身を銀行強盗と疑われる・・・

・・・DVDで鑑賞。クリニックのBGMを新しくしようと映画音楽を探していたら、懐かしい「兼高かおる世界の旅」の曲が。そう言えば兼高さんは今頃どうしてらっしゃるか?と気になると共に、この作品を観ていなかったことに気がついて探した。

古い映画。喜劇と言えるか、冒険物語と言えるか、ジャンル分けが微妙な作品。当時最新だったろう技術が生かされた映画だが、今となっての価値は作品自体の面白さとは別のような気もする。独特な作品。

デヴィッド・ニーブン演じる主人公の雰囲気は、いかにもイギリス紳士のイメージ通りだった。実際の紳士にあったことはないので、あくまでイメージの中での話だが。

時間や食事のメニューに対してバカバカしいほどのこだわりを見せるので、観客にとっては笑いの対象、おそらくイギリス人にとってもそうだろう。でも、そこで嫌味な印象は受けない。むしろ好感を持つ人のほうが多いのでは?と思う。それは作品としては大事なこと。いかにカッコよくても、反感を持たれたら困る。

この作品は今風の映画ではない。激しい戦いがなく、凄いスペクタクルもない。そんな冒険映画が、企画として成立するとどうやって考えたのか不思議でならない。滑稽な紳士の習慣や、使用人の活躍、ユーモアなどだけで観客が満足してくれると、なぜ思ったのだろうか?

普通なら絶対に特撮を使うと思う。原作にない怪物などを登場させ、観客をハラハラさせようと考えてしまう。それをやらないで、撮影技術や演技、光景で勝負しようというのは、非常に勇気の要る試みだったと思う。

でも、この作品は結構なヒットだったらしい。アカデミー賞も取っている。大興奮の特撮がなくて、これを成し遂げたのは凄いことだと思う。

たぶん、この当時の世界旅行は今よりも高級なイメージだったと思う。欧米の金持ちの中には巨大客船で優雅に世界旅行をしている人種もいたとは思うが、中流の人たちはせいぜいヨーロッパ内くらいに留まることが多かったのでは?旅客機の性能なども、今ほどではなかったはず。

映像で観て行きたくなることも多かったと思う。そんな憧れは、夢のような体験、つまり映画の目的のひとつとも言えるので、ヒットにつながる要因だったとも考えられる。

ただし、古めかしい点は否めない。今の子供たちが気に入ってくれそうな気はしない。毎日世界各地の驚くべき映像を、それも高性能テレビで見せられているから、この作品では驚きはないだろう。恋人と選んで観るのも勧められない。この作品は、基本的にジジババのための映画だ。

でも、逆に考えると、クラシックな魅力を感じるには良い映画。舞台となった明治初期の時代の風景が、相当に手の込んだ方法で撮影されているから。鎌倉大仏周辺の風景などは、今の時代には再現が難しい風情まで感じてしまった。エキストラが多数出ているからか?非常に自然。

富士山の風景も素晴らしい。高性能の撮影技術を開発した製作者のマイク・トッド氏は、こういった撮影の意味を理解していたのだろう。古いカメラでは表現しにくい広大さ、優雅にそびえる姿が、上手くスクリーン上に再現されていた。その技術に賭けていたのかもしれない。

あんな光景が、世界各地のロケで記録されていることが、この作品の魅力となっている。インドの田舎の風景、ラングーンあたりの船、各地の夕暮れの風景などは、それだけでも風情のある映像。よく記録されていた。仕事に賭ける力とセンスに関して、マイク・トッド氏には敬意を覚える。こんなことができるから、リズ・テイラーと結婚できたのだろう。

ただし、その映写方式は日本の公開時には使われなかったそうだ。たぶん、新しい仕組みを持ち込む金がなかったからだろうが、DVDではどんな風にデジタル化していたのか、よく観ていなかった。迫力に関しては充分だと感じたが、トッド式映像をデジタル化したのかどうかは解らなかった。

そもそも、風景の描写に偏ったシーンを写していると、上映時間が長くなるのは当然。すると、少々間延びした作品にならざるをえないし、さらに高度な映像技術が登場したら意義が薄れる運命にあったと悟らざるをえないだろう。

この作品には、スター達が端役で出演している。フランク・シナトラはそのままの顔で解ったが、バスター・キートンやシャルル・ボワイエには気がつかなかった。おそらく友人だったろうスタッフが誘って、洒落た端役を本人達も楽しんで演じていたのだろう。

シャーリー・マクレーンがなぜか姫様役で登場している。彼女のイメージは薄幸の、男に騙されそうなOLといったものだが、それは後年の出演作で形成されたものだった。この時期には、新しいアイドル的な若手だったに違いない。彼女の売込みが成功したんだろう。

 

 

« ジャッキー・コーガン(2012) | トップページ | 図書館戦争(2013) »