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2014年1月26日

推定無罪(1990)

Warnerbros

- ありうる話 -

エリート検事が同僚の女性検事補の殺人事件を担当することになった。しかし、この女性と主人公は不倫関係にあった。やがて主人公は犯人と疑われ、裁判になる・・・

・・・もう20年以上前の作品。BS-TBSで鑑賞。

推定無罪は法律用語で、たびたびテレビでも解説されるから知っていた。日本語の感覚では、無罪推定状態、仮無罪状態といった状況を表すほうが正しい訳かも知れない。有罪判決前には無罪として扱うといった意味らしい。

よくできた話だった。主人公は、真犯人が自分を追及している検事だと疑っていた。それが間違ってしまうと、主人公の運命は厳しくなる。そういった展開が良くできていた。

最初の設定も良い。ちょうど敵側の地方検事補が有力な候補となって、その権勢のせいで主人公は孤立し、ボスからも裏切られる。しかも、監察医や警察なども自分に対して敵対する連中ばかり・・・そんなプロットが非常にうまく揃っていた。さすがに原作を本職の弁護士が書いたからだろう。

主人公に関して思ったのは、例えば他の俳優がこの役を演じていたら、こんな雰囲気にはならなかったのでは?ということ。本来がアクションスターとして有名になったハリソン・フォードだったが、意外にシリアスドラマでも重厚さ、深刻さを出すことに、この作品の頃は気づいていなかった。苦闘する部分が様々な作品で強調されて、徐々に彼の演技力に気がついていった感じ。

ハン・ソロ役は、独特のクセ、独善性とタフなキャラクターの好人物だった。クセのないヒーローだったら、人気は長続きしない。ある意味、間違った判断で観客をやきもきさせる点が、彼の魅力かも。変なキャラクターとも言える。

例えば、トム・クルーズのようなキャラクターの俳優がこの役を演じると、同じように苦境にさらされても何かのアクロバティックな調査や、銃撃戦などのアクションによって事が決まりそうな期待が強まる。静かな法廷闘争には似つかわしくない。彼自身が派手な論争をやりそうな雰囲気。本人が弁論しない法廷劇には、独特の個性が必要で、それは無骨な雰囲気の俳優のほうが良い。だから、この役へのキャスティングは大成功だったと思う。

アメリカ映画には法廷劇が非常に多い。実際の法廷闘争も多いからだろう。上手く展開させないと私達は退屈になりやすいし、あんまり派手すぎると現実味を失いかねないから、法廷劇というのは難しいと思う。

上司を演じていたブライアン・デネヒーや判事の黒人俳優も、アクの強そうな雰囲気が良かった。女性検事役のグレタ・スカッキという女優さんも、色っぽくて野心的な雰囲気が非常によく出ていた。

妻役のボニー・ベデリアは「ダイ・ハード」の奥さん役でしか見たことがなかった。彼女はテレビ女優だと思う。彼女に限れば、この作品の役柄に合致するかどうかは疑問にも思った。嫉妬や狂気の表現が充分に出ていない気がしたけど、私だけの印象だろうか?

証拠品がなくなるようなことが実際に起こるのかは知らない。でも、警察内部や検事局の中での勢力争いのようなことがあれば、証拠品の入手において各勢力同士でスピードを争う事態もありうるのかもしれない。

日本の場合、そのような派閥争いには関係なく、およその出世は上が決めるはずなので、争いの弊害は考えにくい気がするが、内部の派閥が全くないとは思えない。それに、整理不足や勘違いによる廃棄、人的ミスによる破損はありうると思う。大阪あたりの警察は、金目の物を持っていくことがあるという検事の本もあったくらい。また、上層部や米国の意志が不当に捜査に影響する弊害はあると思う。

病院の場合は、病理検体を間違えることがよくある。他人の組織で癌と診断されたため誤って手術を受ける事例は稀ではない。あってはならないミスで、そうならないように多くの手順がふまれているはずだがミスする。警察の倉庫でも、数万点に登る証拠品を完璧に整理していくのは至難の技ではないか?

そう考えると、仮に裁判で何々の証拠ですと提示されても、「それが間違いなく被告の証拠品だと証明してください。他の事件の証拠品と間違っていないことを証明しろ。」などと食い下がられると、証拠能力の証明だけで裁判がストップする事態もありうる。証明は難しいと思う。

コップについた指紋があったとして、「それは取調べ中に私が使ったコップです。それを、功を焦った警察官が現場に置いて行ったのです。その可能性が全くないと証明できますか?」といった弁論も可能。突き詰めて考えると、誰も証明できないのでは?

実際、指紋が検出されましたと述べる検査機関は、警察から独立しているとは言えない。ある程度の信憑性はあるが、完璧ではない。検査官の倫理のレベルがどうかは解らないからだ。現場と検査機関が、社会的な事情でグルになって虚偽の報告をすることはありる。だから多くの場合、物的証拠は総て警官が持ってきたもので、現場にはありませんでしたと訴えることは可能。実際、本当に冤罪はあったのかも。

地方検事が選挙で選ばれるという仕組みがよく解らない。日本の場合は完全に上司が選ぶ方式だろうが、あちらでは議会か州知事、もしくは選挙人のような人間が選ぶらしい。完全に政治的な世界で、出世を目指す検事達が肉体関係を利用する場合も、たぶん皆無とは思えない。

この作品は、そういったプロットが優れていた。現場を知る人間が書いたためだろうが、非常にリアルな話と感じたのは、ストーリーと演出、俳優の個性などが上手く合致してたからだろう。激しいアクションや濃厚なベッドシーンがなくても、ちゃんと成り立っていた点に感心した。

いっぽうで、ラスト近くのシーン。血のついたハンマーがそのまま置いてあるのは、やはり不自然な印象。セリフでごまかすのには無理があった。解りやすい点では映画向きだったが、実際なら証拠品をそのまま置いておくマヌケはいないはずだし、やや興ざめのラストだった気はする。犯人は謎のままのほうが良くなかったろうか?

 

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