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2013年11月24日

悪の法則(2013) 

20cfox

- 野望に関して  -

麻薬取引に参画した弁護士の主人公だったが、計画が邪魔され、ブツを奪われる。麻薬組織の追っ手が迫り、弁護士は逃亡を図るが・・・

・・・ブラッド・ピット ペネロペ・クルス キャメロン・ディアス ハビエル・バルデムといったスター達が共演したサスペンス・スリラー。実に怖く、怖いばかりではなくて悪趣味な映画だったと思う。劇場で鑑賞したことを後悔した。

キャメロン・ディアスの演技、もしくは彼女のメイクが素晴らしかった。近年のマヌケなキャラを完全に封印し、目が笑っていないセクシー女を終始演じきっていた。彼女のイメージ戦略として、今後を考えると良かったのか解らないのだが、少なくとも今回はたぶん一世一代の演技だったと思う。アカデミー賞に相当しそう。

メイクを担当した方も、ぜひとも賞を与えたい気がする。目の周りに強いラインを引くのは勇気のいることだと思うが、あれが決め手になっていた。

ただし、実際に彼女のように活動しようとすれば、専門のスタッフが大勢要る。殺し屋が少なくとも5人は必要。連絡係、女スパイなど常備したら、組織の維持費用は凄まじい。10億くらい稼いでも、長期間の維持は難しいはず。また、急に居場所を変えたら、組織から疑われるし、資産も隠さないと危ない。口座の情報を盗み、パソコンもとなると作戦の確実性に疑問もある。失敗するのが普通。映画の設定には無理があった。

ブラッド・ピットは、あちらの感覚ではヤクの売人の雰囲気なんだろうか?私にはタフなキャラクターとは思えない。この役は、もっと悪役の雰囲気の出る俳優のほうが良かったと思う。もちろん演技は下手くそではなかったが、彼が出る必然性は感じなかった。

ペネロペ・クルスこそ悪役に向くような気がするのだが、お色気抜群の部分のみを使って、良い人物を演じることもできるのが彼女の強みだろう。すれた女もセクシーダンサーも、怖い女も優しい女も演じ分けるなんて、稀有の女優。画像のように彼女がセクシーで可愛らしいほど、ストーリーは陰惨で悲しくなるという絶大な効果があった。

ハビエル・バルデムは、「ノー・カントリー」の異常な殺し屋のイメージが強いが、この作品ではメタボリック症候群のオジサンにしか見えない。犯罪者だが、自分で殺しをやるタイプではなく、資金を投資するようだ。役柄からしてコワモテでなかったので、妙なセンスの衣装も仕方なしか?普通なら、もっと太目のズボンでもはいて、体型を目立たなくするだろう。

彼の役は、もっと小柄で人の良さそうな、誰が見ても好人物の、友情に満ち満ちたキャラクターの俳優でも良かったかも。主人公のことを真に心配し、恋人に恐怖を感じる様子がもっと解る俳優でも良かったと思うのだが・・・

マフィアのボスが長々とセリフを話していた。あれが、この映画の主題に相当するんだろうか?他にも哲学的な内容の会話が多く、結局は犯罪はためにならないよという結論になってはいたが、それでも作品全体が悪趣味な残虐性に満ちていて、あんまり楽しい作品ではなかった。そもそも、ボスが長電話することなど考えられない。「助けられない。」なんてセリフは、犯罪の自供に等しいので決してしない。盗聴を前提に話していると思う。

野望に関して、また考えてみた。

欧米の本当の金持ちは桁の違う金を持っているので、下層の私には感覚が解らない。映画では、チーターを草原で走らせたりしていたし、高級レストランに高級ドレスなど、無駄としか思えない品々、行動の数々。あれを維持するために、危険を犯そうと考えるのか?チーターは普通は要らないでしょ。

他人の計画を乗っ取って奪うこと、悪行で得た金を投資に回して清浄化して増やすこと、それらがビジネスとして当然のようにやれる、その神経には付いていけない。私が野心の薄い農民のような考え方をしているからだろうか? 見聞きする限り、犯罪者から這い上がって勝ち残れた人物は、ごく少数に過ぎない気がする。つまり荒業に対するペイが必ずしも良くないと思う。

地球の歴史を一気に書いた「137億年の物語」を読んでいて思った。家族単位の原始的集落では、獲物を公平に分配する傾向があったのは本当だろうと思う。でも、その後に農耕で得た収穫を守るだけの段階では、おそらく戦いはあったはず。分配をめぐって、殺し合いもあるだろう。そして、圧倒的な武器や馬などの道具を得た種族が強奪を専門として活動すると、環境はより殺伐としたものになる。

力があって、道具を持っていて、豊かな餌食がいて、それでなぜ攻めてはいけないのか?奪ってはいけないのか?そんな感覚が芽生えれば、次第に強硬派が部族をまとめ上げるようになるのが自然。そうなったら、「あのう、交渉したいんですけど・・」と、ノコノコ出向いても殺されるだけ。

今の強奪者は馬に乗ってやってはこないが、その精神は続いていると思う。法律を武器にしたり、殺し屋や株屋を武器にしたり、政治家や役人を味方にしたり、野望を持てば相当な収穫が得られる。証券トレードなどで金を稼ぐ場合も、純粋に投資するというより時には騙しの要素が主になることもあると思う。エージェントであるとともに、強奪者でもある。

チーターは、彼らを象徴していた。要らぬことは考えず、殺して奪い、自分の利益にすることだけを考えると強いし、ある種の見かたをすれば美しい。

強奪者たちがひしめいているのが現実の社会で、それは日本の片田舎で程度は知れていると言えど、そうだろう。それが社会秩序そのものと言える。熊本あたりでは人の良い人物が大半だが、それでも繁華街などには怖い連中がいる。土建業や金融業関係者なども、動かす金額が多いほどハイエナのような臭いを感じる。

学校やクラブ活動などでも競争はあった。成長する中で、学びながらタフになっていくことは必要。今は家族単位で生きていた時代ではないのだから仕方ない。強奪者との遭遇は避けられない。

私は自分の生き方を鑑みて、あまりにも欲に欠けていたと反省する。子供の頃は競争心が強いほうだったが、競争の弊害を学ぶうちに自分の生き方を反省し、聖人のような人物になってしまったようだ。中途半端な聖人は、滑稽でしかない。

医者になったことも大きい。医者には献身が要求される。学生の頃から場末の良き家庭医になりたいと思っていた。博士号をめぐる努力や、医者の世界の中での出世競争、箔付けなどには興味がなく、営業的な面を完全に忘れていた。今となってはバカとしか言いようがない。

厳しい営利企業の中でもまれる必要がなかったからだろう。のんびりし過ぎていた。そんな人物がハイエナの群れの中に入ったら、当然の結果が待っている。さすがバカ者の私も、本能的にそれは避けたい。

私が犯罪組織の一員で、何かで大金を得た場合は、たぶん金を投資して清浄化し、立派な資産家として一般社会に君臨したいと思うだろう。実際にも似たような手口で議員や社長になった人物は多い。ただ、その地位を狙う部下も多かろうし、敵の組織も常にいるだろうし、引退すれば安全と思っても、警察や敵達は狙ってくるかも知れない。心が休まらないのでは?

徳州会をめぐる選挙違反、猪瀬知事への融資などが問題になっている。医師会と戦って巨大な病院チェーンを作り出した頃の徳田氏は恰好よかったが、強引な手法や島を二分する激しい選挙戦など、悪評も高かった。ヤクザなどとほとんど違いがない印象。彼らは、とにかく野心家だったのだろうと想像。

医者の中にも、あんな連中は多い。業績を猛烈にあげた人物は、たいていそうだろう。患者の評判も悪くない傾向がある。理解できないが、医師会の選挙の時期になると怪文書の類が飛び交い、陰湿な雰囲気になる。純粋な医療を目指す・・・なんて意識は笑い種にしかならない。

医学部を受ける時は非常に迷った。徳田氏のような例外はあるが、一般に経済的にはジリ貧。良くて中流がいいとこ。チーターを飼うような生活は望めない。そう覚悟している。覇気のない生き方だが、心は安らか。いつも金の心配をしていて、アホくさいとは思うけど。

 

 

 

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