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2013年10月13日

ランナウェイ/逃亡者(2012)

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- アナーキーなアネキ -

ベトナム反戦運動時代のテロ・グループの残党が逮捕された。メンバーの一人は逃亡し、全米各地を点々とする。新聞記者とFBIが彼を追い詰めて行く・・・・

・・・・名画の雰囲気。それも時代限定の独特の味を持つ、重い内容の映画。映画の醍醐味に近いものが感じられた。ただ、超大作とは全く違う。サスペンスが売りではなく比較的静かで、内省的な内容に、時々逃走の緊迫感や謎解きの要素を組み込んだ作風。

設定された季節は秋。紅葉が目立つ山野を車で移動し、林を駆けて逃げる。美しい山々は、この作品の舞台にぴったりであった。企画に多くの俳優達が同調したのだろうか、スター級の俳優が大勢出演していた。オールスター映画だった。

この作品は、子供には受けないだろう。内容の理解には、一定の基礎知識が必要。若い恋人にも、あんまり受けないかも。劇場で周囲を見回したところ、女性客が少ないのは意外。70歳くらいの男性が多かった。もしかして、かっての全共闘世代のなれの果てが集まっていたのか?

麻薬の革命を目指していた人間が、今は自然食品を生業とする話。ギャグの意味だったのか、実際にもそんな人物が多いリアルな話なのか、あるいは両方を兼ねるのか、よく解らなかった。

ただ、そんな人物の弁護を、主人公が危険を犯してするものか?あちらでは弁護をしてくる敵に対し、検察官は弱みを調べたりしないものなのか、その辺には疑問を感じた。

テーマになっているのは、かっての荒れた時代。政府を許せない若者達がデモや暴動行為をはたらき、やがて戦争が終結して活動もしぼみ、気がつけば体制に組み込まれている構図。私の世代から見ると、いったい彼らはどうやって自分を納得させたのかと、不思議に思う。

日本は、戦前の軍国教育のノリのまま、理屈だけ民主主義を表面に付け足したような若者が多かったはず。強硬な姿勢はそのまま。姿勢を維持して趣旨転換し、そのまま右翼や管理職になる人物だって多かったはず。会社の労働運動などがそうだ。激しさが取り得の人物は、双方の勢力から重宝される。

日本の過激派たちは、ほとんどはサラリーマンになって企業戦士として生まれ変わった。外れ者が、物書きやヤクザ的業界に移ったりはしたはずだが、そのまま活動している人はまずいないだろう。市民運動に変化したグループからは政治家も生まれたが、大勢力を維持しているとは言えない。

激しくなかった、ただのナイーブな学生は、おそらく控えめながら家庭を維持することに汲々とし、ささやかな幸せをかみ締めつつ、過去の時代に何かの感傷を抱いているのでは?

解らないのはアメリカ。政治理論、哲学の分野でははるかに高度なレベルにある彼らが、いわば遅れた国々で流行したテロリズムに、なぜ乗っかってしまったのか?あちらの民主主義にも、やはり不合理、矛盾点は多く、許せない感情が鬱積していたのか?もともと暴力に満ちた国で、暴動やテロ行為にも違和感はなかったのか?

監督と主演はロバート・レッドフォード。彼は作品内容と同時代を生きてきた人間だろうが、若くして既に華やかな映画スターだったし、良心的なイメージはあるものの、派手な政治活動をしてきたとは言えないはず。一線を越えない節度は感じる。ジョージ・クルーニーのように逮捕まではされないだろう。

映画の中心は難しいテーマ。戦争を許せない人間が集まって、なぜか殺人に至るほど強硬に変化していけるのか?その逆転が、子供時代の私には理解できなかった。デモの映像は、子供にはほとんど戦争のように見える。浅間山荘事件の攻防戦なんて、実際にも戦闘そのもの。戦争反対で戦争する?

焦りがあったのでは?大多数の国民が戦争遂行を支持している場合、多数決されたら必ず負ける。殺される自分達世代を犠牲に豊かな生活をされたら、しかも敵のほうが悲惨な戦争で、大義がほとんどない戦いなのに・・・そこで焦って、過激化して事を決しようと考えたのか?

スーザン・サランドンが語るセリフが、彼らの考え方を表している。罪のないベトナム人を殺したくはないというのは正論。国の政策は許せないから、テロをはたらく。今日の感覚ではやはり、それでも人を殺してはいけないとしか考えられない。当時の国家や、歴代の政権すべてが無慈悲に国民の犠牲を強いてきたことは確かだが、人殺しの理由にはならない。私の感覚ではそうだ。

でも、もし革命が成っていたら、若者を犠牲にした資本主義を擁護する守衛は、殺されても仕方なかったという理屈が通用した可能性もある。可哀相な守衛さんだったけど仕方なかったのよと、母親が子供に語って聞かせる時代が来なかったとも限らない。怖いけど。

ロバート・レッドフォードが主演するべきだったのか、ちょっと疑問に感じた。もちろん、かっての大スターでハンサムの代名詞、アイドルに近い存在だった彼だから、おかしくはないのだが、過激派のイメージがない。誰か別な元アクションスターのほうが、本来は良かったのでは?もしくは有名な悪役。

逃げる際に、鋭い目をして筋金入りの運動家の印象が出たほうが良い。殴り合いになれば、若い捜査官を倒すくらいの勢いも感じたほうが良い。殺し屋の雰囲気さえ欲しい。ネームバリューと見た目、他の俳優達との相性などを考えると、誰が良いのか解らないけど。

さらに言えば、シャイヤ・ラブーフに切れ者記者のイメージがあるだろうか?この記者は、FBIをも上回る捜査の能力があったが、そんな切れ者は、人の良さそうなラブーフでは無理を感じる。表情を大きく変え、クールさや鋭さを演出しないと、やや嘘っぽい演技ということになる。

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ジャッキー・エヴァンコはYouTubeの歌声で有名で、大物歌手と次々共演している娘として知られているが、末怖ろしいほどの美少女ぶり。大スターの可能性を感じる。ブリット・マーリングという女優さんも非常に美しく、あらためて美女が作品に与える力を確認した。

いかにスーザン・サランドンが熱演しようとも、マーリング嬢が美人でなかったら、作品は台無しになってしまう。サランドンよりマーリング嬢が重要なのだ!そして15年も経てば、マーリングよりエヴァンコ嬢のほうが大事なのだと予想される。世の掟なのだ。

ただし、真面目な話、この映画の中で最も重要なキャスティングは、絶対にジュリー・クリスティだった。彼女はアナーキーなイメージがプンプンするアネーキだった。凄い美人だったが、役柄はかなり過激で、少なくとも社交界で暇を持て余すような人物には全く見えない。実際に過激派としてテロ活動をやっても意外には感じないイメージ。

ジェーン・フォンダも当時の闘士だったが、やや演出が先に立ち、イメージが違う。ワークアウトに転進した時点でアウト。ワークアウトでアウト。大金持ちの奥さんになった時点で、完全に化けの皮がはがれた印象。残念ながら、この作品に呼んでもらえる可能性は消えたのであった。

ジュリー・クリスティは時代を超えて生き残った戦士。実際にも政治的活動をやっているらしい。実際の生き方と雰囲気が合致した当時の理想のスターのままで、なかなかできるものではない。

 

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