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2013年10月19日

渚にて(1959)

Uamgm

- どうして自滅? -

核戦争が起こり、北半球は放射能汚染で全滅。オーストラリアに寄航した米軍潜水艦の艦長は、現地の女性と親密になる。しかし汚染は徐々に南半球にも押し寄せてくる・・・・

・・・有名な作品。私が生まれる前に、こんな映画が作られていたとは驚く。当時は核戦争の危機感が今よりも強く、単なる娯楽では済まない深刻なイメージが皆にあったに違いない。全体的に暗い雰囲気で盛り上げにこだわっていないので、娯楽の面ではあまり魅力がない。

ラブロマンスはある。でも、ヒロインのエヴァ・ガードナーは、控えめに言っても瑞々しいとは言えない。美人でスタイルも良いのだが、化粧も相当なもので、途中で顔を拭いてもらうシーンでは、なぜ化粧がどっぷりタオルに付いてこないのか不思議に思えて、せっかくのラブシーンに集中できない状況に陥ったほど。

ある程度はリアルな話。オーストラリアを核攻撃するのはよほどの事情がないと考えられないから、最後に生き残るのは南半球の国かも知れない。さらに考えれば南極の基地は、まさか攻撃されないだろうし、海流や気流も比較的独立しているから、食料を溜め込んで南極に向かうべきなのかも知れない。うまくいけば、雨や風で汚染のレベルが下がり、なんとか生きていけるかもしれない。そうなったら、戻って来れる。

爆弾が数千発使われ放射能を多数の人が浴びても、直ぐに死に絶えるほど大量に浴びない人も多いはずで、ゆっくり白血病などで苦しみつつ、中には乗り越える人もいるはず。北半球すべてを壊滅させるほどの放射性物質は、よほどのことがないと作れない。だから、直ぐに連絡がとれなくなるのはおかしい。苦しみつつも生きている人はいるだろう。多額の治療費、医薬品が必要なので、医療保険制度を維持できればと言う条件はつくだろうが。

子供が楽しめる映画ではない。リマスタリングされているのか、画質はそれほど悪くないし、古めかしい大仰な演技が目立つわけでもなく、演出方法も新しいのだが、楽しめないことは間違いない。恋人と選んで観る映画とも思えない。懐かしんで観るだけだろう。

フレッド・アステアが科学者の役をやっていた。その一方でカーレースにも出場するという随分と極端な役柄だったが、とぼけたような風貌が効果的だったのか、なかなか良い味を出していた。彼がキャスティングされたのは、元々製作スタッフと仲が良かったからか?

彼が酔っ払いながら述べるセリフは、この作品の主題に近い。どうしてバカな戦争などを始めたのか、どうして人類は失敗したのか?それが問題。今も核戦争の危機は去っていない。朝鮮半島や中国の情勢次第では、いきなり発生するかもしれない。幸いまだ起こってはいないが、核保有国は増えているから、やがて起こると考えるのが自然。おそらく局地的な使用とは思うが・・・

それはさておき、原発に関して・・・

10月12日には、刈谷崎原発周辺で避難訓練があったと報道されていた。福島の原発事故後で、風向きに注意しながらの訓練だったらしいが、風向きに配慮されたのは初めてと言うから驚いた。今まで何を考えて訓練していたのか?もしくは訓練自体が不安感を煽るのでしないといった判断がなされたのか?

福島の原発で爆発が起こったという報道を見た後、私は数分後には現地の風向きを確認した。そんな反応はおかしいだろうか?天気図では、ちょっと曖昧な構図で、どちら向きでもありえるような印象。気象庁のサイトで風向きを見ると、幸い海側に向いていた。そこで少し安心して、たぶん最小限の汚染で済むだろうと思った。その後大きく風向きが変ったらしいけど。

事故が起こったら風向きに注意すべきであることは、常識で解るように思うのだが、その認識は一般的ではなかった。私の周囲で当時風向きを話題にした人は誰もいなかった。テレビの報道でもそうだ。うっかり報道してパニックになるのを避けたかったからか?気象庁に何かの規制がかかったのか?

以下のような意見が、過去には主流を占めていたように思う。

①原発は、電力確保のためには必須であり、多少の危険があっても増やすべき。 ②原発は精密に管理されており、大事故は実際には起こらない。  ③避難訓練は、住民に不安感を与えるのでやるべきではない   ④いかなる事故が起こってもシミュレーション通り直ぐ対応できる。 ⑤原発反対派は過激派に近いイメージがあり、排斥すべし  ⑥原発の害よりも、補助金による地域振興が大事  

いずれも常識的な判断と考えられ、完全なる間違いとは言えない。一定の支持は、今でも受ける意見だと思う。かなりは業界の広報活動の影響も大きかったはずで、洗脳されてしまっていた面はあったろう。広報活動しないのは努力不足とも言える。信じた国民か、騙した官僚や業界が悪いのか?良い悪いの話とも言えないけど。

集落単位で農作業をやっている時代には、協調、指示に従う従順さが大事だった。村社会で生き残るためには、妙なことを指摘してはいけない。また、商店街のなかで生き残るためには景気の良い宣伝は必要で、ある程度は嘘も方便。でも、そんな感覚で原発を扱ってもらっては社会全体の失敗や破滅につながる。地震対策や安全保障も同様。江戸時代の村や商店街の感覚で生きている人間が多い我が国は、重大な問題に対処するのが苦手だ。

かく言う自分自身も、事故が起こったらと真剣に考えたことはなかった。でも起こるはずとは思っていた。起こり方も、その後今までの経過も予想通りだったから、大きく考え違いをしていたんじゃないだろう。電力会社や政府の人達は、私以上に事態を把握していたはずだが、ただ失敗に向かってしまったようだ。自分達の‘店の売り上げ’的なものが気になるからだろう。

論点が外れるが、原発にとって最も確率の高い危険要因はテロだと思う。どこかがテロ攻撃をするとしたら、原発が最も効果的な対象。たぶん、既に近隣の国々は日本の攻略のために何をすべきかは検討しているだろう。何個か攻撃し、残りの攻撃をエサに交渉してくるに違いない。だから、攻撃されても対処できることが、原発の存在の条件だと考えた。でも、そんな意見を他の人から聞いたことはない。

正しい議論の進め方は、まずテロ対策から始めるべきだと思うが、それは極端だと思う人のほうが多いのが現状。もし正しい論理に従えば、地震や津波に備えて何をすべきかは自明のこと。福島第一原発の場合は、明らかに備えがなかったので、早急に廃炉なり作り変えなりすべきと、私が役人だったら思ったろう。図面など必要なく、見た目だけで解るレベルの危険さだから。

さらに実際に事故が起こり、爆発があったら何ができるかも、一定の判断力があれば決まってくる。住民は、風上にとりあえず向かわせるべき。風向きは、今の時代はスマホで解る。子供を優先せざるをえない。老人を後にしたことで非難されるのは確実だが、仕方ない。それに、事前の訓練に従ってという条件は必要。パニック、大渋滞は必発だから、少なくとも専門家だけは知っている計画くらいは必要だった。

前述の①~⑥は、常識的と言えばそう。これと違った意見を持っていたら、この種のことは話題にしにくい。「何言ってんの、こいつ」と思われるから、時代劇的な感覚の中では話もできない。人の思考過程は、理屈の積み重ね方でいかようにもなりうる。非常に優秀な人でも、理屈の運び方を間違え、ちょっとした勘違いを起こすことは多い。実際にも勘違いに満ちていたはずだ。

役人が危険性に気づいていても、自分らから廃炉の指示を出すより、原発業界の専門家に従おうと考えるだろう。きっと江戸時代の藩士の多くのように、大勢の意見に抗って失脚するより、保身を考えたのだろう。自分の出世や天下り先の確保を優先したほうが利口だし、それが直ちに罪とは言えない。東京電力内部の出世競争でも、似たような事情があったはず。廃炉など言えば、間違いなく失脚する。

今、日本の学界の臨床研究は信頼度が地に落ちている。ノバルティス社の件のせいだ。改善を目指す動きも多少ある。政府や電力会社でも、利害関係を排除して決議できる規則があれば、この種の失敗の危険性は下がる。いっぽう、旧来の決議の仕方の場合は、出世などの切実な利害が絡む関係で、仕事に熱が入るという利点がある。計画や実行が早くなる。これを使い分けられたら、非常に賢い。

でも使い分けできてなかった。利害が絡む人達で方針が決められる欠点と、それをチェックする機構の必要性を意識できていなかった。選挙制度や役所の人事のあり方に根深い欠陥があるから、機構改革はなかなか無理だろうが、例えば政府が何かの委員会を作る場合に、誰を委員にするか、組織の体制として偏りはないかなどにチェックを入れる外部の承認を、法で義務化してはどうだろうか?臨床研究の倫理委員会のような仕組みだ。原発や国防など、大きな問題に限定してもいいから。

そうしないと自滅する。破滅を避けるためには、それくらいは考えてもいい。

 

 

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