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2013年9月10日

風立ちぬ(2013)

Toho

- ヒロインはクララではない -

飛行機の設計士を目指す主人公は、震災の際に少女と知り合う。やがて主人公は本格的に設計に携わるが、失敗を繰り返す。そんな中、再び二人は出会う・・・

・・・劇場で鑑賞。お客さんは多かった。風立ちぬの小説と、ゼロ戦開発者の夢を融合させたアイディア、夢の中に現れるイタリアの設計士の個性、悲しい恋物語、戦史のひとつを同時に描こうという文学的手法、それらは見事だった。

でも、残念ながらいっしょに観た子供達はかなり退屈していたようだ。大がかりな戦いがなかったこと、ギャグ的な人物が次々登場する作品でなかったことや、恋物語の描き方にも問題があったに違いない。子供は鑑賞の対象外か。

恋人と観る映画としては、ストーリー展開などから考えると最高級の作品のはずと思えるのだが、‘ジブリ映画’のイメージから考えると、期待と違った印象を持つかも知れず、お勧めかどうか解らない。

私の年代なら、悪い作品とまでは感じない人が多い気がする。齢が上がるほど、その傾向は強いかも。若い方にとっては、盛り上がりに欠ける点がネック。あくどい敵を用意すること、主人公が危機を乗り越えること、そんな戦いや緊迫の要素が欲しい気がした。

なぜ、こんな企画を進めたのだろう?もっとアクション的な要素を加えたり、全然違うファンタジーに満ちた作品を作ることはできたと思う。でも、おそらく宮崎監督の年齢を考え、かねてから企画を暖めてきた戦争+恋物語+航空機趣味の話を、今のうちに作らないと気がすまなかったのか?

ファンタジー作品は、もう他の誰かが作っても構わないが、飛行機乗りや設計士の夢は、監督独自の特殊なもので、今を逃したら年齢、体力的な面から考えて難しい。この作品の公開中に監督が引退を表明したのは、もともと考えていたことだったのでは?

この作品の評価を、監督はどう感じたろうか?「ジブリは終わった、監督は引退が当然」といった声も聞こえているかもしれない。確かに、独特の少女趣味や、ワンパターンな声優の声質には飽きを感じる。もっと画期的な話を期待してしまうのは当然。それが解っていて、あえて文学趣味の作品を公開するという無茶な路線にこだわらざるをえなかったのか?

本来、ジブリ作品が評価されたのは、屋根を逃げるルパンの無茶なアクションの痛快さ、楽しさ、田舎村にひそむ妙な怪物の個性、冒険に満ちた戦いなどのアイディア面ではないか?文芸の要素は、あんまり期待されてない。アイディアで観客をうならせるべき。

ヒロインの行動は気になった。病気がある自分が夫の元に出向くのは、感染させてしまう危険性と仕事を邪魔する点から考えると、避けるべきことに他ならない。したがって、二人が再会した時にヒロインから出る言葉は、深い謝罪しかありえない。

死期の迫るヒロインには最後のチャンスだから、会いに行くのは当然なんだが、いっしょに暮らすのはどうか?小説やメロドラマの世界では許されても、一般的には問題・・・・というと、テメエは女の気持ちが解らない冷血野郎と言われるだろうが、感染管理の点からはクールに対処すべき。・・・やはり、それでも女性達には許してはもらえまいが。

この種の映画を観たデートの後、ヒロインの行動に疑念があるなどと、うっかり話すような愚は避けたほうがいい。私も最近になって、話題そらしの極意を垣間見ることができたようだ。もっと早くにマスターしていたら苦労はしなかったろうに。

ヒロインのキャラクターを説明せよと問われて、どれだけの人が彼女の特徴を述べることができるだろうか。「ああ、彼女は勇敢で優しい・・・」そんな風にスラスラと言える特徴のようなものが希薄だと思えた。彼女の個性を際立たせるために、ヒロインが見せる悲しみに、もっと比重を移してはいかがだろうか?彼女が登場するシーンでは、主人公すら脇役になってよい。

そして、問題になった喫煙シーン。当時はやたら皆がタバコを吸っていたのは事実らしいのだが、確かに描き方には問題を感じた。セリフでわざわざタバコの話題を持ち出すのは、今の時代ではセンスを問われても仕方ない。ブタ姿のパイロットが気取ってタバコを吸うのは問題ないが、登場人物が繰り返し「タバコ、タバコ!」と叫ぶのは、何か意図があるのかと疑われる。JTがこっそり協賛してないかい?

音響効果は、特殊な方法を使っていたらしい。でも、効果のほどは解らなかった。地震の表現も独特。たぶん、震災の影響で製作を控えたりしたのかもしれない。今でも、震災の恐怖を描くのは憚られる。もっと視点を変えて、地震自体は描かずに、火災を描いてはいけなかったろうか?センスを疑った。

音楽もよく解らない。ユーミンの曲が、この作品の雰囲気に適合していたようには感じなかった。ユーミンは純愛物語よりも、素直な感情を重視する昭和終期の恋物語に合うと思う。ヒロインが死ぬ話に、イメージが合うだろうか?

文句ばかり言っていても仕方ない。じゃあ、どう作れば良かったのだろう?

今風に考えると、厳しい要求に答えて難しい企画を成功させる仕事の上でのサクセスストーリー、軍部や特高と渡り合いながら「半沢直樹」のように危機を乗り越える、爽快なビジネススト-リーを目指すべきだろう。「倍返しだ」のような決めセリフも必要。商品価値から考えると、そんな時代劇的な作り方しか考えられない。

恋物語は、そのままでいい。でも手を握ったり、キスしたりする必要はなく、時代劇のヒーローがするようなキザな芝居を少しだけやればいい。何も話さず、手もつながず、ただ静かに道を行く、小雪が舞い散る、風流じゃのうー寒くないかい?時代劇ではそれで充分。

きっとヒットしたろう。もちろん、轟々たる避難を浴びるが。時代劇に成り果てた、昭和に帰れ、戦前派などなど、それは酷いものだろう。カンヌへの出品は無理。笑われてしまう。でも、戦前戦中を描くなら仕方ない。時代劇に徹すれば、古めかしくても話としての完成度は上がると思う。

紙飛行機を飛ばして遊ぶシーンは、作品全体から考えると場違いな印象を覚える。あれで楽しんでくれる子供は絶対にいない。あれはアルプスの少女クララがやれば可愛らしいが、大人はやってはいけない。この作品は、あんなシーンで笑う映画ではないのだ。遊びは夢の中だけに限定すべき。

ゼロ戦の設計士達は、戦後は防衛大学に行ったり、国産機の開発に尽力したりしているらしい。でも彼らは兵器を作る仕事に従事し、多数の兵士、敵側の住民にも危害を加える仕事の一端を担った人物には違いない。

当時は軍国主義、帝国主義の時代。軍備の開発に遅れれば、征服されるしかない時代。仕事として必要な分野だったと考えられる。国家間の競争がなければ、航空機の性能も伸びず、いまだに船旅するしかなかったかも。武器開発者を非難することはできないが、ヒーロー扱いだけは許せない人達もいるだろう。

主人公を非難する反戦運動家の友人、友人を捕らえようとする特高、ライバル企業の人間、それらが複雑な人間関係をなしたら、混沌としてしまうが、より深い現実的な話になったかも知れない。

 

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