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2013年9月22日

メリダと怖ろしの森(2012)

Disney_pixar


- 伝説と教訓 -

王女メリダが出会った魔女によって、王国に危機が訪れる。スコットランドを舞台に、クマとなった古代の王子の伝説、魔法使い、勇敢な王女と王妃の物語が展開する・・・

・・・原題は「brave」だそうだから、映画「ブレイブ・ハート」に通じる意図があるのだろうか?王女はこうして王子と結婚し、いつまでも幸せに暮らしました・・・という結末にならなかったのは斬新だった。でも、そのために小さいな子供が観て楽しめないという悪い面もなかっただろうかと疑問には思った。テーマが恋ではなく、母親との関係や自分の意志による選択だったから、その点でも特異な作品だと思う。

CGが実に素晴らしかった。メイキングの解説によれば、主人公メリダの髪の毛の表現のために、毛の一本一本をまずカールさせ、次に数を増やして合成し、さらにそれらが動いた時の互いの干渉具合を再現し、そしてまた実際のヒロインの動きに合わせて移動といった、大変な労力で作った画像らしい。そのせいで実に自然な動きになっており、実写よりも美しいとさえ思えた。

風景の描写にも相当こだわっていた様子。滝の水を飲むシーンでは、滝から細かい水滴が漂う様を実に見事に再現していた。山にかかる霧、森のコケ、モヤなども手の込んだ画像で表現していた。

技術的な面では本当に優れた点を多く感じたが、王達の画像は旧来のマンガ的なキャラクターに留めてあった。彼らまで実写に近づけると、大人専用の映画になってしまいそうな気がするので、適切な判断だったと思う。笑いの要素も必要だ。「ベオウルフ」は手の込んだモーション・キャプチャー技術を使ったそうだが、子供が楽しめる作品ではなかったように思う。あの作品の二の舞を踏まないという判断か?

恋の話を持ち込まなかった点は、おそらく充分に検討を重ねた結果の選択だと思う。テーマが曖昧になる、子供映画からは離脱したい、深遠な雰囲気を出す試みをしたいといったスタッフの熱意によって、こんな話になったのではないか?もし、ラストでどこかの王子とメリダが結婚したら、王妃とメリダの間の関係よりも、そっちに焦点が行ってしまう。それに作品自体がもっと長くなってしまうだろう。

テーマも非常にマトモ。運命を自ら導くか、運命に任せるか、生き方に関する教訓を扱っていた。子供達が観ても教育上問題なさそうな作品。爆笑シーンは少なくても、そこそこ楽しめると思う。大人の鑑賞にも耐えられる。恋人といっしょに観るのは向いてない印象だが、CGの技術的な面に絞って観れば、かなり感動できるかも。

ピクサーとディズニーのどちらが中心となって企画したのか知らないが、この種の映画の今後の方向が少し気になった。ネタが不足しつつある印象を受ける。今回の話が全くのオリジナル作品らしいのは、ネタ切れのためかもしれない。

大ヒットシリーズは大きなドル箱になるから、次々とシリーズ作品が作られる。ひとつのヒットで、数作品が派生してくる。ヒット作を次々と編み出すのは、たぶん大変なんだろう。海の画像に素晴らしい技術が開発されたら海のシリーズ。雨粒画像、髪の毛画像など、新しい表現技術が出るたびに作品のアイディアも出てくると思う。でも、今後どんな作品につながりそうか、自分には予想できない。全くアイディアが出なければ、やはり続編かスピンオフ的な作品を作るしかなくなるだろう。

本来ならば、素晴らしいキャラクターを構築し、物語の壮大さで勝負できるほうが望ましい。「パイレーツ・オブ・カリビアン」の船長や、「アイアンマン」の主人公は随分と変わった個性の持ち主だった。彼らの戦う相手も実に個性的で、飽きの来ないよう工夫がされている。成功の秘訣は、やはり新しい個性と斬新さだと思う。

メリダ嬢はかなり個性的な王女だった。この作品も観客動員数は相当なものだったらしい。続編が作られるかどうかは知らないが、個人的にパート2を観たいとは思えなかったので、何か足りないものもあったのではないか?

せっかくの王女の弓の腕が、ストーリーのラストには結びついていなかったことは気になる。過去の映画の弓の名手は、ラスト近くの危機の場面で決定的な弓の力で局面を打開することに成功したことが多い。技術が勝利や成功につながらなければ、前半で弓のシーンを写す必要はあまりない。やや中途半端だったと思う。

過去のパターンなら、母親が敵のクマに倒されとどめをさされそうになる。その絶体絶命の危機をメリダが放った弓が敵のクマの眼などに命中することで打開し、敵のクマは眼が見えないために石柱にぶつかって下敷きになって自滅する・・・それが拍手喝采、万歳のラストにつながるはずだったが・・・・

それに、敵のクマの個性にヒネリが足りなかった気もする。とことんズルイか凶暴で、ヒロインの大事な友人を残忍にも殺しているような性悪のキャラクターのほうが良い。敵役が魅力的でないと話が盛り上がらないのは確実だから、原則に従ってワルぶりを強調すべきだったと思う。

技術は素晴らしかったが、古い原則にも教訓と示唆に富むものはある・・・って、映画のセリフにはなかったっけ?自らも、その辺をよく検討すべきだったかも。

 

 

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