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2013年9月25日

ビフォア・ザ・レイン(1994)

- 素人映画的 -

アルバニア人とマケドニア人の対立の中、教会に逃げ込んだ少女と修道僧が恋におちる・・・

・・・DVDで鑑賞。この作品はラブ・ストーリーのコーナーに並んでいたが、はたしてそうなのかは疑問に感じた。民族宗教対立が大きなテーマで陰惨なラストが待っているし、一般的な恋愛物語とは全然違った印象を持つ話。

この作品は子供には全く向かない。恋人となら観てもいいように思うのだが、気分が良くなることは全くない作品で、ただ悲しくなって後悔するかもしれない。何か深く心に残りそうには思うのだが、あえて勧めないほうが良いかも。

カンヌ映画祭では高く評価されたらしい。どんな作品か気になった記憶がある。でも、完成度に関しては本職のスタッフが揃ったハリウッド製の映画には全く敵わない。素人に近い芸術家達による手作り作品の雰囲気が感じられる。

好感は持てた。そもそも、民族対立を題材に悲劇を構成しようという姿勢に好印象。あの時代には、紛争を扱わなければならない。そこに恋愛を持ち込んで美しい物語にしようというセンスも素晴らしい。映画だから訴えかけるテーマはあったほうが良い。非常に芸術性に満ちていると思う。

何か展開が変わりそうな時に雷がなる。それで観客に予想をつけさせることができる。その約束を作ったセンスも良い。そこからタイトルを作るのも、いかにも芸術家らしい。ギリシア時代から続く伝統だろうか?昔からある演劇の約束のような手法だが、劇のように解りやすくなる効果がある。

時間的な経緯が途中から曖昧になったが、おそらく殺戮が繰り返し起こっていく連鎖を表現したかったのではないかと感じた。それはでも、いかにも芸術家の考え方であり、必須のものではないとも思った。なるべく単純なストーリーのほうが、結局は訴えかける力はあるから。

アルバニア人とマケドニア人が対立していることを全く知らなかった。当時は何といってもコソボ紛争、セルビア地域の戦争のほうが重大な問題で、民族浄化といった怖ろしい言葉が伝わっていた時期。旧ユーゴスラビア地域はどこもかしこも紛争に満ちていたのだろう。武器の供与は、後年アルバニアマフィアが力をつける理由になったに違いない。

紛争に対処するために武器が出回ると、その後でギャングやテロ集団が力をつける傾向は一般的なものらしい。アフガニスタンやイラクがそうだった。武器を与えたアメリカが逆に攻撃される展開になっても、武器商人達はグローバル化してるから、全く構わないのだろう。

自動小銃が出回っている村に生活する人達の気持ちは理解できない。先祖伝来の村とは言え、いつ皆殺しになるか解らないようでは眠る時も怖い。結婚して子育てする土地にならない。でも、皆なんとかして生活しているから凄い。

日本がそうならなくて良かった。日本の場合は、今は経済的な状況が比較的良いこともあるのだろうが、国内での移住しか考えなくて良い。昔、南米あたりまで移住していた時期には、命を賭けて生き抜こうという気運がみなぎっていたが、昨今はそこまで激しいことをしなくても、東京あたりに行けば何とか仕事にありつける。銃口を向けられる心配はない。

ただし、コリアタウン周辺は珍しい現象が近年起こっているそうだ。銃は向けていないが、デモは起きている。韓流がメジャーになった反動ではないかと思う。韓国人が元々持っている態度に理由があるのかもしれないが、例えば日本人の女の子が韓流イケメン男性に群がったら、奪われるのが嫌な男の子達は反感を抱くだろう。

戦前に朝鮮半島から日本に来ていた人たちには感心する。半島では食べていけないから来たのか、連行されてそのまま定住かは知らないが、周囲を怖い連中に囲まれて、それでも商売をやって行きぬこうという決意には感嘆する。日本人はマシンガンを持ってはいないが、敬意は払ってはくれなかっただろう。

私として個人的には何国人だろうと、その人が他人に敬意を払い、人として尊敬できる行動をとるなら何も嫌悪感を覚えない。でも、コリアタウン周辺の若者の場合、目の前で我が物顔に行動され、女性を奪われ、自分はモテないままだったら平気でいられるわけはない。デモはしないとしても、白眼視はするだろう。どんな態度かが大事。

患者さんの家族の中に中国出身者がいるが、皆それぞれ懸命さを感じ、尊敬できる。互いの敬意が決め手なんだろう。ただ、そんな人ばかりではないだろう。敬意は期待できない。場をわきまえず大声で互いに話す自分達だけの世界を作られたら、やはり嫌悪感を感じる。対立が長引き根深い物になれば、怖い事件もありうる。

日本の人口が減って、海外から労働力を導入する必要が高まれば、何らかの対立は必ず来る。日本に受け入れられることなど関心なく、ただの稼ぎ以外の目的はなく、自分達で社会を作り、敬意など払ってくれない人達が増える傾向はあるだろう。さらに東アジア諸国に対しては、終戦前の日本の行動がネックになっているので、厳しい衝突に持っていかれる可能性は常にある。

向こうにしてみれば、大戦中の悪行を反省しない非人道的な日本人に、敬意を払うなど考えられないだろう。こちらにすれば、解決できない問題をネタに非難されるばかりで抑圧されるのはたまらない。対立を煽る姿勢にも危機感を覚える。対立の解決策はないはず。まず、移民を要しないように人口を維持するほうが正論だろう。

人種はどうあれ最低限、常識的な敬意を保てるかどうかが重要。でも、もともと相手はこちらに敬意を払うつもりがないはずなんで、管理不能な状態に陥らないように、治安を確保する根拠となるものが必要。

たぶん、法的に規制してスラム化を避けないといけないのだろう。集まっても構わないが、そこに犯罪者が隠れたり、周囲との交渉を避ける傾向が生じたり、社会的義務を無視する傾向が生じるのはマズイ。問題が表面化しないうちに先に規定しておく必要がある。集会の自由、個人情報保護法など、理想主義的な法律を逆手にとってスラム化されるのは危険。

いっぽうで、警察側が先鋭化するのも困る。住民が暴徒化してしまうと、取り締まる警察と住民の諍いはエスカレートするばかりだろう。信頼関係を維持するために、それが可能な法的整備が必要と思う。あいりん地区でも繰り返し紛争が起こるくらいだから、人種が違ったらもっと激しいものになるだろう。

アメリカは移民を受け入れざるを得ない状況があった。暴動も奴隷虐待も酷いもの。かろうじて国が持っているのは、もともと国土資源の余裕があるからだろう。日本の場合は、事情が全く違う。施策でコントロールできるとは限らない。

どこにでも自由に住む権利がある・・・が、意志の疎通が充分にできて、権利意識も一般常識も通じるならばという基本が必要。基本的理解のない権利などありえない。敬意に関して規定するなど無理だろうが、敬意を念頭に、行政の目が届き、治安が守れるように、法的な整備をするしかないと思う。

 

 

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