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2013年8月23日

ルルドの泉で(2009)

Lourdescoop99

- 冷徹 -

奇跡によって長年の願いが叶うことを願う巡礼の集団。車椅子生活のヒロインは、自分の運命を呪っている。しかし、なぜか彼女に奇跡が起こる。すると、不思議な感情が周囲に起こる・・・

・・・心理的な表現が鋭い映画だった。DVDで鑑賞。心理的な面に限定した劇なんで、非常に大人しく静かな作品。子供には全く受けそうにない。恋人と観るにしても、ちょっと静かで盛り上がりに欠ける作品。

でも、心理描写の仕方は実に丁寧で感心した。病人達が実際の病気としか思えないほどリアルで、そのリアルさが作品の出来栄えに直結していた気がする。派手に演技をして障害者であることを表現していたら、作品のテーマから外れてしまう。

こんなテーマにしようと考える人は多いと思うのだが、実際に描くのは簡単じゃないだろう。役者達がリアルに演じてくれないと盛り上がりようがない。静かな劇なんだから。リアルすぎて演出が足りないと、今度は観客が理解できなくなる。バランス感覚が必要。作り手しか理解できないような愚かな演出がないのは素晴らしい。

コソコソと内緒話をする、そんなセリフの辛辣さが重要な作品であることは、作り手には最初から解っていたはず。脇役に近い御婦人の二人組や機嫌の悪い老男性が、実は本当の主役、最高のストーリーテラーだったのかもと思った。かなり捻った見方の作品とも言える。

もし誰かに奇跡的な幸運が舞い込んだら、「フン、あいつは信心深くないのに・・・」という感情が周囲に生まれるのは自然なこと。敬虔な信者でもそうだろう。それを戒めるのが宗教的な教えだが、信心深いはずの御婦人は真っ先に妬みの言葉を吐いている。そこが自然で、この作品の魅力になっている。

いっぽう、純粋に他人の奇跡を喜ばしいと思っていないこともないはず。滅多にない奇跡に遭遇できただけでも嬉しいのが普通の感覚。忌み嫌い呪うほどの嫌な感覚ではない。ただし、いっぽうで自分の願いが無視されたことの悲しみと、それによる恨みめいた感情が同居するのは仕方ないこと。

カンタータが流れる部屋で、音楽を聴きながら厳かな気持ちになって涙を流す人々がいる一方で、奇跡によって立っていた女性が倒れたら、「ザマミロ」に近い内容の言葉を吐く、もしくは「再び立てなくなったら、そのほうが悲劇だ」のような不吉な言葉を言う、それが珍しくないことを、この作品は実に端的に描いていた。役者達も自分の役割を充分に理解していた様子。

回復したかに見えた女性が倒れたら、やはり並みの付き合いは難しいと解る。「必ず戻ってきます。」と言いつつ、なにげなく離れていく男性の表情も上手い演出。こそこそとした様子を見せたらオーバーな表現になる。あんな時は、さもちょっと思い立った偶然のように装って離れるもの。

親切な男性が、いざとなると場を去ってしまう現実は、ちょうど合コンで美女が私の隣から去っていくのに似ている。残念ながら賢い選択だ・・・・納得する自分が情けない。

最近よく見かけるレア・セドゥ~セイドゥという女優さんは、この作品の公開当時に評判になった。かなり肥満体に写っていたが、たぶん着物を着こんで遊びたい盛りの娘を演じていたに違いない。役者らしくない顔のように映ったが、実はボランティアへの興味を失った普通の女の子がするであろう表情や仕草を、非常にリアルに演じていたようだ。

ラストでカラオケを歌う時の歌い方がおかしい。おそらく本当に下手ではなくて、天真爛漫な感じを出すために演じていたのではないかと感じたが、あの個性に好感を持った。お尻を突き出したダンスの踊り方もおかしい。あれも演技なんだろう。ボランティア活動に真剣に取り組める娘さんは少なかろう。パーティーではじけてしまうのが自然。

「ミッドナイト・イン・パリ」「ミッション・インポッシブル」では随分と細身になって、全く違った個性の女性を演じていた。本来は、下町の娘さんを演じる個性ではないかと思う。この種の女優は日本では少ない気がする。若手女優がいやらしい性格の女を演じると、その後の役柄に悪影響が出ることを心配して事務所が止めるのか?

認知症らしい女性が、勝手にヒロインを車椅子に乗せて世話してしまうシーンもおかしい。結局、きっちりと無償のボランティア活動をできるのは、認知症患者か、もしくは自分も病気の方だけなのか?

日本にはルルド詣でに相当するものはないと思う。伊勢参拝などの神社詣で、四国霊場まいり、千日行などは近いと思うが、特定の水や場所で雑多な奇跡が起こるという信仰はないのでは?だから、ルルドならではの作品だった。誰のアイディアだろうか?それに、よく撮影許可が降りたものだ。

 

 

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