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2013年8月 3日

復讐するは我にあり(1979)

Syoutiku

- ディオバン処方するは我にあらず  -

1963~64年に起こった連続殺人事件を題材にした原作から、今村昌平氏が監督した1979年の作品。日本アカデミー賞を取ったそうだ。上の画像を見ても解る通り、どぎつい映画だった。

雑誌やテレビの宣伝で物語の存在は知っていたが、公開当時は観ることはできなかった。遊んでいて何かされた時、ギャグで「復讐するは・・・」といいつつ反撃するのが当時の青少年の流りだった。優れたタイトルは子供にも影響を与える。

主演の緒方拳がニヤッと笑う顔が実に怖い。殺人のシーンも非常にリアル。殺される側も黙ってやられてはいないから、応戦して緒方のほうが跳ね飛ばされそうになったりする。殺され役は本当に怪我をしたかもしれない。

今村監督独特の泥臭さ、人間臭さが感じられ、まるでフランスの暗黒映画でも観ているような感覚。ストーリーはハードボイルドタッチで、お色気シーンも実にリアルでふんだんにベッドシーン(布団シーンというべきか)がある。今村監督がフランスでよく賞をもらう理由がわかった気がする。

共演していた中で最も重要だったのは三国連太郎演じた父親だと思う。単純に言えば、主人公は父親を最も殺したかったという話になるが、敬虔なクリスチャンでありながら誘惑にかられ、しかし忍耐し続ける姿は、ある意味ではどこにでもいそう。でも、一般的には立派と言える人物。その彼が、結局は怖ろしい殺人犯が生まれる原因になるという皮肉。それも、えてしてあることだと思う。

懸命に生きている父親が、殺人犯が生まれる本当の原因とは思えない。本質的には、子供が本来持っている感性の問題だと思う。戦争中の不条理も関係してはいただろうが、本質は子供によると思う。 この父親、原作ではどのように描かれていたのだろうか?もし原作でも父親をこのように描いていたら、モデルとなった事件の関係者から文句が出たはずだ。ペンによる暴力とも言える。

ただし、敬虔な信仰者に対して、その奥さんや子供が俗人だった場合、敬意を感じないのは事実。「独りよがりの偽善者」「感情を押し殺す分からず屋」・・・そんなスネた印象を持つ傾向はある。それは、誰に対しても一般に共通する感情。相手が父親で、強制的に従ってきた場合は、反動も激しくなる。その意味では犯罪の誘因になりうる。

女優達も、皆が素晴らしい演技で驚くべきレベル。

主人公に甘い母親は、夫を嫌悪している。息子がグレてしまった母親は、自分のせいじゃなく夫のせいにしようと考える。息子とは良い関係を維持しようとするし、夫の優れている部分をもけなしたがる。そのために子供はいっそうグレる悪循環。これもよくあること。はっきり言葉で夫を非難していない点が実にリアル。

妻役は肉欲にあふれる女性で、グラマーで野生的な風貌の倍賞美津子が演じ、殺される薄幸な女役の小川真由美も、実際の人物としか思えないほどの存在感だった。少し頭が足りない面があって、いろんな男達に利用されつつ懸命に生きる。その様が実に上手く出ていた。小川にはプロ根性を感じる。その根性ゆえに、使うには監督側にも能力が必要だったのかもしれない。

私のイメージだと、小川真由美はテレビドラマの脇役で、ちょっと頭の足りない女将さんか、娼婦っぽい悪女を演じることが多かった気がする。主役級の扱いではなかった。観ていて可哀相になるような、こんな切ない役を演じる能力ある女優でも、使える場面は限られている。こんな映画か、後は時代劇、ヤクザ映画などに限定されるかも。

モデルとなった事件の犯人は、いったいどんな人間だったのだろうか?小説の通りなのか、別な人格の際立って能力の高い稀代の詐欺師だったのか、解らない。

私が自分を弁護士ですなどと言ったら、直ぐにドギマギして顔に出そう。注意力が散漫になり、目的の金の強奪には失敗するだろう。嘘をつきとおせる自信など全くない。度胸というか、神経のかなりの部分が麻痺しないかぎり、詐欺は難しい。

詐欺を成功させるためには、おそらく子供の頃からの独特の訓練が必要だと思う。少年院に入って乱暴者集団の中で生き延びるためには、動物的な反射で自分を守る必要がある。嘘や演技も、その力になる。たぶん、彼の能力はもともともあったのだろうが、少年院で磨かれたのでは?度重なる逮捕で、自然と法律に詳しくなった点もありうる。

医者の中にも詐欺師っぽい人物は多い。京都の医大のデータ捏造疑惑も、真相は解らないが詐欺に近い状況が報道されている。話が波及して、慈恵医大や名古屋の先生もやばくなってる。昨日は東大の遺伝子学者の事件も報道されていた。たぶん、彼らも氷山の一角に過ぎないのではないか?

学会の捏造は強い競争意識から発生する。名を売る必要を感じるのだろう。学者の場合は、データをまとめ上げて論文にする過程で、操作できるシーンが相当ある。都合の良いデータを使い、都合の悪い例は不適合な症例として除外するなどは簡単。操作をしておきながら雑誌に投稿するのは勇気のいることだが、成功すれば名声が待っている。

講演に引っ張りだこ、壇上に上がってコメントを求められる、テレビ出演の依頼、雑誌への投稿、企業からの接待に、博士号を与えた部下からの謝礼。栄誉、尊敬、賞賛。それらが手に入るなら、操作も厭わないという考えはありうる。

問題の教授の講演を聴いたことはないが、コメントは何度も読んだ。歯切れがよく、明解な印象の文章だった。私のようなくどい文章とは正反対。面と向かって議論したとして、果たして自分が詐欺的操作に気づいたかどうかというと、さっぱり自信はない。すっかり洗脳されて尊敬していたかも。

彼は、どんな人だったのか?おそらく優等生で、上司からの評価も高く、人間的にも優れた人物と思われていたろう。教授になれたということは、評価が高かったからだ。私のようなマイナー医者とは大きな違いがあったはず。人の評価は難しいものだ。モラルにこだわる私は無能の謗りを受け、モラルハザードの権化は祭られる・・・とは言い過ぎだが、そんな傾向もある。

ただし、彼の論文は私の処方に影響しなかった。問題のディオバンが特に優れているというデータは日本の二箇所の施設や、その関連と思われる施設からに限定されている。優れた薬の可能性はあるものの、可能性の段階で止めるべき。これが今思うと、正しい判断だったようだ。同僚の医者達は凄い量の処方をしていた。私の処方をディオバンに変える連中もいたが、宣伝に踊らされているような気がしていた。

問題の先生も、学会の大多数も、近くの専門医も、論理の運び方が私とは違っていた。論理のレベルがどうだとは言えないが、外国と違ったデータが出てきたら、なぜ違うのか、正しいのか間違いなのか嘘なのか、信頼性のレベルといった方向から論文を読んでみるべきだと思う。そうすれば、私のような態度しか採りえなかったはず。

「まあ、患者に害がでなきゃよかろう。」といった軽い考え方もありうるし、学会の潮流に抗う勇気もなかったかも知れないし、乗り遅れたくない意識も働いたのか?やはり、専門家と言っても日本の専門家は信用できない。専門性以外の面に影響され過ぎる。

ディオバンには本当に優れた臓器保護の特異性があるのかもしれない。でも、真に説得力のある論文に出会わなかったので、今のところクリニックにも採用していない。詐欺に遭わずに済んだのか、もしくは優れた知見に乗り遅れてしまったのか解らないのだが、いずれにせよ、あんな事件があるとディオバンの復活は難しいかもしれない。

ディオバンがもし武〇薬品から発売されていたら、ここまで大きな報道にはならなかったかもしれないのだが、その点も気の毒には思うが、物事が明らかになる点では良かった。

 

 

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