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2013年8月 8日

晩春(1949)

- 私の奥さんになりたい -

娘と老父の家庭に縁談話が入る。父親も再婚するらしい。娘はこのまま父と暮らすことを望むが・・・・

・・・・「東京家族」で小津作品のことを思い出し、ひさしぶりに鑑賞。前回はビデオでの鑑賞だったと思うが、画質も音質も最悪の状態。聴き取れない会話に辟易して全体を鑑賞するのを止めてしまったのか、記憶が曖昧。今回はDVDの、おそらくリマスタリング製品のため、何とか鑑賞に耐えられた。

子供や恋人と鑑賞するには不向きな作品と思う。それは主に音質や画質のせいもあるし、テーマや表現方法から考えても無理だろう。

晩春は、生き遅れた娘の状況と、戦争をくぐりぬけ廻ってきた春のごとき当時の風情、そんなもろもろをかけていたのか?晩秋はよく耳にするが、晩春は日常では使わない。文芸や風情に疎い自分にはピンと来ない言葉。特に九州では晩春=夏である。春は風が非常に寒く、その後一気に夏になるので全く風情を感じる間がない。

主演は笠智衆と原節子で、共演者に杉村春子、三宅邦子などがいるのも約束事。杉村が財布を拾ってそのまま懐に入れてしまうシーンがおかしい。登場人物の性格は東京物語と同じで、ただドラマが違うだけ。そこが観客にとっては慣れや馴染みの感覚につながり、安心して観ていられるという良い効果につながったのでは?

皆の個性が決まってしまうので、役者達にとっては役柄が限定されて困った事態だったろうが、映画が受け入れられなければ話にならないので、この手法も仕方なかったのかも。黒澤映画でも、三船と志村のコンビが色々形を変えて主役を張り、個性的な脇役がいつも似たような役割を演じていた。芸能界ではよくあることのようだ。不満を言ったら外されるから、口答えできなかったのかも。

ヒロイン原節子嬢の笑顔が非常に目立った印象。今の感覚でいくと、少々笑い過ぎではないかと思う。その彼女が、自分の父親が再婚するらしいと知ると急に不機嫌になるのだが、その目つきは今度は今の感覚で言うとやや厳し過ぎる。完全に白目になっていたが、いくら何でも白い眼はやり過ぎでは?当時はあれが普通だったのだろうか?

確かに美人だが、体型や仕草、話し方などは全く現代の娘さんたちとは違う。仮に彼女が今デビューしても、あんまり注目されないだろう。もっと顔が小さく手足の長い、バービー人形みたいな女性が今の流行り。お母さん役なら務まると思うが、娘役はおそらく無理。

自転車をこぎながら出入りの若者と話すシーン。嬉し過ぎるくらいの笑顔が理解できなかった。あんなに笑ったら、当時でもおかしい、あるいは品がないなどと陰口をたたかれたのでは?あの表情から普通に考えると、ヒロインは若者に好意を抱いていて、サイクリングや語らいが楽しくて仕方ないはず。でも、後の話とは合致していない。

あのシーンは何かの台座に乗って撮影したらしく、体を固定された様子が解るから、撮影方法も理解できない。楽しさを表すためには、多少はダイナミックに体が動き、乗りながら何か語らうような様子があったほうがいいと思う。ただニコニコと笑っているばかりでは芸がないような気がするのだが、当時の技術的限界か?

まったく解らないのが、冒頭から登場している若者の意味。もしヒロインが恋心を抱いているなら、若者が結婚することに激しく失望する様を写さないともったいない。そもそも呑気に自転車でデートなどするはずがない。サイクリング中の笑顔はただ事ではなかったはず。観客の期待を裏切る効果を狙ったのか?

舞台か何かを男性が一人観劇するシーンで、ヒロインの代わりに花束が写っていたが、ああ写すなら男性の気持ちは当然ヒロインにあるとなる。でも後の話は全くそうはなっていなくて、何か解説に相当するシーンが抜けていたような気がした。

あえて曖昧にして観客の想像を期待したのか?もしそうなら、その効果には疑問を持つ。ドラマにならないはず。私が何かのセリフを聞き逃してるだけかもしれないが・・・

能を観劇するシーンは実に演劇的。登場人物達にセリフがいっさいないが、再婚相手を見て怒りや悲しみに襲われるヒロインの表情の変化が激しく、目鼻だちのはっきりした原節子嬢ならではの演技だった。のっぺりした普通の日本人では相当オーバーな顔をしないかぎり、観客には理解できなかったろう。

ラストで主人公がリンゴの皮を剥こうとするシーンもそうだが、静かでセリフのないシーンに趣を出そうとするのが監督の特徴のひとつのようだ。ちょっと演出過剰な気もする。

当時の映像か、または映画用の再現か解らないが、英語で書かれた道路案内がおかしい。占領下の風物のひとつだったと思うが、繰り返し登場して強調されている。皮肉の意味もあったのだろうか。

銀座あたりの建物が非常に立派なのに驚いた。撮影されたからには本当に見事に再建されていたということだろう。あえて壊れた建物を写していなかっただけか?相当なエネルギーと資本がないと、速やかに建物を作り直すのは難しいはず。復興にかける思いや野望が凄かったのだろう。

物資に困っている様子がさっぱり出てこなかったが、いかに上流社会の人達といっても、ケーキやパンをぞんざいに扱うほど当時の食糧事情は改善していたのだろうか?やっと田舎に芋を買いに行かなくてよくなった程度だったのでは?物書きや教授の給料など知れていると思う。実はもっと質素な家庭が多かったはずだが・・・

子供の頃、たぶん昭和45~50年頃か?バスの通り道にあたる熊本市の田迎地区の道路脇や白川の河岸には、バラック小屋のような建物がいっぱいあった。整地されてしまい、いつの間にか小屋は消えてしまったが、つい最近のことだったような気がする。

あの建物を撤去する際に、どんな予算が組まれ、金が誰にわたって住民はどこに移住し、どう暮らしたのか、そのへんが解らない。もしかすると満州などから撤収し、仮住まいをしていて市営住宅などに入ることができたのか?

その間、生計をどうやって立てていたのか?今のように仮設住宅があっと言う間に出来るはずがない。物資も金もストックが足りなかったはず。生活保護のシステムも、当時は未完成だっただろう。たぶん、ドカンやガード下に仮住まいの人もいたはずだ。でも映画では全く出てこない。

テーマと関係ないから出さなかったのか?地方と東京は違うとは思うが、さすがにきれいすぎたのでは?

この作品は黒澤映画の「野良犬」と同じ年に作られている。「野良犬」では雑踏や野原の中を主人公が犯人を捜す。闇市やバラック小屋、兵隊くずれの格好も多かったと記憶する。数年程度の設定の違いがあったとしても、きれいごと過ぎる感覚を持つ観客は当時いなかったのだろうか?

行き遅れた女性の感情は、自分にはよく理解できない。諦めや希望や焦り、納得や不安など、いろんな感情が生まれるのではと想像する。子供を生んでみたいという気持ち、金銭的な不安、老後への漠然とした不安に昨今の年金事情への不安が重なってしまうと、余計に心配が増えるだろう。

性欲などはどう解消されるのだろうか?男性とは違ったものがあるとは思うが、毛むくじゃらで臭い不潔なブ男と交渉するくらいなら我慢しようと考えるのか?イケメン男性を見かけたら悲しい気持ちになるのか?なかなか聞けない話。

問診の際に子供さんは?などと聞かざるを得ないのだが、独身ですと答えられた時に気まずい。まず「子供さんはいらっしゃいますか?」と聞いてから質問をしないといけない。明らかに独身臭が漂う女性には最初から聞かないのだが、それは差別かもしれない。

「子供さんはいませんよね。絶対あなたは独身ですよね。」などとは言えないが、勝手に先走った判断をしてしまう時はある。職員達は口に出さないまでも、「へえー、この人が結婚していたとは驚き。こんな外見で。」といった失礼な表情をする。酷い話。

自分がもし独身女性なら、家族の面倒を見て終わる人生も仕方ないかなと諦めるかもしれない。理想的な夫にはまず出会う機会がないし、夫や子供達の世話に明け暮れても感謝されない生活が待っているなら、いっそ一人で暮らして、やがてはどこかの施設に入ることも我慢する、そんな生き方もありえる。

今の時代、子供を懸命に育てても、子供自身の生活が厳しくなれば老後に世話を受けるのは難しい場合も多い。結局は子供や孫達は頼りにならない、そんなら最初から独身のほうが自由で良かった、そのような結果も珍しくないと思う。

ちなみに私が若い独身女性で、もし私と出会ったら結婚しただろうか?正直言って自信ない。この男は臭いから止めとこうと思ったかも知れない。ちなみついでに、今の私自身ならば私のような人間の奥さんになりたいと考えるが、これはナルシストだからではなく、単純に楽できるからだ。世話のやける亭主や子供の奴隷のような生活は、さすがに嫌だ。

 

 

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