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2013年7月 7日

黄金を抱いて跳べ(2012)

Seisakuiinnkai

- 甘いマスクは不要 -

銀行の地下に眠る金塊の強奪を狙う男達。それぞれが過去の暗い重荷を持つ。彼らを付け狙う勢力と戦いながら計画は進み、ついに決行されるが・・・

・・・犯罪者の作戦を単純に描くのではなく、学生運動クズレ、チンピラ、スパイ組織などを複雑に絡めて実によく練られた作品だった。原作が素晴らしかったに違いない。読んだことはないが、おそらく映画よりも小説のほうが登場人物の気持ちを詳しく解説することができるから、読み応えがあるに違いないと想像。

ストーリーが面白かったので、最後まで退屈しないで観ることができた。この作品は子供に見せるタイプの映画ではないが、恋人と観るのは悪くないだろうと思う。ラブストーリーではないが、退屈はしないと思う。

でも作品のようにスパイやチンピラ達が街中をウロウロしていたら、警察がまず動いて犯行の邪魔になることが多いと思う。暴行事件だけでも、通報されて計画がストップしてしまう。勘の鋭い刑事が、何か別の計画をしていないか探ってくると、自由に動くのは止めざるをえないと思う。銃撃事件を起こしたら、余計そうだろう。町中が警官だらけになる。

小説としては様々な人物が登場するほうが楽しいが、日本の警察は甘くない。パトロールが強化されて、目と目が合って表情を読まれ、関係のない人間が目つきのせいで尋問される。活動を制限しないといけなくなるのでは?リアルさを作品に持たせるなら、こっそり活動しているオドオドした雰囲気を出しても良かったのでは?

小説はおそらくハードボイルド路線を狙っていたと思う。旧来のハードボイルド作品は、主人公はハンサムであってもニヒルで、体格はガッチリ型のことが多かったと思う。工作員や刑事役をするのも、体力があって実際の殴り合いでもかなり耐えられそうな印象の役者がよく使われていた。この作品は、ハンサムな優男が多くなかったろうか?

ハードボイルドの良い点は、展開が速いことによる張り詰めた緊張感や、情け容赦のない人物の爽快な生き方。情けや情緒に足を取られて動きが遅い人物がバカバカしく思えるような、そんな人物に憧れに近い爽快感を感じることができる、それが映画の魅力になる。

この作品は、そんなクールな路線とは少し違ったものを狙っていたようだった。過去を引きずる、情緒たっぷりの人間達の計画を狙ったとなると、中心のテーマが友情や連帯感などになるのか?そのわりに登場人物の関係は簡単なものだったようだが、監督の演出の意図が量りかねた・・・

作戦の中心になった浅野忠信の表情が実に素晴らしかった。いかにも作戦のリーダーになりそうな迫力を感じる。ただ、彼と奥さんの関係、奥さん役の女優のキャラクターが少し曖昧に思った。いわゆる姉御風か、悲劇のヒロインのどちらをイメージしていたのか?

なぜ彼が思い切った犯罪をしなければならないのかも、少し理解できなかった。家庭を持っていても、仕事でそこそこの生活が維持できていても、絶対にやらなければならない何かの事情があるはずで、それがセリフだけでは不自然にしか思えなかった。誰でも納得できれば共感につながるが、短い映画の中での解説には限界があるのだろう。

妻夫木演じた人物には迫力不足を感じた。「悪人」で見せたのと同じように、犯罪者の表情はキープできていたが、体格的な迫力、鋭さは感じなかった。二枚目の彼が強盗犯を演じるからには、メーキャップが相当必要だろう。声質も違う気がする。本来のキャラクターには合っていないと思った。浅野と同じく、どうしても犯行をしないといけない理由は感じなかった。

犯行仲間の桐屋健太は素晴らしい役者ぶり。場にそぐわない大きな声、ギョロッとした目を見せたかと思うと、実際の犯行では緊張のあまり失敗してしまう、確認のしすぎてかえって事故を招くといった愛すべき役柄もあって、一番好感を持った。こんな役をやらせたら、最高の役者に違いない。

敵が欲しかった。今回の最高の敵は、北朝鮮スパイ組織かチンピラだったようだが、普通ならヤクザの親玉、もしくは性格的に問題のある刑事が悪役として立ちはだかることが多い。そんな通常の趣向と違っていたのは、意表をつく設定で良かったのかも知れないし、趣向倒れに陥ったのかもしれない。

アクションシーンは物足りなかった。ハリウッド映画のように派手に殺しまくる必要はないが、銃を撃ってもほとんど外れる、素手で殴って普通に倒すなど、リアルさの点では問題あり。いかな素人でも、近距離で銃を撃ったら相手は無傷ではおられないだろう。殴られたらしばらくまともに動けないし、殴ったほうもよほど拳を鍛えた格闘家でないかぎり、手が痛くて使えないはず。

左翼運動クズレの人物らにもリアルさは感じなかった。理論が先走る生真面目そうな面や凶暴化した雰囲気がなく、ただの浮浪者のような恰好で、怖さが足りなかった。主人公が恐怖を感じるような迫力や、いやらしいほどのしつこさを出して欲しかった。

そう言えば、最近は左翼系の活動家の噂をとんと聞かない。ほんの20-30年前くらいはテロといえば左翼系だった。いつのまにか宗教団体や、鬱屈した個人が中心になっていて、アルカイダなどのような壮大なグループ犯行に及んでない。

左翼学生はいったいどこに・・・・?ひとりは知事として生き残って、失言をしたりしているかもしれない。ライバル都市の印象を下げようという意図が、品位を欠く言葉になってしまったのだろう。同行したスタッフが直ぐ注意してやればよかったのだろうが、知事の勢いが怖くて何もできなかったのか?自爆テロのような行為は、まさに左翼そのまま。

知事は、査問委員会の委員には最適な個性。問題を指摘し、誰かを攻撃している時は非常に明快で勇ましいが、宣伝や売り込み、協力を要請する仕事には向かない。そこを自覚し、またスタッフも認識し、誰か柔和な人物を表にすべきで、攻撃的な人間は自分の役目に徹するべき。それも勝利のための重要な戦略で、知事達は稚劣だった。

作品の中の北朝鮮のスパイ達も迫力不足。実際は兵隊としての訓練を受けているはずだし、音が出て足がつきやすい銃を安易に使ったりするとは思えない。そもそもモモ役で登場していた韓国のアイドル歌手は、甘いマスクで役柄に合っていなかったと思う。若い観客を呼ぶためにはアイドルタレントが確かに必要だし、キャスティングは難しいが、他にも男っぽいアイドルはいるだろう。

歌手やアイドル路線からヤクザ映画に転進して、そちらで活躍しているタレントは多い。安岡力也や悪人商会の俳優達がおよそそうだ。転進組はビデオ専門のシリーズで稼いでいるらしい。彼らは顔は元々美しいのだが、声質や体格などの点で犯罪者役に向く。彼らのような役者が望ましかった。

 

 

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