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2013年7月19日

ミッドナイト・イン・パリ(2011)

Mediapro

- 雰囲気の良い映画 -

ウッディ・アレン監督作品。小説家志望の主人公が訪れたパリで、タイムトラベルによって1920年代の芸術家達と知り合う・・・

・・・単純なアイディアの映画だったが、好感を持った。パリの町が舞台となっていたことが良い結果につながっていたと思う。ノスタルジックなバーの光景、古い音楽、それらが非常に雰囲気を良くしていた。

熊本市では電気館で結構長く上映されていたが、子供映画を次々と観る羽目になって劇場での鑑賞はできなかった。DVD版で鑑賞。

男女が複雑に恋愛模様をこじらせる話が多い監督だが、この作品は映画本来の魅力を持つ小話だと思う。設定が良かったせいだろう。アイディアが単純、登場人物は有名で誰でも興味を持てそう、女優も魅力的、ノスタルジーは確実に魅力となる。勝算は最初からあったろう。いつもの辛辣さや強烈さはないが、適度な批判精神、センスに基づく良い話だと思った。

パリの街並みを長々と写していた冒頭の部分は、多少くど過ぎる印象を受けた。アレン監督の思い入れのせいかもしれないが、確かに美しい景色ではあるものの、人物の登場までの前置きとしては長過ぎ。

洒落た風景は確かに素晴らしい。旅行で行った時に観た実際のパリの街は、映画で観るよりくすんだ印象を覚えたが、この作品で観たら行きたくなってきた。それだけ映画が上手く写していたということだろう。

主人公のオーウェン・ウィルソンの表情が素晴らしい。最近の彼はボンヤリした役柄が多いが、ダボダボのズボンをはいてボンヤリ町を歩いていると、それだけで好感につながる不思議な個性。あんまり頭が切れそうに見えない点が良いのか?安心感につながる。

確か、過去に自殺未遂事件を起こしていたと思うのだが、そんなナイーブさが、そのまま役柄にも反映されて良い演技につながっているのかと感じる。

彼はアレン監督の代弁者、夢想の一人称代理人として描かれているようで、常のごとく一人称の映画になっている。共演者は、いかに魅力的なヒロインとて、添え物のような扱い。感情の奥底まで解説されるのは主人公のみ。そんな印象は受ける。

もし、これがヒロインの悲しみを中心に描いたらどうなるか?と、思わないでもない。

婚約者役のレイチェル・マクアダムスは、今回は特に目立つ役ではなかったと思うが、演技は実に上手だと感じた。

恋人役になるマリオン・コティアールは、今回は飾りもの的な役柄で、私には非常に魅力的には写らなかったが、充分に役割を果たしていたと思う。フランス美人=マリオンというイメージが出来上がっているので、他の女優が出てくるのは今の時点では難しい。

カーラ・ブルーニ・元大統領婦人も出演されていて驚いたが、彼女がヒロインを演じることは無理。さすがの大統領夫人も、マリオン嬢には敵わないのか。

ヘミングウェイ役やダリの役などは、多少無理があったかもしれないが、誇張された個性を演じていて面白かった。フィッツジェラルドの人物像は知らないのだが、あんな遊び人風の青年だったのだろうか?いかにもというセリフがおかしい。

この年の脚本賞を獲得したらしいが、おそらく彼らに語らせたセリフの絶妙さによるのだろう。

あんなに毎晩飲み歩いていたら、さすがの才能も枯渇してしまうだろう。文章をまとめるためには、素面でないといけない。たまに飲んだくれても気分転換になってアイディアは出るだろうが、まとめには冷徹さが必要だ。

彼らが生き急ぐかのような激しい生涯を過ごしたのは、まさに彼らが時代の申し子だったからでは?たぶんに戦争が関係している。倫理や価値観を総ざらえで破壊する戦争は、若者の心に大きな喪失感を与えるのだろう。

ナイーブな感性の人たちは、巨大な戦乱では精神的な安定感を失うことが当然。極端な行動、衝動的な発想、それらが文学作品に向かえば魅力的な味わいにつながるが、やはり人生の維持のためには、安定も必要だろう。

ロスト・ジェネレーションの影響は、この作品を含め昨今の映画でも垣間見れる。そう言えばギャッツビーがリメイクされたが、やはり脚本家や監督達の間では、この時代の作家が影響力を持っていることの証だろう。

誰でも成長の過程で、子供時代の常識、習ってきた良識が実社会で通用しないことを体験する。学校でのイジメや、会社での理不尽な扱い、恋人や夫との諍いなどで理想通りにいかない時に、自分の思考の規範となるものの修正が必要だと感じるはず。

そんな時には、大胆に常識を覆そうと実験的な人生を歩んだ先人に、何かのシンパシーを感じるものでは?私自身は、どうもヘミングウェイの作品に魅力は感じなかったが、訳の文の問題かも知れない。

 

 

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