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2013年7月 4日

陽のあたる場所(1949)

Paramount

- 上昇志向 -

親戚を頼って町にやってきた青年。仕事につき恋人もできたが、美しい令嬢とも恋仲になり、二股交際になる・・・・

・・・・「華麗なるギャツビー」で思い出してDVDで鑑賞。実際の事件を題材にした小説を原作としているそうだが、暗い題材でハッピーエンドでない話なんで、アメリカでのヒットは狙いにくいタイプの作品だと思う。ところが結構な評価を得たそうだ。暗い話でも、心うつものを感じられたからか?

確かに出来の良い映画だった。スクリーンでうっとりしながら観たであろう当時の観客の気持ちが分かる。特に主演の二人の魅力が際立っていた。美男美女、大スターの力だろう。今の俳優達よりは少しオーバーな演技かも知れないし、カメラの位置なども独特のものを感じるので、今風の映画とは言えないかもしれないが、クラシック映画ほど時代を感じるとは思えない。

ただし、この作品は既に古典になってしまっており、真似された例も多いはずなんで、今の若い人たちが感動するなんてことは期待できないと思う。そして、もともと子供向きには作られていないし、テーマとしても子供を交えて家族で観るべきとは思えない。恋人と観るのも気まずい感じ。

良くできた作品だった。作り手の意欲を強く感じる。サスペンスドラマではなく、勧善懲悪だけの作品でもなく、純愛に近いロマンス映画と言えなくもない、美しいラブシーンも印象的だった。ラブシーンによって、犯罪映画から純愛映画へと香りが替わったかのような印象。そこを狙っていたのではないか?

さかんにオーバーラップさせた編集が使われている。上流階級と、主人公の世界とを対比させる効果を狙ったようだ。こだわって繰り返したのは、編集者の意欲が相当なものだったからのように感じる。おそらく、この編集方法には反対する人も多かったはずで、それを説き伏せたのだろう。

モンゴメリー・クリフトの出演作の中で、一番彼の存在感が高いように思った。「地上より永遠に」の主人公も相当ひねた人物だったが、トランペットを吹いたりして恰好付けされた面も感じた。この作品の主人公はもっと自然で演技を感じさせない。もともとのキャラクターにも合っていたのだろう。

良い役柄ではないのだが、成功への野心が渦巻く社会に暮らす青年の辛さ、悲しさを表現して、悪役にも関わらず共感を得るに近いレベルに持っていく力があった。演出や、役者の個性、表現力がそろってできた仕事。

でも、こんな役柄で存在感を出しすぎてしまうと、その後の役が限定されるマイナス面はある。彼がアクション映画でヒーローになるのはイメージしにくい。キャリアのことを考えると、避けたほうが良い役だったのかも。青年期を過ぎて、この役を演じた俳優がいったいどんな役柄に挑めるか・・・想像できない。

この作品は後年の「太陽がいっぱい」とテーマ的には同じと思う。アラン・ドロン演じた主人公との違いは、舞台が海か湖であること、それにともないボートからの転落がチャチかどうか、殺人に至る殺気の違い、そんな微妙なキャラクターの差があったようだが、両者とも共感できる主人公に思えた。アラン・ドロンは、より計画的で悪質だったが。

戦後は社会が安定し、経済発展して好景気が続いて一攫千金や富豪になるなどの大成功をおさめる人も多かったと思う。チャンスをつかもう、金持ちになろうという野心あふれる風潮は、若者だけではなく世界中に蔓延していたと思う。悪人であっても、境遇や野心に同情する傾向は国を問わずあるだろう。

富に対する圧倒的な憧れ、野心、渇望。それは目の前に裕福な人間を見るかどうかで違う。周りがみな貧乏なら貧乏も我慢できる。著しい差を見せつけられたら、穏やかな気持ちではおられない。豊かでしかも美しく魅力的な女性が目の前にいたら、心から欲しいと願うだろう。

エリザベス・テイラーが17歳くらいで出演している。上流階級らしい雰囲気が漂い、ヒロインとして最適の魅力を感じた。後年のメーキャップの独特の眉毛はこの作品ではノーマルに近くしてあったようで、あんまり妖艶な感じにはしていなかったようだ。

目の周りの肉がたるんでないせいか、彼女にしては目が小さく見えた。眼輪部に脂肪が多く、皺が入ってないからだろう。無駄にオーバーな表情を見せないので好感を持った。

水着姿を見ると健康的で、スタイルが最近のモデル達とは全く違う。今だと彼女がキャスティングされるためには激しいダイエットが要求され、容姿も台無しになってしまうだろう。健康的な体型は、上流であることの表現には大切だと思うんだが。

激しい競争社会のアメリカでは、おそらく出世のために恋愛対象を乗り換えたりすることも稀ではなかったと思う。会社の重役の家族に入れるかどうかは、その後の生活に大きな違いが生じる。その差が、日本よりも著しいのだろう。

日本でも金持ちの一員になるかどうかは、安定度に関しては大きなこと。終戦後を除き、およそ階級が安定してしまうと、一生が大きく左右される。特に政治家の一族と全くの個人とでは選挙運動の出だしが全く異なるので、二世三世議員が多くなる結果にもなっているが、社会の固定化、政治家の能力の面で良いことではない。

運と能力で若者がのし上がれる社会の制度は必要。上役のお覚え、コネ、そんなものの影響が最小限になるように法的な規制を設けない限り、社会が活力を失い衰退すると思う。青年の野心が多少はかなえられる余地は欲しい。

 

 

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