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2013年5月20日

ハッシュパピー~バスタブ島の少女~ (2012)

Cinereachpro

- 実に映画的 -

低湿地の島に住む少女は、父親とともに小さなコミュニティーの中で暮らしていた。しかし、ハリケーンが島を襲い、村は存亡の危機に瀕してしまう・・・

・・・劇場で鑑賞。この作品はSFではないのだが、完全なリアルドラマでもない不思議な物語。強い印象を残した。

よく解らなかったのは、舞台設定。場所はルイジアナ州らしいので、たぶんミシシッピー河口のデルタ地帯か?ハリケーン・カトリーナに襲われた時、おそらく海岸近くの村は壊滅状態に陥っただろう。ハリケーンが去った後も水が引かないのは、上流からの水のせいか?

南洋の島なら解るが、かの地も海水上昇の影響を受けるのか、温暖化によるハリケーンの巨大化だけの問題か、よく解らなかった。もともと水害によって出来たような島。住むには危険すぎるのに避難しないのはなぜだろうか?車がないから?

堤防の破壊というと、カトリーナの時に堤防が決壊してニューオーリンズが浸水したことを連想する。堤防の決壊で水が町側に流れるなら、むしろ被害が町に及ぶことになってしまう。大河の河口では、どこもかしこも浸水するから、堤防をいじっても水が減ることは考えにくい。

そんな疑念は、たぶんあまり意味がないのだろう。架空の部落を舞台にして、おそらくはアメリカ南部の貧困集落に生きる人達を題材にしただけだろうと想像。

工業地帯に対する嫌悪感を象徴していただけのように感じた。原始人のようなスタイルで生活する人達と、進化した文明社会とを対立させた構図が、この作品のスタイル。舞台設定がアフリカや南洋の島だと、ありきたりの物語になる。南部の集落を舞台にしたのは、作品を独特なものにしたようだ。

その魅力は、おそらく子供にも伝わるものがあると思う。恋人といっしょに観たら、後で何か強烈な映像体験だったと語り合うことが出来る作品だと思う。家族で観ることも、友人と観ることもお勧めの、映画らしい映画。

実際に河口付近には、あんな集落があるのだろうか?黒人と白人が仲良く暮らしていたようだが、仕事は漁だろうか?どこに魚を売っているのか?酒びたりで暮らしていける生活の基盤が全く解らなかった。

少女が目覚める部屋の汚さは凄かった。おそらく、ダニや毛虫、ゲジゲジの類がいっしょに寝ていらっしゃることだろう。あんな環境で病気しないで生きていけたら、相当な免疫機能があると言えるかも。

採って来た海老やカニを生で食べていたが、普通は熱で処理しないと寄生虫をもらってしまう。一定の知恵があるなら、子供にそのままあげたりはしないだろうに・・・でも、あんな無茶苦茶な生活ぶりは、作品を強烈にする効果があった。おとなしくナイフとフォークで食べようとした娘を父親が怒ってがっつかせるシーンがあったが、強烈な生命力を表現したシーン。

主人公を演じていたのは、オーディションで選ばれた少女だそうだが、今回が初の映画出演らしい。あまり可愛らしくはないのだが、怒った時の表情などが実にリアルで、非常に上手かった。本物としか思えないほどの名演だった。

父親役も実にリアル。こちらも役者ではないそうだが、本物の役者以上に上手い。上手いのか、現地人らしい見た目だけで演じているのか解らないのだが、とにかく実在の人物としか思えない存在感が奇跡的。

両人とも、あまり頭の良い生き方はしそうにないキャラクターだった。喧嘩の時には物を投げあい、壊し合い、ゴミ箱のような家で暮らしている。食事のシーンも凄まじい。鳥を丸焼きにしてむしって食べるだけ。野菜を食べるシーンがない。家畜と同じものを分けて食べている。誇張されていたが、映画には絶対に必要な設定だったろう。

子供の頃に遊びに行く祖父の家は、土間に作業衣姿の叔父達が座り、子供達は縁側などにたむろしながら、鳥肉をむしって食べていた。あの食事は実に楽しいものだった。犬が肉の残りを食べに来るのも楽しみで、犬に催促されながら分けてあげる時の気持ちも覚えている。犬といっしょに生きている実感があって、何だか幸せだった。

父と娘だけの家族なのに、別々に暮らすというのはおかしい。要するにプライバシーを守るためといった理屈で、部屋が狭いから分かれて暮らしているのか?もともと狭い家に住む日本の家族なら、絶対に同じ家に住むと思う。やはり、同じように原始的な生活であっても、習慣の違いはあるのか?

でも、互いの心の結びつきの強さは充分に感じた。多少誇張されていたとは思うが、あんな暮らしの貧困層の家庭では、寄り添う分だけ濃厚な結びつきが出来るものだろう。

セリフも良く考えてあった。深遠な意味に通じる言葉が、野人並みの簡単な言葉で話されていた。

古代の巨大生物が登場するシーンは、この作品に深遠な印象を残す効果がある。地球温暖化や、石油流出などの環境破壊を、生真面目に描いてしまうとストレートすぎて嫌悪感を感じる人も多い。そこを神話みたいな話で描けば、立派な芸術になる。そうでないと誰も観てくれない。ただし、もっと予算があったら、きっとあれはCGにしたほうがいいだろう。

そう言えば、この作品の宣伝文句に、「もののけ姫」の実写化という文があった。確かにあの怪物は、イノシシを連想させるものだったから、影響を受けていたのかも。少女も怪物も、ともに怒っていたから、その意味で仲間なんだろう。

 

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