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2013年5月23日

暗殺の森(1970)

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- 時流について -

イタリア・ファシズムに傾倒しようとした青年が経験する事件を中心に描く。

有名な作品だが、リバイバルで観る機会もないままだった。昔は名画座のような劇場があって、時々古い映画を並べて一日中放映してくれたものだが、ビデオの普及で成り立たなくなったようだ。リバイバルという言葉すらなくなりつつある。

図書館や美術館などで、たまに古い映画を上映してくれる。あれは許可をとってやっているのだろうが、もしかするとDVDかブルーレイを使っているのか?今回はDVDを見つけたので、さっそく鑑賞。

この作品、大まかな印象としてファシズムの時代のイタリア人を、映画でいかに表現するか、映画的な手法で当時の人間の心の動きや行動をいかに表現するかに徹した作品だと感じた。出来が良かった結果、より一般的な視点から人間性に関して考えさせられる作品になっていると感じる。

大きな時代の変化を、自分達の親世代の行動、社会全体が陥った狂気の時代を、物書きは文章で、写真家は写真で、映画人は映画で表現し、総括すべき。たぶん、それが芸術家の宿命だろう。’70年の時点で、そうやることが義務だと感じたのではないか?道義的責任を感じるのが普通だろう。

主人公は、幼少時代に青年を殺したことがトラウマになっているという設定。その記憶から逃れるために、自分の身を捧げるものとしてファシズムを選んだようだ。自分を成長させ、主人公の言葉によれば‘正常化’する手段として、実際に当時の純粋な青年は熱狂した面があったのかも。単純に言い切れないが。

でも主人公のトラウマは、一般的なものだったとは思えない。なぜトラウマを持つ主人公にしたのか、理解はできない。何か特徴づけることが目的で、かならずしも一般性は必要ないと思ったのか?貧しさや愛国心などが契機となるような、普通の青年がファシズムに魅力を感じる話ではいけなかったのだろうか?当時のイタリア人には、何か負い目に感じるものが広くあったのだろうか?よく解らない。

主人公には常に悩みや迷いがある様子。自分は異常で、正常にしたいと願っている。婚約者と心から愛し合っているようには見えない。どこか軽蔑している面もあるようで、投げやりな態度で相槌をうっている。そんな主人公のキャラクターに、普通の人は共感しにくいように思えた。少なくともヒーローではないので、爽快さを狙えない。

熱狂的にナチズムに参加したイタリア人は、相当数としても過半数をこえるほどいなかったのでは?文明国のイタリアであるから、極端な政治思想に皆が一致して熱狂するはずがない。徐々に支持を集め、やがて合法的に強制力を持ったにすぎないだろう。当然、党員でありながら消極的な参加者もいたはず。党員になったけど、自分の居場所がないような感覚を持つ人、信奉者でない人はいるだろう。

主人公のキャラクターと同じく、作品も暗い雰囲気。タイトルからして悲劇的で残酷なイメージが湧く。だから、子供には全然面白くないはず。恋人と観るのも全く勧められない。気分が落ち込みそうだ。ただ、そんな映画でも作らないといけない。観るのも辛い作品でも、あの時代を映画的に整理して表現しないといけない。

だから基本的には一人で鑑賞すべき作品。仲間と観るなら、映像美にこだわる人、オールド映画ファン、そんな人たち専用の映画だと思う。美しいシーンが多かった。

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色っぽくて美しいダンスのシーン。パリには当時、実際にこのようなダンス会場があったのだろうか?今では考えられないクラシックな踊りだが、今風のヒップポップ系ダンスにはない優雅さが漂う。その優雅さが、後の悲劇と対照的。主人公が悩むばかりの映画ではつまらないから、華やかで対極的なダンスが有効。

このシーンで特に色気を感じるのは、ヒロインのドミニク・サンダではなく、酔っ払った若い娘のほう。ダンスのために酔っ払う設定にしたのか、快楽を求める娘のキャラクターを強調する意図だったのか知らないが、はじけてしまった状態で踊る娘は魅力的だった。

彼女は彼女で、ファシズムや国家間の対立のことなど忘れて、世俗的なことに気を持って行きたい人達を代表していたように思う。アール・デコ調の装飾品などに象徴される気分。映画「キャバレー」と似ている。退廃的な雰囲気に酔いたい、そんな感情が窺える。優雅さ、ケタケタ笑う姿は、現実逃避ともとれる。

この作品では女優達がヌードを披露しているが、美しくてもいやらしくは感じない。退廃的な雰囲気や、政治からの逃避、単純な肉欲などの表現にヌードが役立っていると感じる。必要性を感じるので、いやらしく感じないのか?

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ドミニク・サンダが非常に目立っていた。お色気たっぷりの魅力に主人公の心が動かされる様子が誰でも理解できるほど。バレーの先生という設定だったようだが、そんなに滑らかな動きはしていない。亡命して直ぐバレーのコーチになれるのだろうか?それも疑問。よく見ると実はたくましく、肩が結構がっしりしている。

主人公は情けない人物だった。彼の監視役の男が、彼をひどく軽蔑する。ヒロインを救うことも止めを差すこともできない、最悪の日和見主義者みたいに言うが、確かにそうだろう。勇敢なら、ヒロインを逃がすか自ら殺すかしている。

ただ、実際には勇敢になりきれない人物が大半のはず。おそらく私が主人公の立場でも、同じような行動をとると思う。流されるまま軍国主義者や暗殺者になり、兵隊に入って残虐な行為もはたらき、うって変わって反戦主義者にもなる。特に酷いのは、かっての友人を指差して「彼はファシストだ!」と叫ぶシーン。浅ましさも極まれリというセリフだった。

大半の人がそうだったのかも。ファシストが怖い時期には、従っていないと命がない。時には片棒を担いで、汚い仕事にも参加する。でも腰は引けている。そしてファシストが失墜したら、急に犠牲者を演じる。それは日本人もそう。時流に流されたからだろう。

さて時流と言えば話題の慰安婦問題。5月14日の時点で、大阪市の橋下市長が従軍慰安婦の問題を取り上げ、当時は仕方なかったという意味のコメントをしたらしい。積極的に容認するという意味ではなかったようだが、そう解釈されても仕方ない。必要という言葉を使ったのだから。はたして当時の時流で慰安婦は‘必要’だったのか?当時の兵隊だった人達は問題に対して口を開いていないようだが、彼らは流されていないだろうか?

はっきりしたことは言えないが、戦争中は軍と関係の深い女衒が暗躍していたと思う。軍が自ら管理すると法的に面倒だし、関与した軍人は軍の内部でバカにされて出世できないから、おそらく軍が組織的に直接管理することはしない。でも間接的には充分に関与し、利用したことだろう。女衒と結託した兵士もいたはず。

言葉の選択で、いろいろ表現しうる。

①必要・・・というと通常は正当化と同義語に近い。慰安婦が必要だったと言うと、正当なもので軍も公式に認めていたし、今もそう思い反省はしない、そんな印象につながる。だから通常は、必要だったかと問われても、この言葉を使って返答してはならない。

②関与・・・軍が組織的に管理はしないだろうが、女衒と特殊な利害関係があるなら間接的に関与していたことになる。それは相手国からすれば直接関与と同じこと。慰安婦の存在=軍の関与としか思えない。直接関与した記録があるかどうかは、本質的な問題ではないが、論点のすり替えには便利。映画の主人公も、直接の関与は避けていたようで似ている。

③侵略・・・もはや解説しても意味がない。「侵略の言葉の定義が定まっていない・・・」などの答弁は、言葉遊びの好きな役人が書いたものだろう。侵略、進出、進駐、協力など使い分けて偽装するのが侵略者であることの証明。相手のことを考え、言葉使いには気をつけないといけない。

想像に過ぎないが、当時のほとんの兵隊は口には出さずとも、慰安婦は必要と思っていたはず。仮に私が兵士の一人だとしても、自制心は働かないだろう。彼女らの人権を尊重したとは思えない。もし私が慰安婦を解放しろなどと言おうものなら、間違いなく半殺しの目にあう。おそらく慰安婦からも殴られる。彼女らの収入を絶つことになるからだ。

どの国でもそんな状況だと思う。でも‘だから必要だった’とは言えない。必要という用語はもともと論理が先に立ち、冷徹で感情を無視する印象を持たせる。

市長がどのような意図で発言したのか解らない。確かに戦争に暴行、性犯罪は付きものだろうとは思う。慰安婦的存在は日本の専売特許ではないのだろうが、だから何を言いたいのか?正当化できるはずがないのに。正当化できないものを擁護する場合は、細心の注意が必要。よほどの意図がないかぎり、話題にすることは避けるべき。

批判を浴びた氏はその後、日本軍だけを問題視するのはおかしいという論点に変えている。批判されたら、「じゃあ、あんたの国はどうだ!」と反論できる。でも、相手だって「明らかに日本軍は酷い」といった主張を繰り返すだけだろう。作品の主人公は、戦後に友人をファシストだ!と指差していた。自分が助かるためだが、そんな論法では評価を下げるだけでは?

戦勝国の慰安婦は許され、敗戦国は非難決議を受ける。それは確かにおかしいが、現実である。それを取り上げて得るものがあると考える何かの見込みがあるのか?慰安婦制度を容認しない立場なら、必要などの言葉を使ってはならない。意図があれば別だが、大人の発言とは思えない。

 

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