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2013年4月 7日

クラウド・アトラス(2012)

- 欲も必要 -

異なる時代の中で、異なる男女が生き抜こうと戦う。共通するのは、どのように考え、どのように生きるべきかという選択を迫られる点。それぞれの登場人物は、どのように道を選ぶのか?

壮大なテーマ、まさにSF的としか言い様のない構成と展開に驚いた。ただし、鑑賞した後の余韻が非常にあったとは思わない。輪廻転生は我々の感性の基本であるので、目新しいインスピレーションを感じるわけにはいかないからか?または、単に演出の手際の問題か?

この作品にはR指定が付いていた。残虐な場面もあり、子供には全然向かないと思う。家族で楽しむタイプの映画ではない。楽しいシーンは全くないし、構成が複雑で子供の理解を考えていない。恋人と観るのは悪くはないかも。恋の話がいくつかあったから。

冒頭で登場するのは顔に大きな傷を持つ老人。彼が明確に6個の時代を認識していたようには見えなかったが、フラッシュバックのような短いシーンがあったから、作者はそういう意図だったのだろう。トム・ハンクスが繰り返し登場していたから、観客は‘生まれ変わっているんだな’と推定できる仕組みらしい。

でも、セリフでも明確にすべきだったと私は思った。そのほうが転生を明確に理解させられるから。悪魔が登場して主人公をそそのかすなら、別の編でも登場させて、それぞれの主人公にささやくという手もあったと思う。主人公が悪魔であっても良い。

この手の展開は過去いくつかの映画で観た記憶がある。たいていの場合は話が混乱してしまい、ストーリーも一度に理解するのは難しくなり、テーマが曖昧になることも多い。今回も私は充分に理解できなかった。途中で患者さんから電話がかかってしまい、抜け出して電話対応をしたせいもあるだろう、盛り上がっていたらしい逃走劇を見逃して、何だかよく解らないうちに閉幕となった。

小説には向いている構成だと思う。文章なら、後に戻って復習することも簡単。書かれた場所も明白だから、確認する際には便利。映像の場合は、特に劇場での鑑賞の場合は一回勝負だし、DVDでもリモコン操作のミスや無駄な表示などで時間をロスすることも多く、さらに演出がよろしくない場合は何度観ても理解するのが難しいことも多い。複雑な話は、書物が向く。

映画の原作の中には、文章表現だけに向く題材、ストーリーは多いと思うし、この作品がまさにそうだったと思う。だから映像用に工夫して欲しかった。くだけた解説、誰が観ても解るような時間配分、単純な編集が望ましい。この作品はやや複雑過ぎた。

6編の話の互いのつながりを登場人物が認識することは、通常なら登場人物の夢などで表すと思う。深遠なイメージの夢の画像の中に、過去に出会った人物が現れ、そして現実世界で夢と同じ人物に出会い惹かれる・・・安易な手法だが、それがドラマの鉄則のようなものだ。

夢ばかりではおかしいから、アザや本や物でも良い。今回のアザは少し目立たなかった。

そもそも、6個の話は必要なかったようにも思った。映画用に3~4個程度にまで短める選択もありえたのでは?解りやすくなること、時間も短くできること、一編の時間を充分に取れることなど、良い効果が期待できると思う。

そもそも、疑問点も多かった。無名らしい人物の航海日誌を、作曲に忙しい後世の青年が読む時間があるものか?その他にも多々無理があると思うのだが・・・

ハル・ベリーは、現代の記者と未来の工作員の役柄が意外なほどに合っていた。「X-MEN」でミュータントを演じた際はキャリアも終わったかと思ったが、不幸を感じさせる人物を演じると、非常に存在感がある。「チョコレート」のイメージのせいかも知れないし、元々の顔が悲劇向きなのかも。

韓国人女優のキャスティングには賛成できなかった。中国人や日本人で、もっと良い顔の女優がたくさんいたと思う。教祖になれそうな強い意志を感じさせ、おごそかで迫力あるイメージの女優のほうが望ましかったように思う。白人女性を演じたシーンでは、かなりのメイクを施してあったが、明らかに無理があった。もっと鼻筋の通った女優を選ぶべき。

Warner

でも、画像のシーンは素晴らしい迫力。このシーンは予告編で観ていたので、これはさすがに劇場で観てみたいと思い鑑賞に至ったわけで、確かに価値あるシーンだった。

もっと凄いシーンを期待してはいた。マトリックスでは本当に驚くシーンが多かったから。でも、もう慣れてしまったのか、それともスタッフが固定化され、斬新さを失ってしまったのか、そこそこといった印象。CG技術にも限界はあるから仕方ないだろうが・・・

今作の主演のトム・ハンクスの演技に、私は特に感動しなかった。もちろん妙な演技ではなかったが、アクションシーンに現実感はなかった点が最もいただけなかった。彼はアクション俳優ではない。

原発の話が出ていたので、この作品は環境破壊に関する訴えかけを図っていることは窺える。確かに原発が人類の存亡に影響しうることは空想ではないと思う。福島原発も繰り返し冷却不能に陥っているようだし、原発周辺に限れば破滅を感じさせるに近い状況。

福島原発で不幸中の幸いだったのが、東海岸の海辺に立地していた点で、海側中心に放射性物質が流れてくれるし、雨や海の自浄能力のおかげで害がはっきりしない点はあった。山陰や北陸の原発では、もろに内陸が汚染されるかもしれないから話が変わってくるだろう。

また、炉心冷却の努力が身を結びつつある点も幸いだった。近づくことも出来ないという最悪中の最悪ではなかった。おそらく工夫すれば、今後はもっと安全な原発を作ることもできるだろう。地震や津波ならOKというレベルに到達できるかもしれない。

でも、海外の原発に関しては、技術的な欠陥があっても日本側から改善を要求できない。広範囲の影響を及ぼしうることが、原発の最大の問題点。外国が責任を取ることは考えられないし、もともと責任のとりようがない。もし中国で事故があったら、西日本から人が全避難しないといけないような怖ろしい事態もありうる。

放射能汚染が拡がっても、直ぐに死ぬほどの高線量に暴露されることは稀と思う。ほとんどは徐々に蝕まれる低~中程度の暴露で、諦めながら死んでいくことになるのでは?さすがに若い世代の人は移住してもらい、年寄りだけが細々と自活して生きる、ちょうどチェルノブイリ周辺の状況が予想される。

本当に誰も人間がいない、真の破滅は稀にしか起こらないだろう。だから事故を気にする必要がないということではないが。

この作品で述べられていたように、果てしなき欲が人類を滅亡させる原因になりうると思う。まだ現実感には乏しいが、原発事故の繰り返しや、局地的な核戦争の危険性はあるので、地域によっては壊滅的な被害もありうる。

ただし、欲を悪く評価しすぎると実生活ではハンデになる。飽くなき野望を持つ人間のほうが会社では評価され、出世する。政治家などになれるのも、野心の塊のような人物だけ。発展のために欲が法律で保護され過ぎると、犯罪的な行為が合法になってしまう。それを、どう防ぐかが非常に難しく、欲のある人間を妨害すれば映画のように命がけになる。

「石油消費のために鉄道を破壊する。」という行為は、住民の利益より一部の人間の利益を優先した例だと思うが、同様に映画にあったような「石油利権のために原発事故を起こす」といった過激な行為が、理論上も起こらないと断言はできない。

「なあに、原発一個爆発させても人類全体が滅亡することはないさ・・・」「なあに、東京に原爆一発落としても、日本人の9割は生きている。それによって我が国の要求が通り、懸案事項が解決するなら悪いことばかりでは・・・」といった理屈で、何かの利益を優先する人物がいても不思議ではない。

ビジネスマンには、利益を上げる義務がある。人類への責務より利益を優先せざるを得ないケースが、実際にもかなりあるのでは?

仮に私が原発関係の株を扱う証券マンだったら、原発が廃止になると困る。だから民主党のような反対勢力には退場してもらう必要があるし、そのためにマスコミへの影響力を行使し、評論家を総動員させないといけないと考える。その努力をしないなら、株主達は私を許さないだろう。契約を失い、クビになり破産する。

破産はしたくない。社会で認められ、収入を確保し、できれば巨大な資産を作りたい、新しい物を作って評価されたい、そんな欲も必要だと思う。歯止めは必要だが。

 

 

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