映画評

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2013年4月15日

人生、ブラボー!(2011)

- 宣伝してください -

過去に精子提供をした男が数百人の子供から身元開示を請求された。しかし、彼は現在、結婚問題でもめている。しかもギャングに脅されている身。名乗り出たらどうなるか・・・

・・・非常に出来の良い作品だった。しかし・・・・劇場の観客は最後まで私一人。一人で鑑賞するのは久しぶり。昔、学生時代に昼間の映画館では何度か経験したが、最近は滅多になかった。この作品は全く売れていなかったようだ。そう言えば前宣伝がなかった。普通なら劇場内で予告くらいありそうなものなのに、予算の関係だろうか?

劇場での予告には、おそらく配給会社から各映画館に対する何かの働きかけがあるはず。劇場側もただで予告はしないだろうと思う。自分の劇場で上映するからには、自分で宣伝しても良さそうな気がするが、配給元ごとに差があるのかも。頼まれて上映する場合は、何の宣伝もしなくても不思議ではない。

ハリウッド映画は通常は数ヶ月前から大々的に宣伝する。劇場内の予告編、テレビCM、ネットの映画欄、ポータルサイトの外側から攻め入る困った広告も最近の流行。観たくなくても、画面を占拠するのは権利を侵害されているように思う。とにかく、この作品は宣伝が足りなかった。

タイトルも非常に素晴らしいとは思えない。よくある、お涙頂戴映画ではないかという印象を受けやすい。出来栄えはともかく実際にもそうなんだから、特徴を訴えかける工夫があったら良かった。

「精子提供者の悲劇」・・・そのものズバリ過ぎる。「マスタベーションの報酬」・・・これは、慰みの報酬よりは意味が解りやすい。「500人のパパ。」・・・これも解りやすいと思う。ただし、受けそうにないのは同じ。

子供にはマズイ内容もあった。家族で観れるタイプの映画ではない。でも、激しい暴力描写や、あからさまなセックスシーンなどはないし、心温まる良き作品だったと思う。素晴らしいアイディアだったので、ハリウッドを始め、どんな国でもリメイクできそう。日本版の主人公は、石田純一氏などどうだろうか?

恋人といっしょに観ると、ひょっとして気まずい雰囲気が漂う可能性も考えられる。基本的に女性の視点で作られた作品ではないので、女性の中には憤慨する人がいてもおかしくない気もした。女性の視点でリメイクすることは可能だろうか?より大勢の観客に観て欲しければ、主人公を婚約者にする手もあると思う。それこそ、精子提供者よりもその婚約者のほうが大悲劇だから。

複数の人間の父親になっているという設定、彼らから個人情報の開示を請求されるという話も、過去に何かで観た記憶がある。実際にも裁判があったかもしれない。ニュースになっていたのでは?それから物語を作り出したアイディアが素晴らしい。

主人公が酷い状況であることは、ストーリー上のお約束。もちろん独身であり、仕事も上手くいっていない。そんな彼が、大勢の子供の父親であることを知って、俄然なにかを志し、和解や絆を生む、ストーリーの大きな流れは決まっている。どう描くかが問題。

ドタバタ喜劇の路線なら、主人公はリック・モラニスのような風采の上がらない(失礼ながら)人物が良い。やや人情味を感じたいなら、今回のような役者。ロマンティック路線を強調したいなら、ハンサムで軽い雰囲気の俳優が良くなる。

珍しいカナダ映画。全編がフランス語。主人公の家は、父親の代にポーランドから移民してきたという設定だったが、実際にも東欧からの移民は珍しくないはず。

カナダは今も移民を多く受け入れているから、最近は中国の富豪たちが挙って移住しているそうだ。財産を政府から巻き上げられると大変なので、国籍を変えておくのは大事なこと。いざとなったら親戚一同カナダに逃げ込めるように住まいを確保しておかなければならない。

そうなると、カナダ人平均資産額は、とてつもなく莫大になるかもしれない。将来の人種間のトラブルは予想される。豊かで多数派の中国人と、貧しい白人達が対立する時代が来ないとも限らない。

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湖畔のキャンプ、障害者の子供を湖に連れて行ったシーンは実に美しい。飛行機から眺めたカナダの風景は、本当に絵に描いたように美しかったが、彼らにも湖畔の風景を楽しむ習慣があるようだ。映画のロケーションとして最高だった。

自分の子供が有名なサッカー選手だったら、サッカー好きでなくても誇らしい気持ちになるかもしれない。逆に酔っ払いのデブだったら、たぶんガッカリするだろう。ヤク中の娘だったら、なんとか更生させたいと願う。つまり主人公と同じ反応になる。子供の状態によって態度を変えるとは、本来なら許されることではないと思うが、期待の大きさが違ってしまうのは自然のことだろう。

自分が誰かに期待されているという感情は、精神的な安定のために必要。私が子供の頃、自分が非常に期待されていたとは感じなかったが、兄には大きな期待がかかっていることを感じていた。兄は教員になったが、おそらく父は兄を教員にすることを最初から望んでいたように私は思う。田舎だから、教育学部に入れる人は少ない。故郷の村で教員になれたのも、この30年で実際に兄だけらしいから、誇らしいことだ。

私は兄の進学のついでに大学を目指したような気がする。勉強するようにきつく言われた記憶は、ほとんどない。でもラサール中学校を受けないかと父親から勧められたりして、親の期待は感じた。過度の期待で私が萎縮するのを避けていたのかもしれない。自由にさせてもらった。

人工授精や代理出産が増えると、生まれた子供が自分のアイデンティティーを確認したいという例も増えるだろう。「キッズ・オールライト」もそうだった。子供の数が数百人というのは、おそらく本当は制限があるだろうから滅多にない話だとは思うが、子が複数いてもおかしくはない。

自分の感覚では、仮に親が解らないなら、そのまま育ての親を親として考えて構わないと思う。訴訟を起こしてまで真相を知りたいとは思わない。でも、真実を確認して考えたいと願う人達がいても、別に異常とは思えない。

 

 

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