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2013年3月29日

桐島、部活やめるってよ(2012)

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- アカデミー? -

バレー部の中心選手である桐島が部を辞めるらしい。仲が良かったはずの友人達や部員達に動揺が起こり、それぞれの感情の深い部分が明らかになる・・・

・・・よく出来た作品だった。この作品がアカデミー賞に相当するのかは疑問に感じたが、描き方や演技が的確、編集の仕方も実に丁寧で、よく考えて作られていたと感心した。ただし、内容に絡んで感動する点は特になかった。

私が齢をとって登場人物との共通点が亡くなったからかもしれない。でも高校生当時も、私は世に失望しヤケクソだったから、映画の彼らとは違っていた。おそらく今の普通の学生達には非常に受ける内容だと思うが、私には疑問に感じられる点が多い。

家族で観るのには向かない印象。恋人といっしょでも観れる内容だろうが、もやもやした閉塞感が残ってしまうかもしれないと思う。恋がテーマの作品でないことは明らかだから、仕方ない。若い人、学生向きの映画と思う。

友人として行動を共にしている女学生達4人グループが面白かった。人気者と交際している二人は、いわばクラスの女王的な存在で、後の二人はサブ的な存在。互いに心底から友情を感じているとは言えない。でも、行動は共にする。そんな関係のグループは実際にも多いと思うが、さらりと自然に表現されていた。

サブ的立場の少女にも色々あって、優秀な姉にコンプレックスを持つ少女と、自分の秘密や感情を隠していこうとする少女、それぞれの立場や感じ方に違いがあったようで、その表現が明確だった。脚本が良かったのか?

熊本出身の橋本愛と、吹奏学部の部長役の大後寿々花には存在感を感じた。でも、大後が好きな男子を見るために場所を死守しようとする際のセリフは、もっとスムーズに出るほうがいい。彼女のような娘は理屈では動かないから、動物のように速やかに反論できるはず。理屈になっていなくとも、早さと態度の頑強さだけは負けないはず。

金曜日・・・といった場面の繰り返し、カメラの位置や詳細の解説の仕方がいろいろ追加されて実相が徐々に明らかになり、隠された各々の学生の感じ方がわかる仕組みは実によく考えられていた。この種の手法、他の作品でも観た記憶があるが、この作品が最も完成度が高かったように思う。脚本家のアイディアか、原作のアイディアかは知らないが素晴らしい。

桐島君のような生徒が長期間にわたって学校を休めるのか?その辺には少し無理があったようには思った。学校に数日来ないで連絡がとれないなら、友人なら普通は担任に聞くか、家の固定電話にかけて親に聞くと思う。そうしないのは少し変。大騒ぎするくらいなら、直接家に行けばいい。不自然だ。

主役は映画部長を演じた神木隆之介だったが、子役時代からの長い芸歴を持つ俳優で、さすがに役割を充分に果たしていたと思う。でも、毒が感じられるあざとい表情を見せていたら、もっと素晴らしかったかもと思った。言っては悪いが毒々しさが不足した、子役のレベルのままだった。高校生の物語なんだから、もっとドロドロしても良かったのでは?

おそらくだが、若い人は誰でも自分に不相応の欲求を持っていることが多い。美少女との関係が発展するのではと無茶な欲望を抱いて、勘違いして喜ぶほうが、会話がはずまないままのシーンよりも訴えかけるものがあったかも。欲が丸見えになって後悔する、そんなものも演出できたらよかった。彼の片想いを重点的に描くこともありえたのでは?

「将来は映画監督になるの?」と聞かれて、そうは思わないと返事する返事の仕方は随分時間がかかって、いかにも現代の若者風。昔のように単純に考えることはできない。あんな返事の仕方には実在感があった。あの煮えきれない反応には、景気や世間の活気やマスコミの論調など、様々なものが影響している。彼らは彼らの感性で、夢はかなわない可能性が高いと感じるのだ。

そう感じることは悲しい。それを認識した時の表情を捉えられたら、きっと凄い作品になる。女学生が自分の恋は実らないと確信した時、運動部員が自分の努力は報われないと明らかに感じた時、その表情に焦点を置くと、作品としては暗くなりすぎるだろうか?

今の時代は部活動を終わってから塾に行くのも普通なのか?授業が終わる時間が早いのかもしれないが、体育会の場合は夕暮れまで練習があり、塾に1~2時間時間を割くくらいなら、自宅で参考書をみたほうが実利的な気もする。もしくは一定期間は部活に集中し、退部してから受験勉強に専念する方針のほうが実効性がある。

ただ、実際には追い込みで受験に成功するか自信が持てず、不安を抱えることも多いはず。親も不安になって、「いつまで部活をやるつもりだ!」と詰問される。不安ばかりが覆いかぶさってくるだろう。結果として総てが中途半端になり、退部~幽霊部員化も自然の成り行き。結果として自分が情けないと思えるだろう。

携帯電話を学内で使うシーンが多かった。携帯を学校に持っていかれると、学業に集中するのは実際のところ無理。授業中にいじる生徒は必ずいる。悪口やイタズラ、盗まれる壊される、とにかく弊害のほうが大きいことは明白。都会の高校は自由化されているのか?そうだとしたら愚かなこと。

自分の学生時代は、登場人物よりもずっと余裕がなく、シケていた。でも学業以外のことに注意がいってしまっていて、ラチが飽かないままだった点は共通している。特に高校時代は酷いものだった。考え方自体が不健康だった。

当時の私は将来の国の状況を予想し、憤っていた。学べば学ぶほど、悲しさは強くなる。危機意識があっても気にせず勉学に励むのは、要するに社会のことに関心を持たず、自分だけの幸せを目指すこと。それでは自分を許せない。何もかも、誰をも許せないという無茶な精神状態。だから、この作品の学生達とは暗さが違う。

そう言えば、この作品のセリフの中には公共の利益への関心、危機意識が全くないようだが、それでいいのか?社会の問題に関する危機意識などないほうが、学業や仕事には好都合だろうが・・・

当時の私も、部活動に精を出せる環境ではなかった。万時、余裕がない。下宿しているから掃除洗濯もあるし、自由に風呂に入れるわけではない。コンビニのない時代、食事にも困った。恋物語など想定できない。もちろん、相手も臭い自分などお断りだったろうが。

どんな世界であっても、生きていくしかないのは確か。高校生にも人間関係はあり、笑い事ですまない深刻な事態も起こりうる。受験勉強に身を入れるかどうか、塾はどうする、部活動をどうする、そんな細かな選択でも各自に強い影響があり、心が震えるかのように感情的になる。

この作品が賞にふさわしいテーマを描いたとは思えないが、ナイーブさや不安定さを描けたことは間違いない。さらに、もし大人社会からの影響もストーリーに大きく関与していたら、もっと奥行きのある物語が生まれたかもしれない。基本的に、受験や就職が大きく彼らの精神の上にのしかかっているのだ。その重苦しさが基本であるはず。

この作品で描かれた精神世界、人間関係は、本人達にとっては大きく重要だが、一般的には意義の低い領域。本業に精を出し、人格や能力を培い、足の引っ張り合いのような妙な人間関係から離れるほうが正しい。でも、なかなかそうできない。ドライではいられない。

 

 

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