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2013年3月 2日

おっぱいバレー(2008)

Photo_2 - おっぱい・・・ -

新任の女性教師が、たるんだバレー部員のやる気を引き出すため、勝利したら自分のオッパイを見せると約束してしまう。部員は急に頑張りだしたものの、約束が発覚・・・

・・・衛星放送で鑑賞。この話は実話ではないというが、全くのオリジナルではなく、誰かの冗談めいた話を基にしているらしい。確かに面白い話。

主演は綾瀬はるかで、スタイルが良く、清潔感や健康そうな感じが漂うヒロインだった。大変な美人とは思えないのだが、好感を自然と持たれそうなキャラクターは役柄と合致していた。

ただし、表情がよく解らない時もある。静かに何かを見つめる場合には清楚な感じで似合うのだが、感情を露にすることが必要な場面では、オーバーな表情が似合わない。この点は、オメメぱっちりの旧来型美形女優とは違う。大河ドラマでどのような演技を見せるのか、ちょっと気になる。

上の画像でも、なんだか女優らしからぬ表情のように思う。だから、他の女優のほうが、もしかすると役柄に合っていたのかも知れない。堀北真希?・・・可愛らしい彼女の場合は、何でも演じれる気がする。おっぱいなら小池栄子?・・・そのままでは、映倫に通らないかも。映画の方向性が凄いことになってしまう。

この作品は、基本的には非常に真面目に生徒達の成長を見守っている。オッパイの話で色物まがいの話題になっていたが、中心は生徒を思う教師の態度に貫かれていた。したがって、家族で鑑賞してもいい作品だと思う。恋人と観ても悪い印象を受ける作品とは思えない。

少し解らなかったのは、中村トオル演じた父兄の役割。そんなに意味のある立場だったとは思えず、何度も登場させた意味が解らない。それと怖い不良の先輩。登場は一度で充分だし、キャラクターとしても掘り下げられたような印象がない。存在する意義のない役だったと思う。

中学生達の個性も、今ひとつ感じられなかった。主役以外の人物の、性格の特徴に関して印象に残らないようでは、名作になりようがないと思うのだが、これは間違っているだろうか?

良い物語にしたければ、エキストラのような人物にも、各々の個性をみせたほうが良いと思う。話に奥行きを持たせるためには、それがぜひとも必要。人数が多い時には作り手に大変な工夫が必要になるが、登場人物に対する感情が沸くかどうかにかかってくる。その手間が、やや不足していたのでは?

私の中学時代にも女性の先生がおられて、いずれもスタイルの良い方達だったが、おっぱいに気が行くようなことはなかった。もし一見して色気たっぷりのグラマーな方だったらどうだったか解らないが、先生に対しては敬意を持つべきと、なんとなく思っていたためか、オッパイには記憶がない。もし映画のような約束をして発覚したら、きっと往復ビンタだけでは済まない。怖くて映画のような要求をする気にもなれなかっただろう。

同級生たちには色気を感じていた。中学生くらいの女子の場合は、実際に独特の匂いがあり、狭い空間でいっしょにいるとフェロモン作用を感じていた。私だけではない、男子達と顔をあわせてこっそり「この部屋、女くせーな。」とニヤニヤしたもんだ。部活動に特別熱心だったわけではないのだが、思い出にはなっている。

きつかった練習も思い出す。当時は水分を摂らせない方針が主流だったので、暑い日には倒れそうになっていた。ささやかな勝利の記憶は、おそらく自信になっているのではいかと思うが、部で大活躍はできなかったので、強烈な思い出にはなっていない。頑張って何かの大会で優勝していたら、違ったものがあったと思う。

ただし、スポーツの世界で大成功した人が、総て性格的にも優れて自信をしっかり持っているとは言えないので、部活動が人間の成長に必須のものとは思えない。受験や、何かの勝負事、ギャンブルでも自信につながりうる。

さて、ヒロインの女性教師は、その後もどこかで再就職できるのだろうか?どこか遠くの町でも教育委員会の審査にオッパイの問題が引っかかって、採用されないようなことはないのか?昨今の報道に私の脳が毒されたのか、教育委員会というのは、問題を抱える組織でもあるらしいと感じるから・・・

大阪私立の高校で、最近部員が自殺した問題は大きく報道されている。橋下市長の存在のせいかも知れないが、教育委員会のメンバーを代えるといった極端な話も出ているようだ。部の顧問の先生は熱心な昔ながらの熱血教師だったようだが、時代錯誤の面はあったとしても、全く常識のない人物だったとは言えないはず。

体罰だけが生徒を死なせたのではないだろう。殺すほど連日殴っていたようには書かれていない。「部を辞めてもらう、部長失格だ。」といった、精神的な締め付けに耐え切れなかったほうが大きいのだろうと思う。言葉の暴力、態度による圧迫、脅迫に近いもの。

難しいことなのだが、その生徒がストレスに耐えられない人物かどうか見極め、励ましたりけなしたりの態度を適切に選べば、上手く本人を成長させることにつながったはず。問題の先生は今まで、おそらくそうできていたのだろうが、こちらが励ましても死にたいと感じる人間はいるので、見極めは難しい・・・

うつ病の患者さんで何人か自殺を止められなかった方がいる。直前まで話していて、特に何も変化を感じなかったのに急に死なれると、自分の観察能力に自信をなくす。なぜ見抜けなかったのか?何か普段との違いがあったはず。細かいサインを見逃したのでは?そう考えるが、全く前兆をうかがい知れないことが多い。おそらく顧問の先生もそうだったはず。

顧問の先生の指示が不当な命令であったら、それは排除されるべきである。でも部員をまとめ上げられない部長、勝手な行動が目立ち、部員達全体のことを考えない部長は、教育的な面から辞めろと言われても仕方がない。そうしないと逆に顧問の職務怠慢でもある。部長の職務を理解させるべきだから。

ただし本当に部長を交代させると生徒の心のシコリが酷いし、言い方に基準は必要だと思う。だが、なんらかの脅しが必要な場合は必ずある。そうでないと勝手な人間が増長する。

指導者がどこまで踏み込んで良いのか、明確でないといけない。部長交替の判断をする権限があるかどうか、どんな内容で生徒を叱ってよいか、体罰が報告されているかどうか、最低限の基準がないといけない。アメリカ軍の規則などを参考に、明文化することが望ましい。基準がなければ、部外者である我々に監督を処罰する権限はあまりない。

教育委員会の立場でも、部内の指導に関与するのは無理だと思う。顧問の先生の移動が少なかったことには責任があると思うものの、絶対に移動させないといけないという規則でもない限り、非難される対象とは言えない。もし得がたい人物が退職まで一箇所の高校に留まり、皆から慕われたとしたら、それは非難されることとは思えない。

だから教育委員会への攻撃は、感情に走りすぎた行動のように感じる。教育委員会のあり方には非常に疑問を持つが、それは別な話。先生の問題行動が以前からあったかどうか、事態を把握する努力をしていたか、適切な注意をしていたかは検証すべきだろうが。

 

 

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