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2013年2月 4日

ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日(2012)

20cfox 

- 映像美あふれる -

船が沈没し、トラといっしょに漂流することになった青年の物語。狭いボートの中、彼はいかにして生き抜いたのか?

・・・・「羅生門」の呪縛であろうか?話の真相に関して謎を含めるストーリーだった。どうせだから、ラストの表現はもっと曖昧にしても良かったかも。

宗教的な問題を孕んだ内容だったので、イスラム関係者などから抗議があがる可能性もある。キリスト教やイスラム教、ヒンズー教を同時に信じるなど、冒涜としか考えない人もいるだろう。日本人なら許せるが、大多数の人はそうでない。でも意図したところは神への敬虔な態度、感謝であることは間違いなく、どうか意図に免じて考えて欲しいと願う。

映像美あふれる美しい映画だった。トラという恐怖の対象がいたことで、緊張感も維持され、しかもCGのレベルが非常に高く、幻想的なクラゲ、魚、星空などの中で漂う姿は、宣伝文句に書かれていたように、「アバター」の森の映像をも上回るものがあった。

水平線が解らないほどの凪の海面に、雲や星を写した映像はセンスにあふれた素晴らしいシーンで、空想絵画のような世界。ただし、見方を変えれば現実から離れ過ぎた、リアルでないという印象にもつながりかねない。

テーマも深遠。現代に生きる人間と宗教の関係を、特殊なシチュエーションを設けることで分析しているかのようだ。生きるために魚を殺した後で魚に謝る、それは仏教由来の考え方だろうが、欧米では珍しい視点であり、それを主人公が感じ取った様子の表現力が素晴らしかった。

ただし、この作品は子供には向かない。恋人といっしょに観るのは勧めていいと思うのだが、家族で観て総てが満足できるような作品ではない。「アバター」のような万人向けの高い娯楽性はないと思う。私の場合は作品の質に満足し、なんだか得をした気になって一日良い気分に浸れたが、トラを騙して殺すシーンがなくてつまんとない思う人がいてもおかしくない。

リチャード・パーカー氏は有名な事件の犠牲者であるから、偶然の間違いでトラに付けられた名前のわけはないはず。ただし、本物のリチャード・パーカーは殺される側であったので、意味を曖昧にする意図があったのだと想像する。立場を入れ替える文学的な方法だろう。

日本が思わぬところで関係していた。まさにグローバルな世界。青年はインド人、コックはフランス人?、移住先はカナダ、言葉は英語、船は日本船籍、ついでに物品は中国製だったろうし、船員の多くは実はフィリピン人だったのでは?フランス人が登場したのはたまたまか?作者がカナダ人でフランス語圏なのが理由か?仏教徒の船員は大人しくて親切だったから、タイ人か日本人ということになるのか?多くの宗教が登場し、おそらく作者の哲学遍歴を表しているのだろう。

コック役のジェラール・ド・パルデューは随分な肥満体で、船員の雰囲気に合っていた。特殊メイクをして太ったように見せたのか本当の体型なのかは不明。チョイ役だったようだが、本来はもっと撮影してあったのだろうか?

乗ったのが日本の船だったから助かったのでは?ちゃんと救命用に物が入っていたから生きながらえたのだ。他の国の船の場合、倉庫を空けてみたらあっさり空っぽ、経費削減のため救命ボートすらないなど当たり前。船員だけさっさと逃げちまってるなんて、充分ありえる。几帳面にノートを残していたから、道具の使い方も理解できたのだ。その辺の几帳面さも、国際的常識として作品に使われているのかも。

日本人の考え方は国際的には異質だが、文学的には理想に近いのかも。この意見は作品の内容から考えると、あながち外れでもない。日本人の宗教的な節操のなさは、悪いこともあれば良い面もある。もしもだが、ラストで登場する日本の審査担当者達が絶句した後、「リチャード・パーカー、今も無事だといいね。」などと述べたら、この作品の質はまた上がったろう。

さらに、もしもの話だが、青年が他の船員を喰っていたら、さらに母親が自らを食べるように命じていたらといった設定も考えられる。深遠さを通り越して怖ろしい映画になってしまうが、そんな映画もあっていいかも。

ミーア・キャットの島は面白かった。実際のところ、多数のミーアキャットが小さな島にいたら、食べ物がすぐなくなってしまうだろう。島はもっと広大でないとおかしい。そもそも、ミーアキャットはアフリカにいるのではなかったか?別な生き物のほうが良かった。

あの島は何を意味していたのだろうか?酸性雨か何かを暗示していたのか?集団で行動し、人海戦術が得意な共産圏の国?楽園を目指したが、陰惨な虐殺があったポルポト政権を暗示している?単に安易な生き方を戒めるためか、話のテンポを変えるため?よく解らなかった。

トラの映像は、かなりの部分はCGだったようだが、「ナルニア国物語」のスタジオが担当していたから極めて質の高い動きのなめらかさで、痩せ具合、怖れなどの動きを見事に再現していた。ついでに人間も完全にCG化してよかったかも。

主人公の表情は、少しオーバーすぎたかもしれない。凄みを感じさせる俳優ではなかった。でも、この作品の場合は設定とCGがあり、主人公は朴訥そうな見た目さえあれば良い。名演技は必要なかったと思う。適役だったのだろう。でも、もし凄みのある演技だったら、きっと涙の大傑作になっていただろう。

作者らしき人物が登場していたのは解せなかった。必須ではないと思う。焦点がぼやけてしまうし、出てきた俳優のセリフも個性も、作品の質を上げる方向には向かっていなかったと思う。小説なら必要だったろうが、映画では必要ない。保険審査員の尋問だけでよかったのでは?

グローバルな世界では、外国に移住して生きていくことも普通に考えるべき。宗教や生きるための哲学は、故郷からそのまま持ち込むのが通常だろうが、いろんな宗教が混在し、やがてグローバルな観念に基づくようになるかもしれない。宗教が混在した場合、普通は法が規律の中心になるが、精神面はサポートしていないから不安が付きまとう。現代では武器が進歩し、常識では理解不能な激しい事件も多いので。

神の意志が示されたかのような厳しい雷のシーン。さしものトラも参っていた。苦難も極まれば、いかな強者でも乗り越えられるものではない。打ちのめされて、船にしがみつくくらいだ。あの時、青年がトラを凌駕する強さを見せられたのは、宗教的な理解をしたからだ。理解=勘違いかもしれないが、それなくしては絶えられなかったはず。

宗教をもってしても、偏狭な観念では厳しい状況を乗り越えることができないかもしれない。この作品の船の上のような極端な状況では、いかなる宗教も即効性はない。いかなる宗教でも・・・ということを示していた面もあるし、その後の生還には神の存在が決め手だったという見方もできる。

読み物、映画にすぎないので、結論として作者の意見を断じる必要はない。いかようにも理解できるのは良いこと。

現実の世界では、異質な存在や、完全にトラなみの圧倒的な敵と過ごさないといけない場合もある。話にならないほど全く異質で凶悪な存在と。でも、それは如何ともしがたい現実で、いわば神の御意志。共存できた場合のことも、この作品では暗示されているようだ。・・・もしや、トラやハイエナは私の家内を暗示しているのか?

また、主人公が教養のない人間だったら、おそらく生き残れていない。水泳の力、体力、知力、科学的基礎知識も必要。マニュアルを読んで理解できなければ、水を得ることも出来なかったはず。神にすがるだけではいけない。そこらの感覚を、説教くさくならないように表現していたように感じる。

この作品の考え方を、マンガの‘トリコ’にも教えてあげたい。トリコ氏は氏なりに強固な確信を持っているようだ。喰いたい→喰う、ひたすら戦い生き残るの繰り返しは必要。勝つことしか考えない、あらぶるトラのごとき人間は多い。社会は厳しいので、生き抜くためには仕方ない。でも、心の救いはもたらさない。そこもまた仕方ないことで、神の御意志であろう。

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