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2012年11月 3日

マリリン 7日間の恋(2011)

Weinsteinco

- 職場放棄に関して -  

映画撮影のためイギリスを訪れたマリリン・モンローだったが、精神が不安定のため撮影に支障が出る。助監督の主人公は彼女を慰めるうち、恋に落ちる・・・

・・・本当か嘘か知りようもない話なのだが、コリン・クラーク氏の回想録を原作にしているらしい。もし本当だとしたら、モンロー女史は誰彼構わず声をかけてたぶらかす、怖ろしい女だったことになる。真相は解らない。虚構の話かもしれない。でも、そうであっても全然構わないとは思う。

美しい話になっていた。涙なしで観れないほどのメロドラマにはなっていないが、真摯な感情を上手く表現できていたし、観終わった後に爽やかな感想を抱くように、適切な演出と演技ができていたと思う。

ヒロインを演じたミシェル・ウイリアムスは、マリリンほど色っぽいとは思えないが、邪気のなさそうで神経が昂ぶった様子や、女優独特の強い成功欲、野心、わがままな考え方を演技で充分に見せていた。

お尻を見せていたが、おそらく彼女ではなく、もっとスタイルの良い女優さんかモデルの後姿を写していたんだと思う。お尻の美しい方は‘尻タレ’と言うのだろうか?

女優業の先輩、それも誰でも知っていそうな大スターを演じるのは簡単なことではないと思う。違いを直ぐに指摘され、違うことが即ち下手くそなことと酷評される可能性もある。あんまり独自の演技はできない制約がある、そんなことを考えると喜んで選びたい役とは思えない。上手く出来たら、やりがいのある仕事だと思うが。

最初と最後にマリリンを演じるヒロインがステージで歌う映像があった。ストーリーとは関係ないが、何か盛り上げのために追加したんだろう。悪いシーンではなかったが、ちょっと素人臭いか、もしくはテレビ流の演出のような違和感を感じた。

音楽に関しても、少し違和感があった。スピード感が必要な映画ではないと思うが、ミュージカル風にBGMが流れるシーンでは、せっかくだから動きや場面の切り替えと音楽を合わせたほうが躍動感が出る。当然、楽曲の選択も当時の曲だがノリの良い曲にする必要がある。ナット・キング・コールの「枯葉」は時期的には合致する曲かもしれないが、この作品には合わない印象を受けた。

全体を通じて、音楽の曲調で雰囲気を出す方法もあったように思う。かなりのシーンでBGMを流しっぱなしにするのは危険だが、印象度を変える可能性がある手法だと思う。素人アイディアだが。

主人公を演じたエディ・レッドメインという役者さんは非常に上手かった。演技以前に、元々の顔つきが素晴らしいと思う。似たようなナイーブな印象の役者は多いが、彼は恋愛がらみの悲劇には最適な俳優だと思う。アクション劇には全く向かない印象。

マリリン・モンローは、映画の製作権を買っていたのだそうだ。そんなら、遅刻も勝手と言えなくもないかも知れないが、イギリスで撮影する、役者もスタッフもイギリス側、しかも費用の問題もあるというのは、おそらくストレスの多い条件だったろう。彼女の病状の進行に関係していたかもしれない。

ジュディ・ガーランドもそうだったらしいが、厳しいスケジュールやダイエットのために、薬物を容認もしくは推奨する傾向はハリウッドでは昔からあったらしい。最近でもマイケル・ジャクソンなど、薬物がらみで早世するスターは多い。派手で厳しい世界だから、薬物の入り込む隙はあるんだろう。

メソッド理論という話はよく聞くのだが、理解はできない。ストラスバーグ氏らのスタジオを出た役者以外にも、良い役者はたくさんいると思う。マリリン・モンローが魅力的だったのは、特に理論が良かったからではなく、見た目の雰囲気と可愛らしい表情、仕草によるもので、理論がどうこうは関係がなかったように思えてならない。

そもそも、職場放棄した現場でやっていけるのが不思議。日本の場合は、大御所俳優や大監督から怒られたら、スタッフ一同右へ倣えで総スカンを喰らわすのが普通。それは一種のイジメで、本来なら集団的悪癖でもあるのだが、現実として今でも超法規的な管理がまかり通る。「ここは、そういう世界だから。」という理屈。

米国でもイギリスでも、おそらく似たような現象はあると思うのだが、そんなゴリ押しは製作者や映画会社のボスらに限定され、金や権利の裏づけがあることが多いはず。日本の場合は少し精神的なもの、仁義や礼儀の影響が大きいように感じる。

さて、職場放棄に関連して・・・

元総理が総裁に復帰して、テレビのキャスターが「子供みたい。」などとコメントしたら、大きな非難を生んで謝罪するはめになったようだ。同じ病気の人たちの感情を傷つけるという理屈。病気を理由に、人の人格を批判するのは確かにひどいこと。

でも、総理という職の責任の重さは、とてつもない。国の最高責任者が職務遂行困難となりうる病気ということは、そもそも許されることではない。職務を全うできない場合は、いかな正当な理由があろうと、そもそも職を引き受けてはならない。また、責任を全うできなかった過去がある人は、例え誰が懇願したとしても、二度と復帰してはならない。それが責任を取ることではないか。

病気は気の毒だが、責任は重大。別な職なら構わないのだが、総理になりうる立場では考えられない。酷なようだが、精神的な意味では‘切腹もの’に相当する過去を持つ人間。どう自分を許したのか、そこが解らない。

 

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