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2012年11月23日

トゥルー・ロマンス(1993)

- 展開が読めない -

プレスリーかぶれの男が謎の美女に恋をした。彼女を守るために、男はギャングのボスに会いに行くが、とんでもない事態が待っていた・・・

・・・クエンティン・タランティーノ脚本の急展開ストーリー。「パルプ・フィクション」と流れがよく似ている。登場人物達の予想を超えた展開で、怖い連中が互いに殺し合い、話が混乱していく様子が喜劇タッチで描かれていた。B級映画風の雰囲気も同じ。でも話の持って行き方、プロットの仕方が絶妙。

この作品では「パルプ~」と違って、主人公がはっきりしていた。そのキャラクターが素晴らしい。演じていたクリスチャン・スレーターは美男子ではないが、考えの足りないクールぶったアンチャンの雰囲気がばっちり出ていて、役柄に完璧に合致していたと思う。

実生活も、かなりアナーキーな行動が目立つらしいから、地でやっているのかもしれない。破滅型のタレントか?

冒頭でバーの女を口説こうとする話し方、話の内容、そして口説きに失敗してしまう様子が主人公の個性と状況を一発で理解させる。セリフと演出、演技がかみ合っていた。クールに決めるってことは、傍からみればおかしなこと。

「監獄ロック」の主人公はツッパってはいたが、本物の犯罪者ではないし、とことんタフとも言えないと思う。この主人公のほうが、本家プレスリーよりも突っ張り道の本流に近いのかも。そう言えば、最近ツッパリって流行らない。不景気のせいか?

異様に映画が好きで、ヒロインと出会うのも映画館というのは、寂しい主人公らしいが、たぶん脚本家自身の投影もあるのでは?

千葉真一が出演したカンフー映画が紹介されていた。彼は若い頃のカッコイイ兄貴の代表格だった。野生的で動きもなめらか、体育大学出のアクション俳優でありながらユーモアのセンスもある、そんな素晴らしいスターだった。彼はヒーローか?と尋ねられて、悪役でもあると答える主人公、それもなるほどの解説。

近年はさすがに齢をとってアクションは難しくなり、出番が減っているし、出ても脇役的な出演が多いようだ。でも眼に力が感じられる俳優なんで、悪役などでもっと活躍して欲しい。本物のカンフー役者よりも、顔や表現力でずっと勝っていたと思う。

脚本家のタランティーノ。顔が個性的で、俳優だけでも充分にやっていけそうな気がするが、たまに脇役で出演している程度。確かに主役をやるとしたら、おどろおどろしい役柄しか考えられないし、ずっと見ていたら映画館を出たくなる気もする。ただし、センスが素晴らしいことは明白。この作品のストーリーも良かった。

悪い状況にどんどん落ち込んでいくストーリー、B級映画のようなカッコづけした劇画的とでもいうべき表情、それを映画で演じること、女だろうと暴力の手加減をしない描写・・・考えてみれば酷い映画だ。東映映画の見すぎだ。

教育上は最悪の映画かも知れない。マカロニウエスタン風の流れで、人の権利や道徳などは無視した犯罪者礼賛のストーリー、小さな子供には絶対に見せたくない作品。でも、私が子供の頃、近所のアンチャンたちと話題にするのは、まずこんな作品だった。気取ったポーズでセリフを真似たりしたもんだ。

Thekobalcollectionetc

この作品は脇役に有名俳優が多い。最も目立っていたのは末端ギャングの役を演じたゲイリー・オールドマン。この作品が彼の出演作の中で一番素晴らしかったかもしれない。残虐非道で変な人物だが、かなりタフ。一筋縄ではいかない個性を充分に演じていた。

プレスリー役も謎めいた共演?を果たしていた。その演出が唐突ではあったのだが、冒頭の前振りのせいで、プレスリーかぶれの妄想ではと直ぐ解る仕組みになっており、よく考えた流れになっていたと思う。今ならCGでもっと上手く表現できていたかも。

ブラッド・ピットの役は、不自然だと感じた。もっと病的な俳優を使うか、怖がる様子を見せたほうが良かったと思う。脇役がタフすぎるのはおかしい。

ひょっとしてだが、B級映画の雰囲気を狙わずに、真剣な悲劇として乾いた演出に徹していたら、違った作風の名作が出来ていたかもしれないと思った。

銃を突きつけられた状態で仲間の裏切りをなじったりするのは不自然な話。生き抜こうと必死に逃げる主人公に、容赦ない敵が次々襲いかかるが、懸命に逃げてヒロインを守り抜く大真面目な話もありえたように思う。そうなれば、より心に残る作品になりうる。展開が読めないといった作品の個性はなくなるが・・・

・・・・さて、展開が読めないのは昨今の政局。

大阪維新の会と石原新党が合流というのは、いったんは流れたと思っていたら急展開で再結成らしい。民主党を離れる議員も多い。熊本市の松野議員や、本田候補も維新の会に合流するという。流れに賭けるバクチをうったのか?

正直な話、支持すべき政党が思いつかない。自民党は過去の失政、例えば原発や年金、経済の舵取りに関して大きな汚点がたくさんあり、回帰には抵抗を感じる。民主党は急ごしらえのせいか、失政が多かった。第三局は過激な扇動が目立ち、信頼おけない。

心から尊敬できる人物は、政治家にはなりえないのだろうか?人間的に優れた人がいても、その人を祭り上げて利益を得ようと考える周囲の人間が必ずいるから、やがて義理人情や脅しによって信条を曲げられるのか?

議員でなくなれば何もできない、でも議員になるためには圧力集団の要求は飲まないといけない、政党内部に入らないと何も出来ない、でも内部に入ったら信条と正反対のことも組織の論理で従わないといけない・・・そんな理屈だろうと想像する。

優れた人間がトップに立てないシステム。そこが根本的欠陥と言えるだろう。独裁者が誕生しにくい点では良いシステムだが、選ぶ基準がおかしくなるので、党の総裁になった人物でマトモなのは少ないように思う。利己的な連中が集まって、各々の利益供与を折衷させた結果で人を選ぶからだろうか?

利己的論理から人の判断を独立させるシステム、クールに処理できる体制が確保されること、そんな当たり前の準備ができていない。選ぶ目的も、選ばれる目的も社会の利益とは関係ない。だから間違って人を選び、選ばれた人は必ず間違う。

何にせよ、過去の政策やその根拠となった知識や感覚、センスは間違っていて、これからの時代に通用しないことは、誰もある程度は感じているはず。解決策は既に提示されて確かにあるはずなのだが確信が持てない、私が30年前に陥ったようなドンヅマリに、今は皆がはまっている気がする。

国が滅びる時は、きっと国民の圧倒的支持を受けた人物が、望み通りに事を運びながら、喝采をうけつつ破滅する・・・誰かの言葉だが、そうなってもおかしくはない。

クールに考えれば、きっと対処できると思う。理念にこだわって理屈倒れの論争に終始するから、過激な人物に人気が集まってしまうのではないか?クールにいこうぜと、プレスリーも言っていたじゃないか。

 

 

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