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2012年9月 6日

ひまわり(1970)

- 貴重な記録 -

ナポリで出会った男女の物語。戦争でロシアに送られた男は帰ってこない。残された妻は、はるばる夫を探しに行くが・・・

・・・広大な平原に咲き誇るひまわりの畑。でも、その地下には大戦の犠牲となった戦死者の死骸が埋まっている・・・ってな怖ろしい光景。いかにも映画的な、よくできた話だった。

タイトルを「ひまわり」としたのが良かった。悲しい歴史を象徴するのが花というのは、いかにも映像的なイメージを盛り上げるセンス。イタリヤやフランス的な感覚。象徴的、イメージ的な表現を好み、そのものズバリのタイトルは下品と思っているのか? 音楽も重々しく、せつない雰囲気にあっていて、非常に素晴らしい。

この作品は大人向きだと思う。子供が観てもつまらないだろうが、感受性の強い子なら大泣きするかもしれない。現代の恋人が観ると、どんな印象を持つのか判らないのだが、たぶん古臭さが気になる人達も多いだろう。メロドラマ、韓国ドラマ好きな人は、おそらく既に御存知の作品とは思うが、好きなはず。

この作品を初めて観たのはいつだったか? テレビの洋画劇場かリバイバルの名画座のどこかではないかと思うのだが、よく覚えてない。完成度の高さよりも、最初のアイディアの素晴らしさ、できる前から既に名画になりそうな設定の素晴らしさに感嘆した。

3~4回は観たと思う。今回のDVDは画質が良く、場面も飛ばない。いつかブツ切り状態のものを見たが、列車のシーンなどが激しく切られていた。上映時間を短縮するためだったんだろうが、雰囲気が壊れて、げんなりした。リマスタリングされたフィルムも、近年公開されたそうだ。

ヒロインのソフィア・ローレンも、夫役のマストロヤンニも、当時の国際的な大スターで、おそらく当時のソ連が、彼らの出演もあって撮影を許可してくれたんだと思う。当時の風景を記録した、貴重な映像も見られる。

Compagnia_cinema  

上の画像、おそらく背景となったのは普通の発電所ではなく、原子力発電所ではないかと思うが、わざわざ見せるために撮影させたとしか考えられない。それにしても、駅や民家の直ぐそばに、巨大な発電所を作るなんて想定外の凄さ。民家はセットで、実際には住んでないのなら解るが、そうではないように見えた。日本の原子力関係者と同類の人間が作ったに違いない。

モスクワのデパートとおぼしき店で、マストロヤンニが毛皮を買おうとする。欧米のブティックとは比べ物にならない質素な店内。駅の構造は結構立派だが、昨今の豪華な駅ビルとは随分違う。名古屋や京都駅は、空にくっつくんじゃないかと思えるほどの駅ビルを建てているが、絶対不必要な規模。でもたぶん、今のモスクワのデパートは、きっと立派だろう。

ソフィア・ローレンは、私が物心ついた頃には既にオバチャンで、化粧の激しさから気味が悪いイメージしかないのだが、若い頃は大変なグラマー女優かつ存在感抜群の、まさに女優の中の女優、本物のスター。この作品の頃は既に30代後半で、娘時代より老けた時期のほうが合っている。でも、にっこり笑うシーンでは美貌ぶりが解る。

演技力がよく解らないのだが、彫りの深さと化粧のせいもあって、無表情で相手を見つめると、何か心の奥底に秘めたものがありそうな印象につながっている。そこに居るだけで既に我々は彼女の術中にはまって金を出すためのペット、ヘビを前にしたカエル程度の存在になる。怖い女優である。

あの化粧のセンスが若い頃は解らなかったが、いまだに慣れない。眉のライン、目の周りの化粧の仕方が怖いと思うのだが、化粧する側にとっては、あれがベストチョイスなんだろうか?

マストロヤンニはプレイボーイの役で有名な俳優だが、この映画ではロシアでひっそり暮らす中年の存在感が抜群に出ている。情けない表情には、確かな演技力、比類なき存在感が感じられる。プレイボーイのイメージのない役者にはできない役だった。日本人のハンサムな役者はたくさんいるが、プレイボーイのイメージがあって、しかもうらぶれた状況も演じられる俳優は、ちょっと思いつかない。

ストーリーが同じとしても、この二人が共演すると映画しかイメージできない。テレビで共演とは、時代も違うのだろうが、重みの違い、スターの存在感、そんなものが違う。とにかく映画的な存在。

映画の構成も素晴らしい。前半部分では笑えるようなカップルのやりとり。それが後半には時代の流れで起こる大悲劇。大物スターが共演し、映画でないと見れないような滅多にない地域を撮影した映像、この種の感性はイタリア人にしかないものだろうか?

「ニュー・シネマ・パラダイス」でも感じたのだが、再開した二人の逢瀬がややこしくなるのは、この種の物語の約束なのか?ロシアに行って相手と会って、そこで終わりではいけなかったのだろうか?

普通、会って気まずい思いをしたら、再度会うのは気が引ける。ストーリーの上でも、難しい逢瀬を繰り返して焦点がぼやけると言うか、冗長な印象を受ける危険性も高まる。一度だけ再会して、その場で激しく衝突し、激しく別れる、そんな単純な流れではメロドラマ好きな女性達が納得しないからか?

列車の中からひまわり畑を写すシーンが気になった。振動が激しすぎて、画像が見るに耐えないほど揺れている。今なら考えられない。カメラを固定し、広大な畑の中を列車が移動するシーンに切り替わるはず。もしくはCGなどを上手く使って、全く微動だにしない風景を作り、それから微妙にわざわざ振動をつけることだってできるだろう。技術的な制約があったようだ。

畑の部分の実際の撮影はスペイン?あたりだったそうだが、カメラを自由に固定したり、車に移しかえるなどは無理なのか?列車内部のシーンに限れば、スタジオでの撮影も考えられたように思うのだが・・・

旧作の「楢山節考」の時にもそう思った。ヘリをチャーターして空から村を撮影したのは良かったが、やはり振動が凄すぎて、ブレのためによく見えない。ヘリよりも、グライダーみたいなものにカメラをつけないと画にならない。金がなかったのか?

戦場のシーンは、どうもソ連側の記録フィルムを使ったんじゃないかと思ったが、テンポなどを考えると効果的とは思えなかった。赤旗を印象づけるために、雪の中に旗をひらめかせていたが、これはモンタージュのような演出を入れたほうが良かったと思う。滑稽な演出になってしまう。

そもそも、ひとりの妻が夫を探し出すのは確率的に難しいと思う。戦友の情報から確実な行き先を割り出す、もしくは何かの映像で存命が偶然わかる、何かそんな設定があったほうが解りやすいような気がする。スパイの可能性を否定できない人間を、原発のそばにほったらかす・・・それは考えられないこと。

当時、ロシアで生き延びたイタリヤ人兵士は、実際にどれくらいいたのだろうか?共産党関係者がかなりいたらしいのだが、一般の兵士の場合も、労働力不足を補う目的で受け入れられた可能性はある。凄まじい人間が死んで、労働力は足りなかったはずだから。

今の時代なら里帰りも可能だろうが、冷戦の最中、おそらく冷遇された人間も多かったのでは?それにしても、抑留された日本人とは扱いが違い過ぎる。

 

 

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