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2012年7月29日

国会原発事故調査委員会報告書(2012)

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- 新知見は・・・ -

黒川清氏が委員長を務める国会事故調の報告書が、ネット上で公開されて閲覧できるので、要約版を斜め読みしてみた。丁寧に読んでいないので、大きな勘違いをしているかもしれない。詳細を読む気には、とてもなれない。

国会が法を作って組織した事故調査委員会の報告書であり、先に出された民間の報告書とは別のものらしい。民間の報告書は書店で販売されていたが、今ひとつ信用できない印象を受けて買わなかった。結構値段も高かったので、事故を商売ネタにしているような気もした。また、政府が別に検討した報告書もあるらしいのだが、それも読んでいない。正確な分析を期待するのは無理な気がしたからだ。

「正確に分析できるなら、最初から事故を予防しろよ!」・・・そんな風に思う被災者はいないだろうか?とにかく、起こってはならない事故だった。事前に何かできる立場だった人は、まず謝罪して欲しい。恥を知って欲しい。

報告書の文章は歯切れがよく、断罪できる部分に関しては断罪し、言葉の力強さを感じた。緩やかな表現では国民の満足を得ることができないから、当然だ。ただし、官僚の文章は常に似たような調子である。権威を演出する姿勢というか歯切れがよく、強硬な印象を与えるが役立たない、そんな傾向がないと良いのだが。

断り書きがあって、その言葉通り本質的な問題であっても取り扱わない、またはサッと流すといった姿勢も目立った。例を挙げれば、「長期間の単独政党支配」が問題の根幹にあったと述べていたものの、その時期の何が問題で、どのような理由により改善がなされなかったかという改善につながりそうなヒントには触れられていない。中曽根氏など、存命の方に非難が集中するのはマズイという判断があったのだろう。

結論の中には、「第三者の立場で管理すべき・・・」といった提言がなされているが、精神論に陥っていると言われても反論はできない。所詮、提言するだけの組織なのだから仕方ない面はある。強制力を持って調べることができても、強制力を持って施策を施す組織ではない。言うだけだから限界はあった。つまり、委員会の存在意義も知れていると言える。

そもそも委員の選ばれ方が書いてなかった。報告書というのは、それだけで完結していることが望ましい。目的、方法、結果、考察などが全て入っているべき。方法の部分に、委員の選出根拠を提示することが必要だった。

選ばれた根拠が不明では、委員の存在意義も薄い。両院の議長が選んだのか?各委員が、事故の前にどのような態度で原発事業に関与してきたかを明示する必要もある。全く感心を寄せなかった人間、批判的な態度がなかった人間が委員なら、まっさきに自分の誤りを陳謝しなければならない。自らの不見識に対する反省を明示しなければ、委員たる資格はない。でも委員達の反省の文章は探すことができなかった。

立場を明示し、彼ら自身が言うように、自分が「第三者」であることを証明できなければ、委員にはふさわしくない。委員の立場は、論理を打ち立てる場合に基礎となる重要事項。単独与党に関係した者や役人、業界と仲良くしていた人間は、利害が絡むので委員からは外れてもらわないといけない。原子力村の一員が調査報告したら、報告書の意義が全て消し飛んでしまう。

自分の立場、自分が関与してきた業界、団体、会社などを公開しなければならない。これは、何かの役員を担当する時の鉄則である。

どの委員が、どの部分に責任を持って書いたのかも解らなかった。全部のまとめは国会の職員が書いたのだろうか?前文には各委員の署名がはいっていたが、集団的責任はすなわち、無責任である。「文責・誰それ・・・」と書かれていない文章は、あまり信用できない。委員たちは責任を破棄している。そして書いた事務職員は自民党時代に採用されているから、自民党と利害が共通するかもしれないし、電力権益、原子力村の隠然たる力も働いていないとは限らない。

事故対応の当事者たちは、おそらく失敗に気づいていてもシラを切るだろう。菅元総理は東電と保安院が問題だったというだろうし、東電は撤退など考えなかったという。保安院は記憶が曖昧というし、菅氏が言うことを聞かないと言う。おそらく彼らは自分自身でも、そう考えたいと思うのだろう。そこに客観的な分析を加える、それに徹するために聖域を設けないことが望まれた。

何かを検定する業務に当たる者が第三者的な立場を保つことの意義は、まさに報告書の結論でも提示されていたのでは?みずから実行して欲しい。

したがって、正式に国会が作った委員会であるにも関わらず、この報告は一歩引いて参考程度に読まなければならない。委員選出の経緯が不透明で、委員の立場も不明となれば各委員が委員たりうる根拠も解らないから、学術的な意義は薄いし、内容を何かの根拠とするのは間違いの元だと思う。

いっそ外国の学者達、IAEAなどに全権委任してはいけなかったのか?恥をさらしてしまうだろうが、客観性に関しては格段の進歩が生じると思う。少なくとも、数割の委員は外国人であったほうが良かった。アメリカは根本的な責任を有する当事者なので、フランスやイギリス人も含めた人選が欲しかった。

国内の人間は、電力や原子力に関係する強大な勢力の影響を受けないのは難しい。独立した立場の人間を選ぶためには、少なくとも外国に暮らす人間が望ましい。第三者は、よほど法律で守らない限り、残念ながら国内にはいない。

委員長の黒川氏の人選も非常に微妙。彼は法律、原子力、管理学の分野の専門家ではない。委員長たる根拠がない。業界や政府との個人的なつながりで選ばれた可能性だってある。

黒川氏は有名だが、今の時点ではノーベル賞学者ではない。専門医制度を始めるにあたって、氏が旗振り役を担っていたように映った(実際は担がれただけかも知れないが)。専門医制度は、それなりの意義があるが、混乱を来たしたことも明らか。混乱・・・例えば地方の病院から研修医が消えてしまった。医療崩壊の一因と言える。

それによる死者がないわけではない。数百~数万の単位で死んでいると思う。危機管理ができていなかった。医療崩壊現象調査委員会があったら、まっさきに断罪されそうな氏である。

黒川氏は優秀な学者で、米国の大学教授をも勤めていたらしく、学会では最も尊敬を集める存在。学会において、米国の教授というのは無条件で尊敬される。しかし、学術と行政能力は別の問題。いかに優秀であっても、施策によって起こる弊害を予測して、それに対して手をうち、滞りなく運営できるとは限らない。医療崩壊に対して責任があり、功罪半ばする人物かもしれない。

調査内容は全くの嘘ではないように思う。原発が出来た時点で、既に事故の原因である構造上の欠陥があり、改善が必要であったことは本当だろう。事故は、かなり必然的に起こるはずだった。そして、もしかしたら改修工事などで補強、補充して最悪の事態だけは避けられた可能性があったという表現も本当かも知れない。

保安院などの政府の指導が上手くできていれば、改修するか、もしくは改修不可能として営業停止などの対処ができて、爆発までは行かなかったのかもしれない。「歴代の委員、省庁の役人が改善を怠っていた。」と明言しているのは、確かにその通りだろうと思う。ただし、委員の方達が、もしかしたら何か提言できたかもしれないのに怠っていたのは、どうだろうか?何もコメントされていないが・・・

「爆発は、水素爆発です。核爆発ではありません。」と、高齢の専門家が言いながら目を伏せる、若い原発の広報担当者が独特の表情で発表する、その仕草や表情、言葉使いでメルトダウンと解る。冷却ができない状態=メルトダウンは覚悟しないといけない。何が起こったか、過去の何が問題につながったか、各人物がどんな立場なのか、悟るのは難しいことではない。

私はテレビの報道を観て、失意に浸りながら、そう思った。報告を待つまでもない。

報告は私が学生時代から予想してきた内容で、ただ実際の事故によって証明されただけのことで、素人学生のレベルを超える分析とは言えない。学生レポートなら、委員会など必要ない。せっかくの調査権限が、あっさりとブロックされて低いレベルに留まってしまった。委員会側も、おそらく立場に問題があるのだろうが、追求する能力や覇気にも欠けていたのでは?

問題の性質から考えて、独立調査官のような立場の人間を一人選び、強制的に調査する権限を与えるべきだった。相手は必ずミスを隠してくるのだから、刺し違えるくらいの力が必要である。委員会形式が、そもそもナンセンス(古い言い方だが)だった。ついでに言うと、歴代の国会議員は原発行政を適正化しようとしなかった責任があるので、やはり委員を選ぶ資格はなかった。

議員達も委員も、人の社会の陥りやすい集団心理の悪弊を無視していた。正確な分析を目指す方法(独立調査官)と、間違ってもいいから民主的に話し合う場合(委員会形式)と、その意味合いをあえて間違えて話を落ち着かせたかったのか?委員会形式を選んだことが、そもそも適当に済ませたいという意志を示していた。その意味でナンセンスだった。

現実社会で恣意的判断をしない人間を選ぶのは難しい。そんな人間は、たいてい日本の社会からはみ出してしまっているだろう。

我が国の風潮(社会心理、伝統的処世術)から考えると、事故が起こる前に事故を発生させないための手を打つという考え方は浸透せず、予防を考える人が政府や会社から排除されると考えざるをえない。そう予測していた。政府や東電の実態も、そうだったのでは?

せめて委員の一部は、被災者あるいは反原発をテーマに国と戦った弁護士などはどうだったろうか。意見に偏りはあるだろうが、覇気は間違いなく期待できる。敵対する人物がいなければ、調査が厳しくなろうはずがない。会は紛糾するが、まとまりを優先するより、公平な判断を目指して欲しい。でも現実的に、まさかそんな判断は期待できない。国会がそのレベルなら、あらゆる国策も同様。客観的な判断、適切な対処は期待できない。

事故対応を覚えていない・・・そんなことがない状況を作る必要がある。終戦直後に作っておく必要があった。法で定める必要がある。会議や指示は全て記録するのが公的な立場に立つ者の義務だ。おそらく歴代の内閣が、隠密の相談によってものを決めてきた弊害が、事故の際に明らかになっただけだろう。

「現場」に口を出すなという意見が、今の主流のようだが、そんなことを言える立場に、「現場」のレベルは達していなかったはず。現場が事故を起こしたのである。こんな意見を繰り返し流すのは、原子力村の作意が働いているからだろう。

万事を菅元総理のせいにしようとする姿勢は感心できない。氏は欠点も多かったと思うが、電力会社や役人の菅氏への評価は、正当なものではないと考えたほうが良い。第一、菅氏を批判しても、事故対応の改善につながるとは考えにくい。頼るべき担当官や専門家が役に立たなかったことが明らかなのだから。

仮に菅氏がアホ総理だったとしても、事故対応に関してアドバイスを続けることがスタッフの職務であり、そうできなかった体制、スタッフ側に主な欠陥があったと考え、ひたすら改善の方法を探るべき。また、そもそも管理不能に陥る施設を作って野放しにした関係者が最大最悪の連中なんで、非難の9割は彼らに向けるべき。

そうしないのは、改善につながらない安易な態度。隠蔽体質につながる態度である。マスコミのほとんどは、したがって落第である。隠蔽しようとする内容をクールに分析し、問題が発生しないように体制を整える、その努力を破棄している。そもそもマスコミのほとんどは、「原発は必要であり、安全である。」という政府の方針に協力してきたと言える。社説で誤りを謝罪した新聞があったろうか?

どうやら、この文章だけが信用できそう・・・ってのは傲慢かなあ。

 

 

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