映画評

  • 当劇場は劇場主のための映画館です。訪問者を期待しておりません。内容の客観性、正確性は保障できません。でも、真摯な批評を目指します。

劇場主


Conflict of Interest

  • 特にありません。

おことわり

  • 当劇場は誹謗中傷を目的としておりません。もし権利を侵害されたと感じられた方は、申し訳ありませんが管理会社や公的機関に御相談ください。

« ロング・グッドバイ(1973) | トップページ | クイズ・ショウ(1994) »

2012年7月14日

J・エドガー(2011)

- 観る人いる? -

FBIに君臨したフーバー元長官の伝説を、クリント・イーストウッドが監督した作品。ホモセクシャル、秘密個人情報の悪用など、闇に包まれた生涯を描く・・・

・・・フーバー長官の話を映画化しても、日本では絶対といって良いほど受けないだろう。この作品も、ビデオになって初めて知った次第。そもそも日本の若い人では、彼の存在すら知らない人が多いだろう。大統領は知っていても、捜査機関のトップに注目する人は少ない。アメリカ人なら誰でも知っていても、他の国には基本的には関係ない人物だから。

実際には、かなり関係しているのではないかと思う。アメリカは世界帝国だから、その決定は日本の政策を左右しているはずだし、アメリカに対して敵対を目指す勢力は、日本を舞台に活動しているはず。当然、CIAや外務省などを介するとしても、FBIと日本が無関係なはずはない。直接、間接的に誰かを捜査したり、情報提供を迫られたりしていたはず。

昔、シリーズもののFBIのテレビシリーズがあった。そこでは、まさにギャングやゲリラと戦い、民主主義を守るヒーローとして描かれ、私もいまだにイメージとして、そう思っている。あれは、おそらくFBIの戦略として、資金確保、法律改正への宣伝のために局が情報提供する形で作られたものだろう。ホモの長官など描かれるようなものではなかった。

リンドバーグの事件とFBIが関係していたことは知らなかった。もっと昔から、確固たる組織だったというイメージを持っていたが、本当につい最近、やっと形作られた組織にすぎないことに驚く。連邦制をとる国だから、自分達の領域を侵されることに嫌悪感を持つ州警察が実際に多かったのかもしれない。あの広大な国で、州ごとに分裂して捜査をやれるはずがないのに。

指紋、科学的捜査にも、意外に歴史がなかったのも驚いた。指紋の照合など、明治時代にはやってたんじゃ?くらいの考えしかなかった。

ホモ伝説は有名だから、他の映画でも度々出ていた。もちろん、存命中にそんなことを書いたら、直ちに怖ろしい捜査の対象になりかねないから、報じられるようになったのは近年のことじゃないかと思うが、敵対した運動家達も彼の悪評を高めるために情報操作をやったはずだし、どこまで本当かは判らない。

側近の局員とは、おそらく何か特殊な関係にあったとは思える。秘密結社、性的な関係、何かの弱み、利害の一致、そんな何かがあったはずだ。この作品では、手を握るくらいのソフトな表現に止めていたが、それだけで互いに忠誠を維持できるとは思えない。いかに愛国心が強かろうと、個人情報のストックなど、権力と保身を混同するような行為には走れない。

独特な関係は、日本の武将達にもよくあった話らしい。もともと戦地で安全に性欲を解消するのが難しいこともあるし、特殊な関係を築くことで忠実な関係を維持できる効果があるから、それがあったために地位を維持できた面はあったのだろう。部下に裏切られたら、いかに優秀な人物でも生き残れない。

上杉謙信は、たしか生涯独身だったが同性愛者だったのかもしれないように思う。そのほか聖職者などには、当然ながら独身者が多い。名誉欲、出世欲や、何かの衝動があるから独身を保ち、また職務で業績をあげられるのではないかと思う。そして協力者に恵まれやすいのかも。

この作品は、日本人には向かない。レオさまのファンだけは観るべきだろうが、子供も大人も、一般的には楽しむことを期待できない性格の映画。恋人と観ようと提案したら、ホモかと疑われかねないかも。

主演、ディカプリオは個人的には好きになれない演技ぶりだった。フーバー氏を突き動かした衝動は、おそらく名誉欲や、生き残りをかけたファイティングスピリットや、国家への忠誠心等だったと思うのだが、その衝動が解りやすく表現できたようには思えない。スキャンダル部分の表現は適切だったかもしれないが、主人公に共感するのは難しい印象を持った。

ストーリーの流れから考えると、若い頃に力を持たないことで何かの悲惨な体験をし、権力欲を培った、またはあくなき名誉欲、支配欲、出世への競争心など、何かが彼を突き動かしたのだと、単純な構図で明らかにされたほうが分かり安い。

そして主人公か脇役の誰かでもいいから、共感する部分を作らないと、興行的な面では失敗すると思う。悪役でも何かの理解を必要とする。彼の最近の役柄は、どうもパッとしない印象を受ける。顔と役柄とがマッチしていないのでは?

ナオミ・ワッツ演じた女性秘書のキャラクターも解りにくい。何か性的に特殊な傾向があったのだろうか?半分嘘でもいいから、なぜ彼女が生涯をかけてフーバー氏に仕えたのか、そこを理解できたほうが良い。

フーバー氏のようなワンマンなトップは珍しくない。日本でも海外でも、独特な個性を持って組織を立ち上げ支配する人物は伝説になっている。謀略、違法性も気にならないでやれるのは、自分を許せる甘えを持つからだろうが、いっぽうで激しい競争に耐える強靭なファイティング・スピリットは、おそらくだが生まれつきの動物的な衝動が関係しているように思う。

そのような人間は意外に多いはず。だから、どんな小さな団体でも、長期間トップの君臨を許すシステムは望ましくない。いかに有能な人物であっても、力の乱用、行き過ぎはありえるから、優秀だからトップを続けてよい、といった安易な判断は禁じるべき。いかなる組織でも。

社長 → 会長 → 名誉会長の流れで、実質的に長期間の院政をひく人物が多いが、有能だからそれが出来たとしても、やはり弊害が多いと思う。

 

 

« ロング・グッドバイ(1973) | トップページ | クイズ・ショウ(1994) »

無料ブログはココログ