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2012年7月17日

クイズ・ショウ(1994)

- 名画の風格 -

クイズ番組のチャンピオンの評価に不満を抱いたテレビ局は、製作会社に命じてチャンピオン交替を演出する。しかし納得いかない元チャンピオンが訴え出る・・・

・・・ロバート・レッドフォードが監督した作品。彼もいつの間にかスターより監督として定着してしまったようだ。実際のスキャンダルが題材になっているそうだ。でも、全く知らなかった。もはや古典的な事件だったからか?

この作品は扱った時代が古いせいか、結構雰囲気は悪くない。名画の風格。子供の喜ぶシーンは全くないが、高校生以上くらいならそこそこ楽しめる。ただし、アクション映画のようなスリルはない。ギャングが脅しをかけるシーンもなかったから、スリルを楽しむタイプの作品ではない。

役者達の演技も、演出にも高いレベルを感じた。でも味わいのような重厚な演出があったとは言えない。映画の終わりに、笑い続ける観客が写されるが、皮肉な演出方法で、いかにもテレビ界らしいわざとらしさを表したものだと思う。でも、今となってはちょっと古い表現方法とも言える。

主人公に相当する大学講師を演じたレイフ・ファインズは、今は魔法使いの悪役として有名だが、育ちの良さそうな雰囲気と、ある程度はモラルを持つ普通の人物としてのキャラクターを実に上手く演じていたと思う。

この役の場合は、あんまりオーバーに演じると妙なことになる。悩んでいるが、隠そうとして努力しているという微妙な路線でやらないといけないので、演技としてはかなり難しいのではないかと思う。近年の俳優だと、「17歳の肖像」のピーター・サースガードのような、比較的おっとりした路線の俳優が合うと思うが、ファインズ氏も上手かった。

対する元チャンピオン役ジョン・タートゥーロは、独特の個性の持ち主として描かれていたから、オーバーな演技が要求される。顔つきや目つきがおかしいタトゥーロ氏は、これまた良い配役だった。

事件は50年代のことらしく、アメリカも好景気で成長に走っていた時代と思う。もしかして当時の風潮として、勝負を賭ける勢いのようなものがあり、多少の虚飾は許されるという感覚があったのでは?高度成長期の日本でも、熱にかられたようにモラルが後回しになることはあった。

映画でも出演者のコメントとして語られていたが、ショーの中でやらせをやったとして、犯罪と捉えるか、ただのショーの演出とするのか、微妙な問題だとは思う。いかにリアルな真剣勝負を演じたとしても、所詮は演出であり、虚構の世界のことなので、犯罪にはならないという考え方もある。ただし、何かテロップで解説を入れることが今日なら要求されるだろう。

ニュースやニュースショーの場合は番組の性格から考えて、犯罪性が生じると思う。正確な情報であることを前提として鑑賞している視聴者に対して、何かを保障するのは難しいとしても、処罰の対象となるべきと思う。虚偽の情報を流す場合は、どんな罪に相当するのか知らないが・・・

多数の視聴者が存在し、特に虚偽の話であると断りがない場合は、公的な電波を使って嘘の話を公開したと考えると、犯罪でなくても道徳的な問題はあるといえる。法律で決めるべき問題で、誰かを犯罪者として聴聞するような問題ではないのかも知れない。ただ、映画の事件の場合は大きな話題になったから聴聞せざるをえなくなっただけで、本来の違法性は曖昧。

この映画の通りなら、実際の黒幕に相当するNBCの会長(社長?)は罪に問われないままだったことになるが、確かにありえるだろう。具体的に現場に指示した証拠がないし、制作会社が責任をとる形で、一種の人柱は立てた格好で幕引きされたのは、現実的な対処だったのだろう。今、この種の問題が発生しても、同じような対応がなされるに違いない。力関係がものを言う。

現場のスタッフも、後では復帰できたと述べられていたので、やはりNBCを守ったことが後々取引の材料になったのだろう。仕事を与えないなら、過去の秘密をばらすと脅したわけではないだろうが、臭わすくらいはしただろう。裏取引が最初からあったのかも知れない。

タモリの笑っていいとも!のお友達紹介コーナーは完全な演出であることが常識だったから、間違って誰かが「初対面です。」と暴露しても笑い話で済んだ。個人的には、クイズショーも同じようにナアナアで済ませてやっても良かったような気がするが、それはヤラセが氾濫した今日だから言えることかも知れない。

子や孫がイカサマをやらかしたら、さすがに家族は誇りを傷つけられて落胆するだろう。この作品の主人公の父親役は立派な態度だったが、慌てふためいたり、泣いたりするほうが自然かも知れない。いかな知の巨人であっても、子供や孫が不祥事をはたらいたら、クールではいられない。

悪役を引き立たせることができたら、物語は対決が中心となって重厚さが出たかもしれない。でも、この映画の製作当時、まだ登場人物は存命だったはずだから、あんまり際どい演出はできなかったのだろう。

 

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