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2012年6月15日

ツレがうつになりまして(2011)

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- イグアナも役立つ -

売れない漫画家のヒロインと、サラリーマンの夫の物語。夫がうつ病を発症し、子なし金なし、ペット(イグアナ)ありの夫婦がいかに過ごしていくかという内容。

外国映画によくあるペーソスなるものをイメージして作られていたのだろうか?雰囲気の良い作品だった。原作はマンガイラスト付きのエッセイだそうだがベストセラーになったらしい。うつ病患者が非常に多いのに、話が専門的過ぎたり暗すぎる本が多い。本を読むためには精神状態がよくないと無理で、そんなら最初から読めるはずないと思えるような代物が多かった。

主演の宮崎あおいと、堺雅人の演技は素晴らしかった。厳しい状況であるにも関わらず、妻の宮崎が自分もいっしょになって泣きわめかなかった点が良い。他人事みたいに呑気に構えていたような印象を受ける。

ドラマを好きな人は、恋愛のドロドロ話は好きかもしれないが、元気がなくなって布団に包まってドロドロしている人物に興味を示すわけではないだろう。同じく深刻な話でも、病気でドロドロのドラマは最小限にしないといけない。

自殺未遂のシーンがあったが、どこか悲惨さが欠けた、喜劇的でドンくさい方法で描かれ、実際はどうだったか知らないのだが、映画的には良い作り方だと思えた。血まみれのシーンが始まったら、とても観ていられなかっただろう。

イグアナは作者の家で本当に飼われていたらしいが、映画の雰囲気作りには最適な材料だった。作者が意図したわけではないと思うのだが、映画のために飼っていたとしたら、かなり営業的、戦略的なアイテム。

ただし、イグアナに限らず、ペットの多くはサルモネラ菌などの病原体を撒き散らすことがあるので、少なくとも老人や子供がいる家庭は遠慮したほうがいいと思う。何かの囲いは望まれる。本当は雰囲気より健康が大事。

堺の表情は、映画向きにオーバーになっていたように個人的には思うが、彼はもともとオーバー気味にやらないと存在価値がない俳優。時々真顔になるシーンは非常にリアルで、確かな演技力を感じた。宮崎も同じ。無表情なようでいて、ちゃんと演じることができる本物の凄さを感じる。

ラストにかけて、やや冗長な印象を受けた。余韻を良くしようと思うなら、もう少し詩的な終わり方にして、時間を短くしたほうが良いような、これも個人的な印象を受けた。

うつ病・・・

自分自身も、鬱の傾向が強い。映画の夫のように生真面目に整理するほうではないが、ひどく合理性のないこと、全く美的でない物、非効率的なもの、衛生的でないものには嫌悪感を覚えるから、神経質なほうだ。そのくせ自分の体臭は臭いんだが。

本物のうつ病患者に比べると、随分と暢気。ギャグが好きで、陽気に騒ぐのも嫌いではない妙な患者だ。本物は凄い。映画のような愛嬌のある患者は少ないように思う。うつ病にも色々なパターンはあると思われる。「大うつ病」が、おそらく主人公だ。

セロトニンのことが作品で解説されていたが、どうもそれだけで説明するのは無理があるような気がする。セロトニンの分泌が関与するのは確かにそうだろうが、いろんなパターン、疾患構造があるような気がしてならない。ノルアドレナリン、脂肪酸など、いくつかの原因物質が説明に使われているが、やはり仮説に過ぎないような印象を受ける。

認知症の高齢者を見ていると、うつの傾向を感じる。本物のうつ病か、認知症の随伴症状か、さっぱり区別がつかない人も多い。なんとなく、脳の基幹部の能動的感情に関わる活動性が低下したこと=うつ状態そのもの、といった印象を受けるが、実態がどうかは解らない。

「活気」「生き生きとした印象」「目の輝き」「情緒の安定」そんなものとして感じられる病気の本態は、神経内分泌、伝達物質の複合的な異常だと思うんだが、おそらく内分泌される物質も、そのパターンも、ネットワークの出来かたによって複雑な様相を呈しているはず。だから、病状も千差万別だろう。

薬の反応も予測しきらない。理解が足りないからだろう。そもそも怖ろしくて自分が飲んだことがない薬ばかりだから、勘がつかめない。同じような状態でも反応が全く違うのは、薬の代謝の違いか病態の違いか、その判別もできない。

作家でドクターでもある南木氏が経験した話によると、本当に衝動のように切実に死にたいと感じることがあるそうだ。そんな場合は、薬の副作用の心配よりも、とりあえず緊急事態をしのぐことを優先し、迷わず薬で症状を抑え込めという結論だったが、確かにそうだと思う。

冷静になれないまま、早まったことをする人が多いはず。亡くなった方の全員が重症とは限らず、症状の波の勢いのようなものがあるに違いない。急場をしのぎつつ、経過に応じて対処するのが基本。

学生時代の教授は、うつ病患者には安易な励ましはいけないと言われていたが、そのくせ回診の最中、患者に「頑張ってね。」と声をかけるので、我々は顔を見合わせ首をひねっていた。確かに励ました患者がみな直ぐ死ぬわけではないのだろうが・・・

経済的問題・・・

主人公達は、収入が減っても食事に困ることはなかったようだが、近年の不景気、雇用不安の状態では、無職でうつ病、財産もなしという人は多いはず。映画のように一軒家に住むなど無理、治療は医療費の関係で難しく、仕事の成果も出せないので解雇、といった悪循環に陥るケースも当然ある。

財産貯蓄のあるなし、失業保険の有無、親の援助の有無などによっては、回復に悪影響がある場合もあるのでは?仕事や金は大事な要素だと思う。

おそらくだが、目の前に「我慢すれば大きな収入、昇進が待ってるぜ!」というエサがあれば、実は病気になってもおかしくない人が、気づかないまま元気に働けるのかもしれない。特に農作業のような手作業をやれば、目に見えた成果(収穫)が得られるから、作業が治療効果を持つと思う。

バーチャルな成果だけでは、人間は実感できる喜びに欠ける面がある。動物のような状態に立ち返ることで、少しは改善へのきっかけが得られる場合(軽症の方だろうが)もあると思う。まあ私が知らないだけで、昔の農民にも鬱病はいたはずだが。

もし職が得られなかったら・・・そりゃあ普通、うつ傾向になるだろう。病気と、その傾向の区別のつけ方が解らないが、完全に病的にならないとしても、快活でいられるはずがない。発症しないで済んでいたはずの人が、本当に症状が出てしまうこともありえるのでは?

支える人・・・・

映画の夫は、支えてくれる妻がいて幸いだった。実際には、共倒れする家族も多いと思う。うつ病患者の考えることは、聞いていても気分が滅入るような内容が多い。思考がどん詰まりに至って健全でないから、会話に応じているうちに抑うつ気分になってしまう。

しかも、それを延々と繰り返されたら、病気にもなろうというもの。鈍感な人、もしくは堅固な信条を持つ悟り人でないと、支えることはできない。私の妻は私を支えきれるだろうか?・・・まさか、そうは思えない。かなり確固たる意志がないと、おかしくなるのでは?

患者の家族や精神科医は、どうやって乗り越えているのだろうか?

 

 

 

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