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2012年6月 7日

リミットレス(2011)

Relativity_media

- ビジネスマン考 -

どんずまりの男が主人公。彼は偶然手にした薬の効果によって能力を開放させ、大きな成功を収めるが、ロシアンマフィアや投資家が彼を利用しようと迫ってくる・・・

ベストセラー小説の映画化らしい。この種のストーリーは、どこかで観たような気がするので、ストーリーのオリジナリティで売ることはできないはず。おそらく、文章自体の魅力か、人物描写などの技術的な力で売れたのだろう。でも、映画も非常に面白かった。

特に、冒頭から繰り返される特殊な視覚効果、あれはカメラのズームを繰り返して合成して作ったのだろうか、異常な神経活動を表現するのに効果的だった。これは映画館で観たら、ひょっとして気分が悪くなったかもしれない。それくらいの迫力。

中心となる撮影は本当のズームであり、流行のCGではなかったような気がしたが、最終的にはCGで合成されていただろう。または全てCGだったのかも知れない。とにかく、しつこいほど繰り返されるズームだけで、主人公の異常な感覚を表現することに成功していた。まさか、スタッフに本当のヤク注がいたのか?

この作品は子供には向かない。ドラッグを礼賛しているかのような内容だし、殺人のシーンもえげつない。恋人といっしょに観る娯楽としては悪くないと思うが、恋の話は中心ではなかったようだ。スカッとする話とも言えないかもしれない。

「ハングオーバー」のブラッドリー・クーパーが主演だったが、企画の段階ではシャイヤ・ラブーフ主演として交渉されていたのだそうだ。ラブーフはSF映画で活躍していたし、困った状況から抜け出すのは得意な印象がある。確かにラブーフでも成り立ったかもしれない。

クーパー氏もイメージとしては合っていた。「ハングオーバー」シリーズのような、とんでもない状況から脱していた役柄を、ちょっと真面目にやればいいとも思える。光を当てて顔の色や目の色を際立たせるだけで、凄い能力の変化があったことを、日本人でも解るように演じ、また演出できていた。

ただし、大スターのように、我々に強制的とも言えるほど感情移入をさせる俳優ではない印象も受けた。端正な顔立ちのせいか、苦渋ににじんだといった表情が感じられなかった。例えばトム・クルーズなどは、厳しい状態に陥ったときの表情が緊迫感に満ちている。あの表情は大事だ。

ロバート・デ・ニーロが演じていたビジネスマンには存在感、現実感があった。でも、騙しあう企業家の雰囲気としては、デ・ニーロ本来の野性味、暴力的なイメージは合わない。デ・ニーロは、もしかすると既にその役割を果たした役者かも知れない。もっとエドワード・ロビンソン風の、憎々しげな俳優のほうが望ましいと思った。暴力を用いない残酷さ、冷酷さが必要。

この作品では、成功やビジネスマンに対する感覚がカギとなっていた。単なる超能力がテーマではなく、不正で不健康な手段を用いてもビジネスで成功したいと考える、あくなき成功欲が強い国ならではの作品と思った。

実際のビジネスマンは、どんな人種なのか知らないのだが、おそらく巨額のマネーを効果的に運用し、政治家などにも強い影響力を持つし、自ら政治家になることもあるし、映画の中と同じように、買収や合併によって収入を得て、力を維持しているのだろう。私のような一般人とは、それこそ人種が違うはず。

あちらでは政治家も、主人公と同じように何かの事業で成功し、政界に打って出て、さらなる高みを目指し・・・というストーリーに基づいて行動しているに違いない。その辺の野心家ぶりがリアルだったのかも。ビジネスマンと政治家の関係が日本とは随分違う。おのずと、彼らの能力や野心も違うのだろう。

イメージとして、ビジネスマンは一人で目立った行動を採るような愚は冒さないように思う。単独行動は危険である。互いの利益を合致する方向で調整し、利害が一致すればどのような悪行でも遂行する。ドナルド・トランプ氏のように目立つのは例外的。

本当のところは解らない、おそらくの話だが、本物のビジネスマンは、ビジネスのために国民を使った戦争も辞さないし、候補者を殺すことも業務の一環と考えているし、もちろん買収や企業解体による職員の悲劇なども気にはしないだろう。ただし、その際にドラマのように悪巧みをするのではなく、使える道具をクールに使うという感覚ではないかと思う。

都合の良い法律を作ることは当然。そのために寄付をする。必ず法が成立するわけではないが、繰り返し利益の種になる改正を狙う。違法となると、せっかくの努力が水の泡になるから当然だ。弊害が後で明らかになる法律だろうと、とりあえず合法的であることは重要。屁理屈に近い形で利益を確保していくのがビジネス。

権利や利益に対する概念や、力の保持の仕方などが、日本社会の社長や政治家達、役人達とは違うように思う。動く金額も動かす兵力も違えば、考え方のレベルが違って当然。日本の場合は狭い島国の中で頭角を現すことが目標、一方あちらは反映の存続が目標といった違いか?奴隷制を理想と考えているように感じる。 

ユダヤ系を始めとして、世界各地から金と権力を求めて集まった連中だ。戦略的に正しくないと、生き残るのは難しいだろう。

松下幸之助氏のことを考えた。経営の神様と讃えられた氏だが、大きな動きとして中国や東南アジアに生産拠点が移ってしまった今の状況で、はたして従業員の雇用を維持して、国内生産を続けることができたろうか?苦しい時期こそ社員を守る・・・その理想を貫くことができたろうか?

堤財閥の堤義明氏や、中内ダイエー社長、田中角栄氏のことも思い出す。凄い才能を持つ国産ビジネスマンのようなイメージがあり、私の若い頃のヒーローだったが、失脚のような形で舞台を退いた。実際に何かの組織的暗躍によって失脚させられたようにも感じたが、欧米流の本物のビジネスマンは、あのような危機でも乗り越えていくのだろう。

たぶん、本物のビジネスマンは国家の縛りに捕らわれないで思考している。アメリカが、もともとそういう場所だ。儲けの舞台に過ぎない。生産拠点を米国から中国に移して稼ぎ、中国の人件費が上がったら米国に戻し、両国で解雇される人間のことは法律で対処する。それがビジネス的には正しい道と考えている。

例えば、田中角栄が邪魔になったら、日本の官僚を使って処分させる。堤氏も邪魔なら同様だ。彼らに関しては日本の役人が独自に行動した可能性もあるにはあるが、米国ビジネスマンがらみの何かの経緯がなかったとは考えにくい。彼らを自由にすると、ビジネスの利益を阻害すると判断したら、なすべきことをなすだろう。日本の検察、司法組織は本当に便利な道具だから。

ロシアのプーチンたちと中国共産党の指導者達、イランあたりの首脳が、もしかしたら権力としては欧米ビジネスマンと対抗しうるに近い存在かもしれないが、経済的な規模を考えるとケタが違う。完全な形で思いのままにはならないというだけ。それに、タフな彼らはどこに対しても常に侵食を計っているだろう。

中国の高官一族も資産を蓄えつつあるようだが、やはりアメリカの富豪とは性格が異なる気がする。強欲ぶりは同じでも、法律やマスコミ、株、政治家や役人達の使い方が、高度に戦略的で、よりグローバルである点と、その歴史が違う。

彼らに比べれば、日本の政治家や役人、社長達はサル程度の存在でしかない。もちろん非常に強く勇敢なサルだとしても、また人格もさておき、意味合いとしてはそうだ。サル山のボスとなることには執心するが、戦略的な意味において山ザルには違いない。

私は、そのまた下のノミくらいか?まあ、ノミにはノミなりの生き方もあるので、あんまり気にしてもしょうがないが。

 

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