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2012年5月 7日

ツリー・オブ・ライフ(2011)

- 映画詩 -

大都会で働く男は、かって自分が育った家庭、両親を思い出して自分の人生や、両親の生き方、神の存在に想いをはせる・・・・

何か物語が進展する話ではなかった。主人公に相当する男はビジネスマンらしいが、仕事しているような風には全く見えず、ブラブラと社内をうろつくだけ。苦みばしった顔をしながら、何が不満で何を気にしているのか、とうとう解らないまま。

生き方を模索している様子には見えた。信仰が深く心に刻まれて、神を意識しながら生きていることが繰り返し表現されていたし、子供の頃の母親に対する憧れ、多少は性的な面も含むほど無条件の好意を、ゆっくりとしたMTV風の画像で表現していた。

監督自身を題材にしてるのだろうか?愛憎こもった親への感情、過去の一般的な考え方が役に立たないことへの怒りにもにた感情、迷い、神や自然への畏敬の念、それらを表現することに徹したような作品。

脚本と監督は、テレンス・マリック。随分と凝った作品。最初のほうでは恐竜までが登場してきた。でも一瞬にすぎない。ちょっとしたイメージだけを与えて、すぐまた別のシーンに移るという手法で、さながら映画の印象派のような感じ。とにかく、非常に個性的な作品だった。

監督自身の幼児のころの体験か、何か原作があるのか解らないが、敬虔な母親と、厳しい父親という、どこにでもいそうな夫婦と、仲の良い兄弟、ただし多少の仲違いやいじめはある、そんな普通の家庭が経験する物語が、非常に強烈な印象を与えるべく、詩のイメージで描かれていた。

映画詩・・・それが、この作品にふさわしい評価かも。あんまり好きになれない表現法。私は詩を理解できない。コマーシャルやミュージックビデオには向く手法だろうが、長い時間の上映には向かないというのが一般的な感覚だと思う。

くだらない作品ではないが、少なくともこれは絶対に子供には受けない。恋人と観ても、よく解らないまま終わっていたという結果になるかも。強い印象は受けるのだが、何と説明してよいか解らない、そのような感想に終わるかもしれない。大ヒットが望める作品ではないし、よく製作許可が出たもんだと感心する。

ブラッド・ピットが口を尖らせながら厳しい父親を演じていたが、もともとの顔つきから考えると、この役には向いていなかったような気がした。彼はタフ男のキャラクターだったろうか?別な役者のほうが良かったと思う。見るからにタフな、かっての強いアメリカを体現できそうな役者が望まれた。

ショーン・ペンも苦渋の表情を浮かべるばかりでなく、仕事に疲れ、人生の目標を失い、どう生きたら良いのか解らないという苦悩を、おそらく自分の家族に対して吐露するような簡単な表現方法もあったほうが、観客の印象は良くなったと思う。

解りやすい部分がないと、我々としてはとっつきにくい。理解の手順が解らないといった状況になる。

神が時には厳し過ぎると感じることは誰にでもあるだろう。9・11テロなどを目にしたら、神への信頼も揺らぎそうだ。アメリカ人の多くは常にキリスト教の神をイメージしながら生きているはずだから、この作品のビジネスマンは標準に近い存在かも。

何事も神の思し召しのままに・・・そんな境地にはなかなか達することができない。そんな風に考えていたら、社会の発展が阻害されるという恐怖感めいた感覚がある。ひたすら負けまいと努力して、やっと生きていけるのが現状だから、悟りに達することはできない。

私にとって不思議なのは、ビジネスはビジネスと割り切って、競合相手を破滅させる人物が、キリスト教精神とどう折り合いをつけているかという問題。ほとんど殺人に近い行為をはたらいても、明らかに不正な極悪非道のマネーゲームをやっても、ちゃんとキリスト教徒でいれるのが理解できない。

キリスト教に限らない。殺人を正当化する神は滅多にいないと思うのだが、最も人を殺しているのが宗教がらみの戦争であるのは間違いない。他の宗教に寛容でないというだけでは説明できないほどの激しさが、どうしても理解できない。

神の戦士・・・よく聞く表現だが、本来の宗教の精神とは相反するほどの強さを賞賛する、あの感覚が解らない。実は単に国や国の利権のために雇われて戦っただけで、その戦士の行為は残虐な殺人のプロそのもの、でも賞賛する、神を持ち出す、あの感覚。宗教だけではない要因が賞賛に関係しているのは明らか。

歴史的に宗教のため敵と戦う場面が多かったのは確かだが、今の時代は違ってもいいような気がする。イスラム国家が核爆弾を開発し、キリスト教国家がそれを非難して経済制裁する現状は、宗教が大きく絡んではいるものの、宗教なしでも成り立つ。単なる国家間、人種、経済、利権の争いに宗教のベールを乗せただけでも解説できる。

結局、宗教は人間に何ももたらしていないのでは?宗教的な分析は、話をややこしくはしていても解決には役立たない、それを思い知らされている、敬虔なクリスチャンの母親に育てられた男・・・そんな主人公のイメージを感じた。

 

 

 

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