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2012年4月 4日

代書屋(昭和57年、関西テレビ版)

- You Tubeで結構 -

桂枝雀の落語のDVDを鑑賞。NHKから取り寄せた。 9枚組みで2万円以上もしたので、安くはなかった。

爆笑ものの傑作な話。もはや古典的とも言える。ただしDVDの画質は良くないし、音の処理にも問題があるような気がした。この高座の当時はデジタルの技術が入ってなかったのだろう。当時のテレビで観た印象ではもっと聴き取りやすく、画像もきれいだったと思うのだが、テープに保存したのであったら、この程度が質的な限界かもしれない。大きなテレビで見るには辛く、わざわざ画面を小さくして観た。

この画像は、既にYou Tubeに投稿されている。権利の問題もあろうに不思議だが、NHKは何も抗議していないのだろうか?画質は、さすがに小さな画面でないと耐えられない程度だが、音質に関しては充分と思う。

法的な問題がないのなら、この演題の鑑賞にはYou Tubeで充分ではないかと個人的には思った。今回は散財してしまったようだ。リマスタリングされたら、DVD版にも意味が出てくるだろう。

最近、落語をテレビで見ることがなくなった。”笑点”の時間に子供と遊んでいるからだろう。子育て期間が長いので、あと5年くらいは自分の時間は持てないことになりそう。以前は枝雀劇場がしばらく放映されていたし、仁鶴師匠がNHKの番組をやっていた時期には、短い落語もあったような気がする。我が家の子供は落語を聞いたことがない。そこでDVDで見せようと思った。

師匠が急死した理由はよく知らないが、持病と完璧主義か何かのせいではないかと当時は思った。他にも上手い落語家はたくさんいたが、芸の迫力、独創的とも言える特徴は余人の追随を許さない高いレベルであった。残念なことだった。

この撮影時の師匠は43才くらい。記憶に残る師匠よりも随分若い。そのせいか、声も記憶のものとは若干違って、少しだけ若々しい。熟練という域には達していないような印象を受ける。後年は、例えば旦那さんの側を演じるときに好都合な声質だったが、この作品の当時はボケ役に相当する若者の側に近い声質。久しぶりに見て、初めてそのように感じた。

おそらく50代の頃のイメージが強いからだろう。

ストーリーは単純で、履歴書を書いて欲しい男が代書屋、今で言う司法書士事務所を尋ね、男のチンプンカンプンな返事と、困る代書屋とのやり取りで笑わせるという、それだけの話。大きな展開があって、何か事件が起こるといったドラマティックな話ではない。

漫才でもありそうなやり取り。「姓名は何ですか?」と聞かれて、「そうです。」と答える。「生年月日は?」と聞かれて、「生年月日!」と答える。書いてしまうと下らない話なのだが、落語家が演じると実におかしなやり取りになってしまう。

実は、日常の診察室では毎日のように、同じようなやり取りを交わしている。

「今日の具合はいかがですか?」「雨でえらい濡れましたが。」「えっ?ああ、そうですかあ・・・体調はいかがですか?」「タイチョー?」「体の調子はいかがですか?」「高血圧じゃ。」「・・・血圧を治療中でしたね。食欲はありますか?」「ショクヨク。」「ご飯は食べました?」「今日は忙しかったもん。」「・・・・血圧を御自宅で測られましたか?」「はあ?ケツアツですか?」「ええ、血圧です。おうちで測りました?」「うん。」「どれくらいの値でした?」「今から先生に測ってもらおうと思ってます。」そのようなやり取りをやっている。

このような相手は落語に出てくるような長屋の住人かと思いきや、立派なお宅に住まれて、会社を経営される社長さんだったりする。つまり改まった当方の言葉が、普段の氏が使われる用語よりも文語調で理解しがたいだけ、私の雰囲気が良くない、相手の言葉に近い用語を私が選びそこねたというだけなのだろう。

明治大正の時代は、おそらく落語に出てくるような会話はもっと多かったに違いない。文語調の言葉か口語調の言葉かどうか、標準語に慣れているかどうか、正式な用語に慣れているかどうか、ただその違いのゆえに、いかにトンチンカンなやり取りが展開されるのか、おそらく作者と言われる落語家の桂米團治が実際に見聞きした話が、この噺の基になったはず。

したがって、外来での会話も同様な噺にすることは充分に可能だと思うが、既に漫才ギャグで使われていそうなので、古典的なレベルの話として残っているのは知らない。志村けんのギャグが、後世では古典化するかもしれないが。

この手の話は、やりすぎると人をバカにしているかのような印象を持たれかねない。相手は老人ではなく、根っからマヌケな中年の男が望ましい。若過ぎる男や女性では絶対にいけない。元気だけはある、病気などしたこともないほど健康、そのようなイメージのユニークな人物が望ましい。

また、噺家自身にも一定の向き不向きがある。枝雀師匠の場合、乗りに乗って陽気に愚か者役を演じる時には最適だが、仮に立川談志などが同じ役を演じると、アクが強過ぎて男が可哀相になって笑えない。誰でもこの話を得意にしているわけではないようだ。そのようなセンスを、桂一門の噺家達はちゃんと解っていたのだろう。

 

 

 

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