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2012年4月24日

映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!オラと宇宙のプリンセス(2012)

Etc

- 白熱教室を打破 -

しんのすけの妹ひまわりが宇宙人にさらわれ、野原一家は奪還を目指す。でも、ひまわりを連れ戻すと地球が破滅してしまう・・・究極の選択を迫られた野原一家は決断を迫られる・・・・

・・・この映画は名探偵コナンと競合する上映だった。どちらを選ぶか考えると、当然それは大人も子供も楽しめるコナンに決まりでしょうが!と、子供たちに言ったのだが、どうしてもしんちゃんがいいという末っ子のわがままに従って選択。

後ろの席では女の子達が主題歌を歌いながら踊っていた。”渡り廊下走り隊”が歌っているらしいので、テレビなどで聞いていたのだろう。コナンの場合は、そのような宣伝はされていなかったようだ。その辺の違いか?

クレヨンしんちゃんも20周年なんだそうだが、この作品は哲学的な難問を投げかけてくる傑作だった・・・・ということはない。難問は、あっさり無視する形で解決されていた。この調子だと、ハーバード大白熱教室のマイケル・サンデル教授の投げかける数々の問題にも、簡単に結論が出てしまうのだろう。すっ飛ばすという手法によって。

宇宙人達のキャラクターは良くできていた。原作者は亡くなっているはずだから、今は映画専用のスタッフが後をついで企画会議でもやっているのだろうが、レベルが高い仕事だと思う。このシリーズにはよくあることだが、悪役に相当する組織のミュージカル風のシーンがあって、今回はロシア民謡風の踊りだった。くだらないのだが、面白い。

地球の未来を表す宇宙儀みたいなものがある部屋(上の画像)は、何かの映画で見たような気がしたが、立体感があって、これもよくできていた。韓国のCG製作会社も参加していたようで、後のクレジットで紹介されていたが、ドラえもん映画と同じ会社かも知れない。似たような画像があった。

この作品は、いつかの戦国の話のような感動的シーンはなかったが、本来のアニメに向く程度の教育的な話が基調になっており、悪い映画ではなかった。テーマは非常にまとも。したがって、ちいさい子といっしょに家族で見れる作品。恋人といっしょに見ても、シラケるまではいかない程度の作品。いい大人がデートでわざわざ選ぶのはどうかと思うが、半分冗談でなら楽しい映画。

さて、人類の運命と妹と、いずれを選ぶべきか?

考え方として、①妹を連れて帰ったら、妹も含めた人類の運命が決まってしまう。したがって、妹が帰っても無意味・・・そんな理屈は成り立つ。また、②妹の犠牲によって確実に人類が救われ、犠牲なくして人類の存続は確実にないのなら、数的に最小限の犠牲を選択する・・・そんな理屈もありえる。しかし、③妹の了解をえないで犠牲を強いるのは人道に反しているので、人類が犠牲になって皆死ぬこともやむをえない・・・そんな理屈もありえないわけではない。 または、④そもそも妹の犠牲が必須であるという話の根拠が不明。全て嘘の場合は無駄な犠牲になるので、効果を証明できていないことに犠牲は許されない・・・そんな理屈もある。

したがって、アリストテレスとカントともにいわく・・・・そのような理屈の類はなく、とにかく「家族は本来、家族皆でいっしょに家に帰るんじゃい!」といった無茶な展開によって、結果的には解決されていた。でも危ない論理だったかもしれない。野原家の、あの選択方法をハーバード白熱教室に持ち込んだら、きっと激しい非難を浴びてしまうだろう。

問題が難しく判断に困る場合の鉄則は、試験を受けている場合を考えると容易に判る。その問題を飛ばして、点の取れそうな次の問題に行くことだ!そうしないと時間を無駄にして、点数を確保できない・・・・そんな考え方が、受験なれした日本人には当たり前になっているのか?

哲学的なレベルの問題にあたったら、哲学的に考えないのは鉄則。視点論点を変えて、哲学の分野からこっそり問題をそらし、事務的もしくは感情的に処理するのが正しいのだ。そうしないと思考する頭のほうが破綻してしまう。少なくとも、判断に手間取って時間を浪費してしまう。哲学は考慮の外に置いて考える、安易だが便利な御都合主義、それが日本人に多い形の対処法である。

短期的には正しい。論争に明け暮れて何もできない事態や、深く考え過ぎて生真面目な対応を選んだばかりに要らぬ犠牲を強いる、そんな間違いは最悪とも思える。早い対処は必要。急速な復興を生む力にもなったろうし、「問題すっとばし」法は悪くない。

サンデル教授の白熱教室にも勝ったということだ。ただし、国の中枢がそうだと、ジリ貧は覚悟しないといけない。私的に考えてなんとかなる場合は哲学を無視してよいのだが、長期的な見識が必要な人達はちゃんとした哲学が必要。そこに大きな違いがある。

そして、その意義がすっ飛ばされとんじゃ!

 

 

 

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