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2012年4月 6日

マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙(2011)

Pathe_pro

- 立場と態度 -

かってのイギリス首相サッチャーは、今は認知症の状態。妄想の入り混じる中、若かりし日を回想する・・・

・・・メリル・ストリープがアカデミー賞を取った作品。確かに凄い名演だった。現役当時のサッチャーの話し方の記憶は曖昧なので、どれくらい似ているか解らないが、イメージとしていかにも首相らしい雰囲気、そして認知症の老人らしき雰囲気が出ている。話し方はわざとらしい印象を受けたが、あんな感じだったかも。

多くの俳優が共演していたが、ほとんどひとり芝居に近い印象。注目を一身に集めながら、観客に飽きさせない演技と演出は見事だった。ただし、贅沢なことだが、彼女の場合は出演した時点で既に名演は決まったようなものなので、期待以上とは感じなかった。

もし、若い女優が齢をとるまで一人で演じきったら、そのほうが印象に残る。ピアフを演じたマリオン・コティアールが強烈な印象を残したように、観客を驚かせるのは若い俳優が一人でやった時だけ。多少の無理をしてでも、誰か若い女優を連れてくるべきだった。

妄想のシーンがやたら多いので、韓国の家庭ドラマを見るような感覚になった。観客は認知症の老人を見ても面白くはないはずだから、バランスとしてはドラマを減らし、過去の活躍に比重を持たせたら良いのではと思った。

かなり複雑な構成になっていた。脚本のレベルとしては凄く高いのだろうが、子供には理解不能だと思う。家族で観るのは、ダメとは言わないまでも受けは最初から諦めないといけない印象。恋人と観る作品としても、とても良いとは思えない。非常に感動したかと問われると、私の場合は”非常に”ではなかった。

でも、良い映画だった。駄作なんかではない。作品としてのまとまりがあった。

マイナーな企画だと思う。イギリスでならヒットするかもしれないが、世界的に売れる作品とは思えない。題材からして単純なメロドラマにはなりえないし、勇ましいだけの戦争映画にもなりえない。サクセスストーリーとも言いがたいし、どうも単純に言えない微妙な作品。映画化するにあたって、資金の面などがどうだったのか気になった。

金のことと言えば、今もフォークランド諸島は紛争再燃が懸念されているらしい。イギリスの財政が厳しくなると、戦うための費用が厳しくなる。何度か紛争を起こしていけば、やがては撤退するのでは?というアルゼンチン側の思惑が働くらしい。領土を維持するためには、戦費の調達ができる財力も必要ということ。

地理的に見れば明らかにアルゼンチンの領土と思えるのだが、たまたま移住した人間がイギリス人だった関係で、常に火種になる運命のようだ。資源の絡みもあるらしい。

サッチャーはね、サチコって言うんだ本当はね♪っていうギャグもあったが、彼女は毅然とした対応が印象に残る政治家らしい政治家だった。我が国では毅然としすぎて暴走する輩が多いが、彼女の場合はいかにも保守的な、確固たる精神、信条からくる強さを感じさせた。

なかなか、ああはなれない。私の場合は病院でも家庭でも常に妥協、譲歩の連続。正しいのは自分なんだが・・・と思いつつ、愛想笑いの情けない姿勢で事に当たってきた。何がサッチャーをそうさせたのか、どうして彼女はああできたのか、いつも疑問に思ってきた。

信条に忠実に生きることは理想。ただし、周りの人間の多数が自分とは違った生き方をしている場合には、無理を覚悟しないといけない。自分は他人の信条を尊重するほうだと思うが、例えば私の家内はそうではない。労働党の議員よりも強硬に自説を曲げないし、そもそも理屈らしい理屈がない。信条ウンネンの問題ではなく、反対のための反対をしている印象を受ける。

理屈がなければ、議論して共に正しい結論に向かうことは無理。議論を終わるか、また時期を選ぶしかない。それは、その場では”撤退””譲歩”とも表現される。・・・これは負け惜しみだろうか?・・・決まってんだろうが!という声が聞こえて来そうだ。

家庭は国とは違う。家庭内においては、権利の主張より子供の成長や安全などが大事だから、何事も手法が違うべきと思う。家内を相手にしたら、サッチャーでも譲歩せざるを得ない。IRAのような爆弾テロを起こしたりはしないが、子供の養育をいっさい破棄するなどの脅しを子供に向かって宣告するから、立派な精神的なテロリズムである。彼女に限らず、議論で強い人物は多くの場合、譲った時に怖ろしいことをするぞという脅しを効かせる。

テロの要素をにじませるから強いのである。しかし、そもそも家庭内でテロをやっていいのか?・・それはさておき、実際にテロや戦争をするかどうか、仕掛けるか応じるかに多少の分別の違いが出る。サッチャーは、そのキャラクターから考えて、譲歩するわけにはいかない。譲歩したら、もはや存在価値がない。行動に出ざるをえなかったと言うべきか?

サッチャーも下手すればテロの犠牲になっていたはずだから、毅然として死んだ可能性はあった。生き残れたから、結果として成功しただけという見方もできる。IRAやアルゼンチンに譲歩すれば、さらなる譲歩を要求されるから絶対に譲歩できないが、やはり賭けにはなる。

サッチャー以外にも毅然とした人物は多い。イギリス軍の将校達は大戦でどんどん死んでいった。日本軍でもそうだ。任務に忠実な人ほど危険な目に遭う確率は高い。でも彼らの全てが正当に評価されたわけではない。無残な死に至った人のほうが圧倒的に多かったはず。サッチャーには運もあったのだろう。

フォークランド紛争の時は、遠い地球の反対側の戦い。エグゾゼミサイルの威力に驚いた記憶しかない。最初からイギリス軍が圧倒するだろうと考えて、あんまり新聞も読まなかった。当時のニュースも、アメリカの出兵のような扱いはなかったと思う。実際には首相が戦術に意見を述べることはありえないだろうが、最終的な許可は首相に求められるから、当然ながら相当な責任を感じたことだろう。

「自分の決断で、多数の兵士が命をなくす・・・」そう考えたら、夜も眠れなくなりそうだ。勝つとは思うが、損害がないはずはない。でも戦わずに譲歩して和平を結んだりしたら、身の破滅だけでは済まない。国家にとって将来に渡る損失を生む。進むも退くも地獄のような、苦しい判断になるだろう。

できれば当時の彼女のような厳しい立場には立ちたくない。名誉がどれだけ得られようとも、自分の決断で多数の人が死ぬなど考えたくない。ただ、首相となったからには、職務に忠実に命令するしかない。胃が痛くなろうと眠れなくなろうとも、決断せざるを得ない。

私は首相などにはなれない。要するに、そんな器ではない。重圧に耐えられないだろう。耐えられる人間は、おかしいと思う。最悪の結果を招いた場合、例えば数万人が死んだ時に、「ふん、俺は決断を求められたからしたんじゃい!」などと言い訳する輩は、人間的にはクズ。真っ先に死ぬべき。でも、実際に自ら身を引いた政治家は少ない。

つまり、本質的に無責任でないと国の中枢には立てない。心から心配していたら、言い訳などしないし、自分の政治生命など気にしないで責任を取るはず。「職務に従って決断した結果なんで、罪ではありません。」などとは言わない。人が死んでも他人事と割り切れるかどうかが、自分とは違うと勝手ながら解釈している。

わが国の首脳も役人も、たぶんそうだからこそ、その地位にいるのだろう。昨今の事件で言えば原発事故や、AIJによる年金基金の損失問題、年金記録の消失など、すべては無責任の結果と思える。私だったら、結果が判明したら責任を取りたい。責任に関して私とは違った考えでないと、彼らの立場には立てないようだ。

私が若い頃に出世を諦めたのは正しかった。最初から無理だった。

映画の中のサッチャーは続投を考えていたように描かれていたが、本当だろうか?私なら、早いとこ引退したいと思うだろう。彼女はやはり野心、克己心、意欲の塊のような強烈な意志があったのか?ある意味では、異常なほどの意欲がないと首相にはなれない。正常人だったとは思えない。良識人だったとも思えない。

ただし、首相に求められる人格は、良い人間であることではないだろう。悪魔のようなクズ人間でも、国家と国民の利益を守り、最悪を避ける判断力があれば良い。国政と一般の家庭や職場とは全く違う。クールな判断のプロであるべきで、道義的に正しいか否かに気を取られてはいけない場面もあると思う。

そのような悪魔的人間は首相だけで良い。政治家や役人のほとんどがそうだと救いがたい・・・・・ところが、立場を誤解した人間が多い。毅然としていたほうが相手が譲って話が進むので、経験的に学んでクセのようになり、間違っていても毅然としてしまう、譲らないから集団を巻き添えにして悪い状況から抜け出せなくなり、始末に困る。

毅然としていることは、正しい判断をする力を意味しない。サッチャーだって常に判断が正しかったわけではないのだから。医療などに関しては失政だったかも。首相としては毅然として対処したと評価できるが、もちろん一般社会、家庭などで、そのスタイルを貫いてはいけない。おそらく地方政治も別だし、役所内部、職場や学校、病院などでも求められるものが当然違う。

首相に求められるスタイルを、首相以外の人にも求めてしまうのが一般的。だが、それは大いなる勘違いだと思う。立場が毅然とした対応を許すのであって、その人の立場において求められる方法で対処すべき。大多数の人が立場に応じて対処できないままなら、その結果を甘んじて受けるしかない。

時には勇ましく、毅然として滅ぶのも当然の結果だと覚悟する必要がある。巻き添えで被害を被る人には平然と、「これは民主主義のルールによる結果だから仕方ない、諦めろ。」と言う、そんな例に気がつくだろう。

言葉で表現するとそうなるが、どの人間にもあまねく言える問題で、実際に自覚して改善することは難しい。私も人に生き方を問えるほど偉くはない。今日も何か譲歩せざるをえないだろう。子供をどこか遊びに連れて行かないといけないらしい。彼らの当然の権利だと、毅然として言われた。約束した記憶はないんだが・・・

 

 

 

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