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2012年3月21日

つぼ算(昭和54年・ABC放送・枝雀寄席)

- 論理の運び方 -

桂枝雀の落語DVD、NHK出版より購入。

壷を割ってしまった男が、買い物上手の男といっしょに買いに行き、店員を騙して安く買おうとする話。

もともと歴史のある話らしく、いろんなバージョンがあるそうだ。ウリは店員を混乱させる賢い男の知恵、騙しのテクニック。オチで”思う壺”というセリフが共通しているらしい。このビデオ版でもそうだった。

この話の流れを子供が理解できるかは解らない。小学校低学年では難しい子も多いかも知れない。言葉使いに慣れないと、流れすら理解できないかもしれない。今の子供達は、古い時代にしか使われなかった道具の名前や、独特の観念に触れ合う機会すらないかも。

このビデオ版で気になったのは、壷を買いたい男が話すスピードが、途中から早くなっていること。この男は少々トロクて、冒頭では要領を得ない話しぶりであったが、途中から賢くなったのか、騙しのテクニックにも直ぐ理解を示していた。だから、キャラクターとして統一されていない印象を受けた。

この男が最後まで事態を理解できないでも良くなかったかと思う。「壷の大きさが違うじゃないか!」「店員さんに金を返しな!」などと、同行した男の工夫を台無しにしそうなマヌケのままであったほうが面白くなかっただろうか?

演じていた枝雀師匠は当時40歳。店員と男が、「客がスススイーッと来るようになる。」と、互いに言い合う時の表情はギラギラした欲をイメージさせる勢いのようなものがあり、力強く、若い印象を受ける。当時の名人達は体力的に衰えた人が多かったので、こういった勢いは新鮮に感じた。

恵比寿の像がゴトゴトゴトと揺れて倒れたという冒頭の話では、動作と表情が今ひとつの印象も受けた。今の漫才師だったら、全く無表情に置物の擬態をして機械的に倒れて見せたりするのではないかと思うし、恵比寿の表情のまま、ロボットのように動いて見せても良いような気がする。伝統に従ったのかも知れない。

つまり、師匠に教わった部分と自分のオリジナルの部分とが、完全に一致していない状態ではなかったのか?そんな風に感じた。

買い物には要領があるはずなのだが、面倒なので自分で何か工夫したことはない。海外旅行の時にはたぶんボラれたのではないかと思うが、巨漢の黒人相手に値切る勇気はないので、言われるままに払って正解だったと思う。

最近行われている詐欺で、漫才落語のネタになるものはあるだろうか?

ネットを利用した詐欺が巧妙化しているそうだ。契約しないのに自動的に契約を成立させる仕組みが可能らしい。パソコンの画面に請求の画面が出て消せないらしいのだが、おそらくバックアップを頻繁に取っておいて、全てをリセットしれば解消できると思うのだが、それすら不可能にするウイルスがあるのだろうか?こういった手段は、さすがにギャグにはしにくい。全然笑えない。

同じように振り込め詐欺も漫才や落語のネタにはしにくい。電話やメールなどでの詐欺は陰湿。面と向かって騙す場合に限定的なショー的要素がないと、他の人が観て笑うような状況にはなりにくい。

健康器具の売り込み話はいけるかも知れない。近所の駐車場にはプレハブで作った小屋ができて、中で器具の宣伝や講義が行われている。結構な人が集まっていることに驚くし、誰それが買ったという噂をよく聞く。数十万円するらしいが、機能的な部分は解らない。売り込もうとする店員と、騙されまい、値切ろうとする客との間のやり取りを描いたら、ネタになりそうだ。

売り買いの仕組みが解らない。中国あたりで安く作って持ってくるというのは単純な話だが、同じ品物で値段が随分違っていれば、当然ながら客は安い店に集まりそうな気がするのに、結構高いままでも客が多い店は多い。売り方に違いがあるのだろう。商売の戦略、イメージで売る方法は難しい。

愛想、店の美しさ、対応、信用、歴史、広告、場所、駐車場、営業時間など、色んな要素があるとは思うものの、理解できない。私は単純な国産信仰者で、後は安いことや、合成保存料が少ないくらいしか判断の材料にしない。綺麗な店のほうが好きだが、限度を超えたケバケバシイ店や、一流ブランドの雰囲気が漂う店では落ち着かない。

阿蘇の温泉旅館では、阿蘇五岳を眺められる内牧地域が非常ににぎわっていたらしいのだが、今は奥の黒川温泉のほうが断然人気あり。黒川地域は山の中で、眺めようにも何も見えないくらいの谷間、しかも泉質は無色無臭で特に風情を感じる特徴はないと思う。岩風呂、混浴、旅館が集まったこと、比較的新しいこと、山奥で静か、それに組合を作って他の旅館も楽しめるようにした工夫などが良かったようだ。

でも、客足の違いに相当するほどの差はないと私は思う。旅館が古くなってきたら、また状況が変わるのかも知れない。

ブーム、雰囲気など、なんとなくの部分も多いのかも。何にせよ明らかなのは、いったん客足が遠のくと料理に良いものを出せない、まかないの人員を確保できない、新たな投資の余裕がないなどの悪循環に陥ること。内牧のホテルの料理は、だんだん不味くなる気がするのだが、こちらの舌の具合だろうか?今年の冬に泊まったホテルの夜の料理に出た魚は、カチカチ状態で歯が立たなかった。あれは誰でも怒るだろう。

病院の開業にもパターンがある。田舎だと、小奇麗な一軒家を建てるのが原則。新しい病院に行ってみようかと人が集まって、最初の出足の良さが期待できる。都会だと、建物を用意するのは難しいので、テナントを借りてビルで診療するほうが多くなる。これは大きな町では当然と受け取られる。 

いずれも、綺麗な建物であることは信頼につながる。私が患者でもそうだ。くすんだ外見の病院・・・我が診療所がそうなんだが・・・などに行きたがる患者は少ない。

医療費に余裕があった時代、大きな病院を建てると大勢の患者さんが集まったので、病院を巨大化しようという動きがあった。20床くらいの病院では診療報酬が抑えられ、懸命に治療してもお金を得ることができない →→ やむなく病棟を閉鎖、といった流れはある。

緊縮財政、デフレの時代に大きな投資をするのは怖い。借金したぶんを取り返せる補償はない。内科や外科のクリニックは設備費は大きく、儲けは少ないんで、命に関係のない領域に開業が集まる傾向もある。金は出さないと政府が言うのだから、仕方ない。

診療報酬について個人的には、命にどれくらい寄与するかを中心に考えたほうがよいと思うのだが、今の報酬体系では眼科や耳鼻科、皮膚科などでないと金になりにくい。自然と医者もそういう科に集まる。個々の医者の進路に関して抜本的な改革は難しいので、結果として政府の方針が医療崩壊の主因となっている。

政府には政府の考え方があり、個々の患者にもそれなりの選択方法があるので、私なんぞがとやかく言っても仕方ないが、命に関係ない科目に金が流れる仕組みを作って、「なぜ産科や救急外来が崩壊するのだろう?」と不思議がっているように思える。それぞれが論理の運び方を間違っただけではないか?

どういう筋道で考えて買い物をするか、この落語で妙な結論に至った店員は、傍から見れば騙されていたんだが、本人は懸命に理論的に考えていた様子だった。店員ならいいが、政府だとまずいぜよ。

 

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