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2012年3月 6日

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い(2011)

- 復帰、復興の物語  -

9・11テロのため父親を失った少年が謎のカギを見つけ、その意味を探る物語。ジョナサン・サフラン・フォアという作家原作の小説の映画化。

アイディアが詰まっていてレベルが非常に高い。この作品でオスカーが取れなければ、オスカーの意味がないとすら思える作品。・・・ところが、取れなかったのだ!公開の時期のせいか、何か業界の裏事情のせいか?素晴らしい作品なのに。

やや難解な作品とは思う。子供には解り辛いから大人向き。恋人と観ても悪くない作品だとは思うが、基本的に恋には関係ない話。静かで高級な作品を観たいカップルに限定される映画であろう。楽しくはないが、ユーモアはある映画。

Warnerbros2

主人公の少年はエキセントリックそうな表情が上手かった。上の写真のようにタンバリンを持って歩く姿がおかしかったが、あれは好感を持たせる良い小道具だった。セントラルパークは、まるで山脈の合い間の湿地帯のような風景で、実に美しい。

トム・ハンクス演じる父親は良い役だった。それゆえ、かえって目立たなかった。もう少しギャグが得意な役者だったら、主人公を徹底的に笑わせ、それが後で逆に悲しみを誘うという流れもあったかもしれない。トム・ハンクスは主人公の年齢の子供にはやや年上すぎて、ほとんどお爺ちゃんに近い。

もしくは、ヒーロー映画で活躍していた俳優なども、イメージの違いが強調されて印象に残るかもしれない。

母親役のサンドラ・ブロックは役としては難しかったはずだが、見事な演技ぶり。派手に泣き崩れない、怒り過ぎて叫んだりして目立ち過ぎない、主人公への愛情と配慮あふれる対応を演じきっていた。父親と比べて、やや引いた立場なのがいい。

うるさくて近いものとは?あっさり言ってしまえば、おそらくは家族や自分を取り巻くものを意味すると思えるが、深く考えると様々な解釈が可能な、奥行きのあるタイトル。障害者ならではの表現とも思える。障害を持つ人物を主人公にして、彼なりの理解で彼なりに語らせるというアイディアが、ある意味では成功の”カギ”だったようだ。

extremely 、incrediblyといった表現は、あちらでもオーバー気味な表現ではないかと思う。多用すれば発達障害や極端な個性の人物をイメージさせる。そのような人物なら、よく話すという行為も非常にうるさい、親密な関係も信じがたいほど親しいといった表現になる。障害者や子供に語らせるのは、強調して表現する際の文芸上の常套手段であるとも思うが、テーマには最適の手法だった。うまく表現できない、整理して冷静に話すことが難しい場合の表現方法が、主人公の特徴を表す。

あれは誰も頭を整理できないような、本当にありえない事件だったのだから。

劇の中で母親も言っていた。本当に理解できない。なぜ航空機でビルに突っ込んだりするのか、それによって肉親を失わないといけないのか。解説など無理だ。想像を絶するテロ計画が象徴的な場所で起こり、しかもテロリストさえ予測できなかったほどの劇的な破壊を生んでしまった。我々もアメリカ国民も、頭を整理できなかったはず。

9・11の事故当日、主人公が留守番電話を聞く情景が何度も繰り返し出てきた。最後に、録音の6回目に相当する電話に対しての主人公の反応が再現されたが、普通の少年でも対処の仕方に困惑しそうな怖ろしい状況、主人公のトラウマになりそうなことが容易に解った。

ただし、この作品の手法は、もっと別もありえたような気がする。かなりの部分を時系列で描くことも可能だったのでは?時系列で描くメリットは、解りやすくなること。繰り返し事故当日に戻ることは、謎解きや盛り上げには有効な手法だが、解りにくくなりやすいという欠点もある。原作の構成に従ったのかも知れないが、映画では説明に限界があるので、可能な限り単純化すべき。

設定の無理も感じた。

主人公の母親は、昼間主人公が尋ねそうな場所に行くことが可能だったろうか?もし主人公が帰ってきた時間に誰もいない、緊急の際に連絡が取れない、そんな心配を考えると、自分があちこち訪ねるのは危険であると考えるほうが自然。

事故の犠牲者には保険が降りたのではないかと思うが、生活の心配が全くないほどの金額だったのだろうか?宝石店の借金はなかったのか?生計がどのようになっていたのか?自分の仕事を辞めていたのか?そのへんは解らないまま。したがって、母親の行動は物語のために作られた話・・・という印象を残してしまった。

Warnerbros

失語症らしい間借り人が、その状態でアメリカに移住し、生計を立てていくことは容易だったのだろうか?特色ある人物を作るために無理な設定をしたのではないかという印象を与えてしまわないか?失語症は必須の設定だったのだろうか?

母国で両親を空襲で亡くしたことと9・11を連想させるためには有効だとは思うが、必須だったのか?私なら、「ああ~」「うう~」といったうなる声ぐらいは発声して、あんまり落ち着いてない病的な人物のほうが間借り人のイメージに合致するような気もした。

何の変哲もない花瓶、しかも何かのカギが入った状態で、なぜ主人公の父親がそれを手にしたのかもよく解らなかった。主人公に謎解きをさせるため?私の感覚では、遺品を購入するのは気味が悪いしゴミが増えるから、宝石装飾品程度の大きさの物ならともかく、花瓶なんぞは絶対に入手しない類のものだと思う。しかもカギはジャマだから、捨ててからオークションに出すだろう。あくまで私としてはだが、そもそもが無理な設定だと感じた。花瓶以外なら可能かも。

私自身も多少の発達障害があると思うが、よく解らない。

子供の頃は、いっしょに遊んで心から楽しめる友人が多数いた。だんだん違いが気になり、何か遠慮したりするようになる。進路が全く違ったら、何か住む世界が違うかのように疎遠になる。たまに遭うと、かっての友人達と居ても居心地が悪い気になる。私の何かの障害のせいだろう。

多くの人が状況を誤認している気もしてならない。思い上がった考え方だろうが、誤認が大勢を占める中で正しい認識をすると、居心地が悪くなることはないだろうか。

原発が解りやすい例だが、事故管理が不充分なことは明らかになった。対応がおかしい原因は、認識の仕方にあるように思う。事故でテンパッた状態になって対応できなかったという調査報告が最近出されていたが、事前のマニュアルが実地で使えないレベルのものだったのだろう。菅総理が何を言おうと、マニュアルで対応できないといけない。

充分な対応策を作らないで運営してきたこと、そもそも建設の仕方、導入の経緯、総理のせいにしようとする安易な態度、何から何まで低レベルだった。そんな会社、そんな役人、政治家や学者達を選んできた我々自身が、誤認ばっかり繰り返してきた。つまり、認識障害があったのだと思う。それは、それこそ信じがたいほどに。

居心地よく過ごせたのは、心から誤認していたか気にしないように努めていたからか。どちらも罪悪に通じるような・・・・

我が子の一人は発達障害者。引きこもりに近い状態だが、彼は家族や他人とどのような態度で接してよいのか解らないようだ。話はできるし、難しい試験問題に挑戦することもできるが、理解の仕方は独特で、アスペルガー症候群に近い病状。

障害を治癒させることは難しいから、折り合いをつけて、社会に最低限でも適応できる道を探すべきと考える。でも本人はそのようなアドバイスを受け付ける状態ではない。何か言っても能力的に理解できないから、怒っても仕方ない。説得、説明、治療、あらゆる対処を拒んだ状態だから、時期が来るのを待つしかない。最悪の結果が来ないことを祈る。

障害があると、人は持てる能力で状況を理解し、頭を整理しようとする。不必要な単語を使って表現し、不適当な解説をし、「ビルにいたのがお母さんなら良かった。」などと、不適切な言葉を発してしまう。必要もない記憶内容をベラベラ人に解説したりするが、それが障害になって問題解決されないのでなければ、とりあえず構わない。

やがて頭の中が整理されれば、社会活動も可能。主人公も、その母も、そして私の子も、被災者の方々も、あるべき姿になって欲しいと願う。

 

 

 

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