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2011年12月11日

下妻物語(2004)

- ファッションセンスについて再考 -

ロリータファッションに身を包み、田舎道を闊歩する娘と、原付バイクで暴走を気取るヤンキー娘の物語。

・・・深田恭子は最近化粧のスタイルを変えたようだ。雑誌の表紙でイメージの違う姿を見せていた。それで気になって鑑賞。

深田恭子嬢は不思議なタレント。バラエティ番組にもよく出ているが、あんまり面白いキャラクターではないと思う。ベラベラしゃべらない。

ドラマには何らかの形で出続けていると思うのだが、物凄い評判になるような主演クラスではない。ヤッターマンのドロンジョ役をしたりして、色気のある点を買われているが、今風のスタイル抜群ギャルではなかった。最初からやや太めで、庶民的な感じ。

この作品のヒロインのキャラクターに合っているとは、個人的には全く思えない。小倉優子のほうが絶対的に向いている。事務所の力か、裏で何か取引があったのか知らないが、はまり役とは言えないと思う。

でも、充分に魅力的だった。

土屋アンナ、安部サダヲ、小池栄子らは、他の中島監督作品にも登場している。しっとりと微妙な役柄を演じる場合には違和感を感じてしまうかもしれない演技ぶり。

中島哲也監督は、本当に独特のセンスの持ち主らしい。その技法に最も適合しているのが安部サダヲだと思うが、漫才ネタで使われそうなギャグをつなげる、ただそのためだけにストーリーを作っているかのような、そんな話。

似た雰囲気をよく見ることがある。テレビだとNHKのサラリーマンNEO。ショートストーリーが基本で、極端なキャラクターが登場して、現実を無視した行動を取り、周囲への配慮に欠けているために嫌悪感を抱かれ、孤立したまま終わる・・・その繰り返し。

極端なキャラクターで笑える。その路線を突き詰めていくと、微妙な演技では満足できなくなる。泣く時は大粒の涙を吹き出すがごとく流し、嘔吐する時には数メートルも飛ばす、テレビ的な演出が必要になってくる。ポトリと涙を流すだけでは、「何だよ、その普通の演出。もっとドギツクやれんのか!」と呆れられてしまいかねない。

そんな雰囲気の中で演出していくと、こんな作品ができるのだろう。バカにしているのではない。チャップリンだって最初は短編作品に出演していたに過ぎないのだから。徐々にストーリー性が高まり、感動作品に成り上がれば良いのであろう。

監督は田舎者ではないかと想像する。都会育ちの監督の場合は色々考えすぎてしまって、徹底して何かの雰囲気を作るのが苦手な印象をうけることが多いが、中島監督はおそらく演出のために非日常的な場面を作る際の思い切りが良い。

ジャスコに対する感覚は、田舎者には一般的、常識的なもの。大阪あたりでは、たぶん多少の違いがある。田んぼの中にそびえ立つ総合流通センターには、本当に便利で助かるという感覚と、頭から足の先までジャスコで買ったものしか着ていないという自虐的な感傷と、高級品に興味を示す成金族への嫌悪感、憧れ、そんな感情が入り混じった独特のものがある。そこが真正面から語られていた。

私の子供時代だと、壽屋やニコニコドー、ダイエーがこれに相当する。本当に便利な店々だった。いまだにダイエー(Daiei?)には下着を買いに行く。

今はジャージ姿で街を闊歩しても笑われることはなくなったが、私の若い時代はジーンズが標準、ジャージは学生にしか許されないファッションだった。ヤンキースタイルが徐々に一般的になり、おじいちゃんもヤンキーな若者もジャージで歩いている。

当時は恥ずかしかったのに・・・。そう、私は着る服がなくて結構ジャージで歩いていた。今の若者のように堂々とはせず、道の隅っこのほうをだが。

今の主流は、背中に派手な文様がついたやつ。あれは金がないチンピラか、もしくは金がないチンピラを気取る、同じく金がない非正規雇用者をイメージさせる。これは古い感覚なのか?

自分のイメージでは、要するに松田優作のファッションが最高の完成度であり、今のユニクロタッチのファッションは”城ミチル”に憧れた阿呆のやるファッション、恥ずかしくて絶対にできない服装であった。

韓流スター達も、どうも松田優作スタイルとは違う。城ミチルほどではないが、可愛らし過ぎる。憧れの対象としてはパスしたい。彼らを優作兄貴にまとめてドツイて欲しいと願うのは私だけだろうか?

一角獣とあだ名されるチンピラのヘヤスタイルが傑作だった。たぶん原作のマンガに出てくるキャラクターなんだろうが、その視点でパチンコ屋の店員を見る、そんな演出は登場した時は面白い。

意味があるか?と考えているとバカらしくなる。主演の演技がどうだとか、何を表現している、そんなことを論じる対象ではないのだろう。だから、この作品を子供と観てよいか悪いか、恋人と観るとどうかなど論じてもあんまり意味がないようだ。ただ存在する作品である。

その中に少しだけ友情、頑張りによる要因を絡ませる、すると全体がなんだか美しい話になるという不思議な現象が生じる。この作品、なぜか知らないが見終わった後に悪い気分ではなかった。たぶん、二人の友情に感じ入るものが多少あったからだろう。

冷めた感覚の持ち主だったロリータファッション娘が、ヤンキー娘の危機に及んで意識を変える・・・これは成長~学習を伴う、何か精神面の変化をイメージさせる。悪い話ではない。ずいぶん無理な話なんだが・・・

冒頭で車に轢かれるヒロインが写る。つまり彼女は死んでしまうのか、悲しい話だと普通なら考える。ところが予想を裏切る展開で、冷静に考えると無理な話だが、この作品の性質では許せる。リアルな作品では許されないことが許される。

その自由さは、ギャグ映画でないとできないことなんだろう。このタッチでないと表現できないということか。

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