映画評

  • 当劇場は劇場主のための映画館です。訪問者を期待しておりません。内容の客観性、正確性は保障できません。でも、真摯な批評を目指します。

劇場主


Conflict of Interest

  • 特にありません。

おことわり

  • 当劇場は誹謗中傷を目的としておりません。もし権利を侵害されたと感じられた方は、申し訳ありませんが管理会社や公的機関に御相談ください。

« アンジェラ(2005) | トップページ | ブラック・スワン(2010) »

2011年9月26日

ジーン・ワルツ(2011)

Toueipic_2   

- キャスティング成功 -

不妊治療の研究者である女医が主人公。彼女は一般病院の外来も担当している。そこで彼女が代理出産を管理しているという疑惑が判明。疑惑の真相は?

・・・菅野美穂主演。原作者は海堂尊。読んだことはないが、ストーリーは原作と違うのだそうだ。

菅野は演技にこだわりを感じる女優。この作品の演技にも好感を持った。クールさや、信念、感情の流れを上手く表現していた。大向うをうならせるような大袈裟な演技でなかった点が良かった。キャスティングは大成功だったと思う。

もっと色っぽい女優が演じていたら、色恋ざたを期待してしまって話の雰囲気を損なう。あまりにブスで色気のない女優が演じていたら、画面を見ているのもイヤになる。適度に美しく、適度に魅力的だがスタイルで勝負するタイプのタレントでないことが必要だった。菅野嬢は最適。

大杉漣の演技が、ややオーバーすぎる印象。もっと静かに、いつものようにコワモテ風に演じさせて、最後に大泣きさせたほうが絶対に良いはず。

田辺誠一は、強烈な印象は感じなかったが、大学准教授の雰囲気は感じたので、よい配役だったのかも。

出産を決意する桐谷美玲の演技は、ややリアリティに欠けていたような気がしたが、及第点か。いっぽう、無脳症の子供の父親役は非常に上手かった。総じて、役者達の懸命さを感じた。

浅岡ルリ子は凄い化粧。天使のような顔をしていた若い頃の映画を観ると、昨今の姿に涙を禁じえない。病気をお持ちなのか?でも病的な感じが役柄に合致して、存在感は素晴らしかった。

ラストの出産シーンは感動的。お産は常に感動の場。何度見ても、常に新しい感動がある。良い作品に仕上がっていた。家族でも観れると思うし、恋人と観るのも勧めて良いと思う。

(産婦人科医逮捕について)

大野病院産婦人科の事件は大問題になった。逮捕した警察署は表彰され、逮捕された医師は結局は病院を辞めざるをえなくて開業したと報道されていた。支持してくれる患者さんも多く、現役の産婦人科医として復帰できたそうで、喜ばしいことと思う。

とにかく、与えた影響が非常に大きかった。

個人的な印象としては、大野病院での妊婦への対応が完璧だったはずはないと思う。おそらく安易な判断も少しはあったはず(根拠はなし)。そもそも一般論として、安易さが全くない医師がいるはずない。一度も失敗のない医師は、実際に診療している医師の中にはいないと思う。

通常要求されるレベルの仕事をできたかどうかについては、おそらくやれていたと思う。ただし、通常とは曖昧な言葉。標準的な処置かどうかと言われて、断言できる鑑定人はいないだろう。妊婦の家族には気の毒だが、少なくとも医師の犯罪的行為によって亡くなった可能性は低いと思う。

胎盤の剥離にハサミを使うべきかどうかが問題になっていたが、正解は全く知らない。ただ、それが有罪無罪を決める問題点になりうるのか?鑑定人の誰かが問題視したのかもしれないが、詳細は判らない。意味は微妙だと思う。

裁判の経緯は、記録した有志によって公開されている。非常に長い間やり取りがあったようだが、他の裁判に比べれば早い段階で判決に至ったようだ。

対処が完璧でなかったから即逮捕となると、責任を逃れるのは難しい。現場から撤退するしかない。法令や基準の不備で、警察もどう対処して良いかわからない状態だったのが最大の原因のように思う。

警察は職務に忠実にやったつもりかも知れないが、最悪の結果を生んだ。手錠を使ったのも解せない。感情的になる何かの要因がなかったのか?亡くなった患者の縁者が警察内部にいたのかもしれない。単なる憶測で、根拠があるわけではないのだが、不自然だった。

医局の後輩の医者が、ある日警察官の訪問を受けた。後輩が扱った患者さんの家族の友人で、尋問に来たという。つまり、医療ミスを疑って、その後輩に詰問しようというのだ。職務でではないから、この警察官の行為は明らかに仕事上の権利を逸脱している。似たような、何かの動きが実は真相かも。

何かの理由で感情的になった警察が、判んないから逮捕してしまえと命じ、逮捕ってことは手錠かいな?と、逃げる可能性のない容疑者を捕まえちゃったという、間違いの連鎖の流れも可能性としてはありうる。

判りにくい合併症でも予測する能力がないと医者はやれないのかと感じて、私自身も気がなえた。当時は症例報告してよいくらいの稀な副作用でも、出た場合は医者の責任という判決すら出ていた。「予測不能な事故は常にありえます」という事前の文書も無効という判決もあった。つまり、事故が起これば逃れようがないのだが、そんな判決をよく出せたものだと驚いた。

無茶な医療行為や、不正請求、利益目的の犯罪を防ぐために、医療機関に一定の審査は必要。病院まかせで、中で何が行われているのか判らないような状況は良くない。手術のような重要な行為に関しては、画像や音声による記録が望ましいと思う。何かの免責規定は必要だろうが。

そして、どこまでやれば犯罪か、どの程度が標準的医療レベルか、毎年公表されるべきである。それがなければ、逮捕する根拠が曖昧。誰も動きようがないではないか。基準を決めていない国や学会の姿勢が最悪なんで、定めていないことに関して現場の個人に責任をかぶせてはいけない。

あの事件における逮捕、起訴の流れは、医療の改善を目指す方向には向いていなかった。美辞麗句で、医療現場の改善を目指すという論調もあったが、実際は改善につながらない単なる吊るし上げ、思い込みによる一連の流れだった・・・と、個人的には感じた。

遺族が真相を調べることは望ましい。カルテを開示させ、ビデオがあれば見る。念のため鑑定に出すなども必要だろう。その後で訴訟を起こすか決めればよい。病院は何かを隠そうとし、それに家族が不信感を持ったのか?

(代理出産について)

不妊治療は随分と進歩し、熊本市内でも複数の産科で施行が可能。自分に子供がいなかったら、たぶんやって欲しいと思ったろう。

でも代理母出産については、個人的には納得できない。私自身がテキトーな考え方だからだろう。他人の子供を養子に迎えることに、抵抗を感じない。難民の子供など、ゆとりがあったら養子も考えたいと思う。自分の遺伝子を持つかどうかには、あまりこだわらない。

こだわる人には認めるべきかもしれないが、弊害も覚悟しないといけない。弊害に対して、当事者だけでは対処できない。事故や犯罪を誘発することは明らかだから、学会は責任を持てないだろう。

いっぽうで、どうしても自分のお腹で生みたい、または自分達の遺伝子を受け継ぐ子供を生んで欲しいと願う心を無視することもできない。どこで線を引くべきか判らない。施設を極端に限定し、法的にガッチリ決めてやれば、ひょっとすると絶対禁止すべきではないかも知れない。

« アンジェラ(2005) | トップページ | ブラック・スワン(2010) »

無料ブログはココログ