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2011年9月 8日

トリコ3D 開幕!グルメアドベンチャー!!(2011)

- 選び方を再考 -

村が巨獣に襲われて壊滅状態になったため、少年が伝説のヒーローに怪物退治を依頼する。そのヒーローのトリコは、やってくる怪物を次々と退治したが、怪物達が村を襲うのは、さらに怖ろしい怪物から追われているからだと判断。そして、問題の超巨獣と御対面・・・

・・・君はトリコを知っているか?漫画雑誌で連載中らしい。

ありえないキャラクター。グルメ界の巨人、思いっきり肉体派のマッチョマン、美食家にしてヒーロー、いままで考えられなかったキャラクターのトリコ氏が、怖ろしいけど美味しい怪物達を体力でやっつけ、食べちゃうという、ただそれだけの作品。

とにかく、ありえない。こんなキャラを考えついた作者に拍手を贈りたい。アイディア倒れのアイディアマンと言われる私も全く考えなかったキャラ。

美食家というと、「うーん、まったりとした口当たり。」の例の人物が思い当たるが、トリコは完全に体育会系。理論と知識もあるようだが、基本は体力。獲物を力でねじ伏せるのだ。

ストーリーなどどうでも良かった。新しい敵が現れて、やっつけて、また現れてやっつけて、ただそれだけよって感じ。恋人と見たら「あんたバカか?」と、言われそう。子供だけなら受けそう。

普通なら、こんなヒーローは直ぐに消えてなくなりそうだが、結構な人気者で生き残っている。斬新さを、子供も感じているからだろう。

今の時代には草食系は草食系、肉食系はとことん肉食系のヒーローが望まれるからか。理屈を超えた野獣のような生命力、単純明快な行動の規範「喰いてエ!」まさに、それこそ、混迷する現代に望まれるキャラか?

「オレを喰いたいか?俺もお前を喰イテエ。」よくぞ考えついたセリフ。主人公のキャラクター設定がしっかりできていないと、とてもじゃないが考えつかないだろう。これは子供達にも相当印象に残ったようで、肉を出すたびに言ってくる。

昔なら、倒して喰いたいという露骨な欲求は弱肉強食の思想をイメージさせ、強者の礼賛~考えの足りない映画としてボロクソに評価されていたかも知れないが、今は草食系に嫌悪感を持つ人も多く、トリコがヒーローとなりうる下地はある。

ちなみに我が家の肉は、肉屋ではなく安売りの郊外型ショッピングセンターで買うことがほとんど。肉質は良いとは言えない。でも、質にはこだわらない。昔は絶対に国産しか買わなかったが、最近は国産だから良いとも言い切れない。だって、放射能の影響が心配だから。国産って書いてあるけど、どこの県?って、聞かないと安心できない。

豚肉に関しては、デンマークやアメリカ産を中心に買っている。ニワトリは、九州の場合は宮崎産が中心のブロイラーなんで、飼料の中にどれだけ化学物質が入っているか判らないが、いちおう国産の基準は満たしているだろうということで、無理しながら国産。

牛肉は、以前ならアメリカ産は狂牛病が怖くて食べられなかったが、今は国産のほうが怖いので購入。「国産って、どういう意味かいな?熊本産なら熊本産って書くわよねえ。国産=福島産ってこと?」と、妙に疑ってしまう。福島の農家には気の毒だが、いざ買うとなると、露骨に感情的な反応が出る。

国産で安心できないなんて、なんて情けない状況だろうか。とにかく選ぶ場において心理面の意味は大きい。露骨で、しかもくだらない理屈で選んでいる。

(人の選び方)

批判と自慢の内容になってしまうので、当方の人格を疑わせることは必至だが、今は批判の時だ! ついに批判屋の時代が来たのだ!

あらためて思うに、人の選び方は難しい。

例えば生徒会長を選ぶ時に、どうやって選んだか思い返してみると、歯切れが良かったからといった印象しかない。一種の余興。何か良い意見があったからなんて関係なく、印象だけで選んだ。生徒会はそれで良いが、同じ感覚を実社会に持ち込んでいないか?

今になって考えれば、あの余興を望むような自分の感覚は、真摯な態度とは言えない。皮肉っぽい、庶民感覚を気取った態度だった。

近年の熊本市議会選挙のトップ当選者は、誰が見ても政治的な能力はなさそう。人格的には真面目だと思うが、言動はおバカタレントなみ。でも選挙では有名人でないと、なかなか当選しないのが現実。しらけた庶民感覚気取りの選挙結果ではないか?

いっぽう東京電力の事故当時の会長は、大変に優秀な人物らしい。何か作業をさせたらミスはなく、書類を作れば凄いスピード、会計をさせれば直ちに間違いを見つける、そんな人物のようだ。想像にすぎないが、コスト削減の業績があったということから、そう考える。おそらく歴代の会長達がそうだろう。

優秀だから社長、会長にすべきか?優秀さにも色々ある。選ばれたから優秀とは限らない。実質的には使い物にならない場合もある。優秀なコストカッターは出世すべきで、役員にはふさわしい。会社が拡大一本やりの時に、歯止めをかける役目がある。兵站を担当するものが必要。

そのためか、「優秀」「切れ者」と言える人物は、役人や会社の上層部には多い。大病院の院長クラスも多くはキレモノだ。切れる人物でないと作業がはかどらない。段取りが上手な人間は役に立つ。だが、社長や会長には戦略を立て事故を未然に防ぐ、長期的な安定をもたらすという能力も必要。社会的責任を認識できていることも大事。

研究者の場合は、アイディアが必要。新しいテーマを考えつかないなら、引退する必要がある。社長の場合は、会社を発展させ、危機を乗り越える能力が望まれる。危機を未然に防ぐ能力も、目立たないけど必要。段取りが上手くて、気が利いてる人間だから社長に向くとは限らない。

それぞれの役割がある。そこを勘違いしてはならないのだが、勘違いが蔓延している気がする。

(原子力に関わる人の選び方)

原発を管理する責任は重い。今回の事故は、実際には発電所を作る前から勝負は決まっていたようだが、せめて立地の場所や高さ、万が一事故が起こった時の危険回避手段を真摯にやって欲しかった。責任の重さを考えれば、タービンの場所や並べ方は安易に過ぎたと思う。コストを節約しても、巨大事故が起これば意味がない。

彼らの感覚では想定外の事故だったかも知れないが、私には想定内。後出しジャンケンのように、事故が起こった後だから言うのでは断じてない。ボーッと普通に考えてもおかしい。試験で検定できない常識的な判断~もしくはただの怖れ、心配性の性格も、首脳部には必要だと思う。

20年くらい前、天草の苓北火力発電所を見て最初に思ったのは、地震や津波の心配。広大な敷地は、たぶん埋め立てて作ってあったようだが、それなら液状化は必至。10メートル以上の津波が来たら、タンクは持たない印象。風が強い日で、波が激しくて特に怖く感じたせいかもしれないが、恐怖を感じた。

それこそ普通の感覚ではないのか?これを見て不安にならなけれな危機の予見に鈍感と思った。原始的な感覚も大事。

私のような人間はとうてい採用されなかったであろう会社の体質が、事故を引き起こしたと考える。「フン、お前のような素人では設計管理などできんだろう。科学的に安全性は証明されている。」と、理論派の東電社員が言っても、正解は私のほうと考える。事故で事態が明らかになった今だから言うのではない。エリートの理論が、勘を凌駕できないと常々感じているからだ。

20年前に予想できた自分が浮いていただけ。こう考えるのは、傲慢なのか? もう自分を卑下して考えるのに飽きてきた。驕慢のそしりを覚悟で言うが、エリートの能力には全く信頼を置けない。一般的に優秀と言われる人間を優秀とは思わない。驕慢なのは自分ではない、自分のほうが判断は正確と感じる。

エリートになった人物が選ばれた理由は本当に必要な能力ではなく、実は買い物の時のような適当な判断でしかないと思う。エリートはバカじゃない。私より優秀。でも、段取りや計算が上手くても、それ以外の能力が必要な場面は多い。

おかしいことが薄々解っていても、我々の日々の選択は彼らを選び、支持する結果になっていた。 妙な判断を繰り返し、選ぶべきでない人を選び、問題視していなかった。たぶん、ほとんどの人は日々の生活や稼ぎに没頭していた。原発問題より、給料や景気のほうが切実。

正しい選択をできない人(原発関係者)を選んだのは会社の上司、本来なら管理すべき人(役人)を選び損ねたのは役所の上司、役所を管理すべき人(議員)を選び損ねたのは我々。 複合的に間違い続けたと思う。

思い上がりなんだが、素人の私が社長会長のほうが良かった。会社にとっても社会にとっても、おそらくそうだったのだ。 けして出世できそうにないボンヤリした私に対し、歴代の社長や学者達は断然キレモノだが、何か欠けていた。常識より、自分の手柄を優先したのか?それくらいの覇気がないと、そもそも社長会長にはなれないのか?

会社社長の人選では、互いの利害や感情が絡んで真摯に選べる状況ではないのだろう。私のような人間は選ばれない。「おやあ、原発の設計は間違ってるぞお。」などと私に言い出されると、自分達の身が危うくなるからだ。でも、その「おやあ~」と言えることが必要だったのだ。

選ぶ基準となる能力に「危機管理能力」「社会的責任の自覚」などを入れておけば、事故は起こらなかったかもしれない。いわゆるキレモノは、役員に望まれるキャラであって、社長会長にふさわしいキャラではない。きっと勘違いして選ばれていたはず。

民間の会社と言えども社会的重要性が高く、間違えれば多大な害をもたらす企業の場合は、住民に会社の上層部を選ぶ権利があってもおかしくないかもしれない。 今の法律ではありえない考え方だが、今回の原発事故を見ると、今後は突き詰める必要があるようだ。

福島原発は、もともと作った時点でも事故は免れない設計だったはず。

(原発に関するNHKの報道を見て)

実際の福島原発は見たことがないので、本当は批判する資格がないのだが、敷地の海抜は熊日の報道で5メートルと書かれていた。5メートルなんて、私の感覚では考えられない。冷却水をくみ上げやすいように海岸に建てるのは解るが、ポンプで数十メートル上げるのに大してコストを要するとは思えない。

高さが安全につながるという感覚が、結果的には全てを決していたはず。 専門家が地震は想定外と言おうが、基本認識、常識的判断、予測能力、危機管理能力、論理的思考能力、それに倫理観に関して、彼らは偏り過ぎて間違っていた。軒並み、全員がそうだった。

軒並み間違うようでは、正しい意見が通ることはないし、私のような人間が採用されることも期待できないってこと。選ばれた優秀な人が、手際よく、自信を持って間違う結果を甘んじて受け入れるしかない。住民はたまったもんじゃないが。

海抜5メートルしかないのに、地下に発電設備を埋める?これまた全くありえないこと。敷地が足りない、送電線が延びる、細かい規定に捕らわれて、体質的に強くすることを怠っていたはず。

危機管理の面で、歴代の担当者は落第だったと言われても仕方ない。設計の図面を見たかどうかも怪しい。どれだけキレモノであっても、事故が起こってしまったからには危機管理能力が足りなかったということになるが、そういう結果論ではなく、そもそも常識的なレベルでもおかしい。

NHKの特集で、8月14日に事故の分析をやっていた。いわば国を批判する内容だったから驚いたが、民主党政権に対してはNHKは遠慮しないようだ。 マークⅠ型というのが福島原発の型で、ベントの機構は設計時点ではなくて、後から作られたそうだ。機構の本体は細い配管であり、地震で断裂したら、電力が喪失したらという想定は、地震の少ないアメリカの設計では、どうやら不完全だったらしい。

分析をしていたアメリカの学者も、アメリカで安易な分析があったことを認めていたので、安易さは日本の専売特許ではなかったようだが、設計の段階でのレベルの低さ、それをチェックする機能が存在しないことなど、システムと個人の能力の不足が特に日本の場合は明らか。

最悪だったのは、予備電力用のタービンをわざわざ地下に移転し、海沿いに並べたこと。 素人にもありえない設計ミスだが、誰も問題視していなかった。会社も保安院も同罪。歴代のすべての担当者が全て責任を有する。

私は素人だが、地震、津波はもちろん、近未来に最もありうる危険性としてテロをまず考える。 大地震や津波も数百年に一回くらいだと思うが、テロは数十年に一回のレベル。隕石は、さすがに考えない。それが常識。とにかく、破壊的な行為、災害は大いに対策を練る必要があることは常識。

テロの場合は設計図を元に、最も手薄でかつ修復不能の部分を狙い、同時多発的にやるだろう。 海上からの誘導ミサイル、裏側の地上からの手持ちミサイルが有効。予備電源、重要な配管を狙う。防ぐためには、予測を立てて攻撃対象を分散させ、機能を維持する工夫が必須。発電装置はいろんな場所に作る必要があり、配管も二重三重にする、ベントは100%成功できないといけない。地震や砲撃に対してシミュレーションして備える必要がある。

明らかに、立地の高さも構造設計も、さらに審査にも、ありえないレベルの間違った判断が蔓延していた。原発の現場も、会社の中枢も、監督官庁も。

今日、原発を抱える国は、本当は戦争などできない。 原発を有することは、国内に爆弾を多数抱えているような状況であるから、テロに遭ったら取り返しのつかない汚染をばら撒かれてしまい、お手上げ。ニューヨークのビルなんか狙わないで、原発を狙うと、悪い意味でだが効果的だったろう。

そもそも地震国の日本が、原発に頼ることにも懸念がある。急激なエネルギー政策の転換はできないだろうが、産業の維持に留意しながらの修正は要るだろう。具体的には解らないが・・・

(保安院委員の選び方)

原子力保安院の委員は、どのように選ばれたのだろうか?選び方を間違っていなかったのだろうか?

原子力関係の委員の一人が、事故の際に冷却水注入を中止する意見を述べたかどうかが問題になった時期があった。その委員は、「専門家としての自分の生命が終わってしまう。そんな報道は訂正して欲しい。」と言っていた。

私はまず思った。あの委員は直ちに学者生命を終わらせるべきではないのか?と。

事故が起こってしまった以上、保安院や委員には道義的な責任がある。多数の住民に避難を要求するような事故は、ただの火災などとはワケが違うことの認識が足りない。国民に対して合わす顔がないのが普通。そもそも全員が有罪なのだ。

極端な話、「腹を切るかどうか」のレベルの責任であって、学者生命なんぞはとっくに終わってしかるべき。現場でのやり取りの真相など関係ない。 退職金は当然返納、できれば財産を寄付してひっそり暮らすべき。公的な場所に顔を出してはならない。その認識がないなら、そもそも委員にはふさわしくない。

ところが、あんまり責任を追求された形跡がない。8月に退職間際の経済産業省の担当官僚3人が退職したくらい。順当な人事だったらしい。歴代の委員、担当官僚は全て腹きりレベルの責任を有すると思う。歴代の自民党議員すべて有罪。公職から離れるべきだ。責任の取りようもないほど酷い害をもたらした。

責任が及ぶ範囲に対しては、責任を取るべきという考え方は間違っていないはず。だがふてぶてしく責任を取らない人間が多い。そんな人間がはびこるのは、個々の人間の保身の伝統と彼らを保護する法律があるからで、それが足かせになって、改善はできないようだ。

いろんな法令が壁になっていると思う。それが、改革における”敵”の強さの本態。個人が自分の利益を追求し多少のズルをしようとしてもいいが、構造的な場合は大きくて長期にわたる失敗を生むから改善すべきで、そのために必要なら法改正すべき。その認識を早く持って欲しい。

ただし、相当に大掛かりな法改正が必須。小手先の改正では無効。社会のあらゆる分野に、間違った人選によって選ばれた人が就いており、しかも法的に保護され、皆がやり手で自信を持って間違った判断を繰り返し、正確な意見を排除してきた当然の結果が今日出ているのである。 間違った認識があまりに蔓延している関係で、敵は本物である。改正には時間がかかるだろう。

まともにやると、数百年かかるかも。次の津波に間に合わない・・・

敵は本物だが、正しく対処すれば解決できないことはない。皆が認識できるかにかかっている。皆の認識に、最大の壁がある。裁判員制度は突破口になるかもしれない。旧態依然とした認識の裁判官ではなく、新しい認識を持った一般人が判決を下すようになれば、国民に害のある法体系を超えて、”敵”を罰することも可能かもしれない。

本当は電力会社の社長や事務次官クラスの役人の人選は、裁判員がやったほうがいいだろう。そうでなくとも、事故の関係者を片端から裁判員裁判にかけ、役人だろうが会社員だろうが裁いてはどうか。住民訴訟を簡単に、そして頻繁に起こせるような改正が必要だろうが。

怖ろしいことになる。「素人に裁かれるなんて・・・」と対象者は怒るだろう。だが、これは実効性のある方法。国会への参考人招致は取引材料にされるばかりだし、法的な拘束力を抜いてあるので無効。会社や官庁の境界を越えて罰せられるとなれば、さすがに社会的義務を実感するはず。

・・・そして、我々にできることは選挙だ。今度こそ選挙で正しい人を選ぶぞっ・・・・って考えたが、いい人物を知らない。皆優秀だが、やはり役に立たない印象。議論好きや、段取り上手はたくさんいるんだが・・・。 

以上、批判ばっかりで失礼いたしました。

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