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2011年7月31日

ソーシャル・ネットワーク(2010)

- 億の金についてくるもの -

デビッド・フィンチャー監督の作品は、暗く気味の悪いシーンが基調になることが多いが、この作品は気味の悪いとは言えない程度に留めてあったようだ。

サイコスリラーではないので、当然。歴史のある大学が舞台になることや、人物の内面に迫る内容から、適度な雰囲気を出せていたと思う。

そう言えば、「セブン」のサイコ役のケヴィン・スペイシーが、この作品の製作者の一人らしい。暗さと重厚さの境界を狙ったかのような独特の雰囲気は、若い役者達の軽さを打ち消す効果があったように感じた。

明るい色調の中で激しく口論する若者達が出ていたら、青春モノのくだらなさをイメージさせてしまう。基調が暗くないと、重々しさが出ない。監督を選んだ製作者が偉かった。

冒頭の主人公の話し方がおかしい。話題が一定せず、相手の感情など無視して話すのは、脚本も演出も上手くないとできない。実際のザッカーバーグ氏は、テレビで見るかぎりはキャラクターが異なる人物だと思うが、この映画のキャラクターは、映画の人物としての完成度が高かった。

冒頭とラストで同じ女性を求めている人物は、可哀相な気がしてくる。あのシーンで、それなりに同情を生む効果がある。でもオタクには違いない。

好かれるキャラクターだったら、成功したヒーロー物語になってしまう。それでは映画のレベルが下がる。ある意味では嫌われる、クールな人物であるほうが好都合。

ザッカバーグ氏は、この作品が良い広告になると考えたに違いない。実際にも、映画がフェイスブックへの興味につながった面は多々あったようだ。実物を徹底的に批判しているわけではないから、映画としての完成度さえ高ければ、宣伝になる。

ハーバードで活躍する人物達が、ユダヤ系はもちろん、ブラジル系、インド系も混じって非常に雑多な状況で、しかも違和感なく人間関係を作っていることに驚いた。やがてWASPは少数派になるのかも。

チャンスを狙って、高いレベルで勝負するために集まってきてるのだから、良いアイディアがあれば盗むに近い方法でも利用するだろう。ある意味、そのために来ているのだ。双子とインド系のエリートは、ちゃんと契約をしてから主人公に依頼しないといけなかった。坊ちゃん育ちの甘ちゃんだったと言われても仕方ない。それでも、かなりの株をゲットしたらしいが・・・

おそらく、日本が発展するためには、規制を緩和して新しい商売ができる体制を作る必要がある。既得権益を確保し、安全のためと称して規制を強化しすぎた結果、海外から投資を期待しにくくなっているように思う。例えば新しいSNSを作ろうとしても、おそらく日本では規制が次々できてポシャるだろう。通産省、NTTなどが一体となった「通信村」が、一致団結して潰しにかかるし、司法も彼らの仲間に近い。発展など期待できない。

規制緩和はパクリや騙しなどの違法行為も呼びやすいが、最小限の管理に留めて自由な活動を保証しないと社会が沈滞化する。犯罪は良くないが、管理がきつすぎて勝負すらできない社会がいいはずはない。今の日本では、ザッカーバーグ氏のような人物は出現しにくい。

そういった視点から、「ホリエモン無罪法~特例措置」を考えた。ホリエモンは収監されているらしいが、彼のようなお祭り的人間が活動できないのは国家にとっては損失。罪は金で解決してもらって、活動だけは制限しない、そんな特例措置が欲しい。

既得権利を守ろうとする「村」によって葬られるのを、法律で守ることも考えるべき。今の法体系は既得権益を守るためにあるが、国家の発展を考えるならば、お祭り男こそ保護されたほうが良い。彼をもし裁判員裁判で審理していたら、面白い結果になっただろうに・・・

お祭り=バブルが始まれば、タンス預金が減って市場に活気が戻る。でもホリエモンが罰せられたということは、役人達が国のことより権益を重視し、法が彼らを守っていること、冒険が逮捕につながるということを暗示する。ホリエモンが罪人かどうかは関係ない。圧倒的な制約の中で、景気が良くなるはずがない。

フェイスブック・・・自分は登録しようとは思わない。個人情報をどこまで開示すべきか判らない。

おそらくセキュリティーは高度に設定されていると思うが、ハッキングして開示したくない情報まで引き出すきっかけ、もしくは商売に利用しようとする動きは抑えようがない。

人と知り合うのは、基本は面と向かったほうが良いに決まっているし、今の自分は新しい出会いを求める意欲に欠けているので、必要性が薄いこともある。商売の相手を探したいなら、あらゆるネットワークに進出する必要がある。医者のSNSは、情報を早く得るためには便利らしいが、自慢が含まれないか?信用おけるか?

メール形式のやり取りがあれば、証拠になって思わぬ訴訟沙汰に使われる可能性もあるが、手紙のように文章を練り直す時間はないので、たいていは垂れ流しの意見になってしまう。それが証拠になったら怖い。

欧米人たちは、それほど広く出会いを求めているのか?視野が広いということかも知れない。島国根性の田舎者の私とは違って、世界を舞台に生きたいという意欲があるのかも。ギリシヤ、ローマ時代からの発展精神、冒険精神のなせる業か?

他のSNSのことも知らない。ミクシイなどは今も活動中だと思うが、広告、売りつけの道具にされて、もはやクールではないと勝手に予想しているのだが、どうだろうか?

できれば、パソコンの前に座っている時間を短くしたい。電磁波も浴びたくないし、痔でも患ったら大変なんで、座っている時間を最小限にしたい。人間は運動し、休息をとるべきだ。いかに儲けようとも、パソコンオタクになってリッチになるのは嫌い。

もしかすると億万長者を目指してIT業界で一勝負しても良かったかも。もしくはITバブルで勝ち逃げして大きな財産を作ってさっさと引退でも良かったかも。億の単位の仕事をしたことがないので、ピンと来ないのだが、きっとワクワクするはず。

もちろん、億の金が絡むと、友情も信頼も吹っ飛んで、怖い世界になるに違いない。映画のように訴訟沙汰は必ずついてくるだろう。税金みたいなものだ。

 

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