映画評

  • 当劇場は劇場主のための映画館です。訪問者を期待しておりません。内容の客観性、正確性は保障できません。でも、真摯な批評を目指します。

劇場主


Conflict of Interest

  • 特にありません。

おことわり

  • 当劇場は誹謗中傷を目的としておりません。もし権利を侵害されたと感じられた方は、申し訳ありませんが管理会社や公的機関に御相談ください。

« ヤギと男と男と壁と(2010) | トップページ | 500日のサマー(2009) »

2011年4月30日

悪人(2010)

- 真の悪人は?  -

髪を染めた肉体労働者の若者、OLの若い女、紳士服店に勤務する女らが織り成す、ある殺人事件の物語。事件の背景や、事件後の家族に与えた影響が描かれている。

この作品は日本アカデミー賞の作品賞を取り損ねた。でも、賞を取った「告白」より断然レベルが上のように感じた。テーマはセリフにもある「犯人は本当に悪人なのか?」

各々の役者達の存在感を強く感じた。主役は当然だが、脇役の出番のバランスが良い感じ。

リッチな大学生を演じる岡田将生が素晴らしかった。乱闘の後に虚勢を張る時の弱さは上手く表現できていた。でも彼の役は以前ならワルをイメージさせる俳優が演じそうな役柄で、急に女を車から追い出すなんて、線の細い彼では、ちょっとやりそうにない感じがした。

満島ひかりは中越典子と区別がつきにくい印象。両方とも演技に迫力があるが、特にこの作品のOLは、いわば可愛そうな悪役で結構きついことも言っていたので、存在感が際立った。彼女がなぜ主人公に辛く当たるのかは、若い女性の思い入れ、野心といったもので説明できそうな気がする。彼女自身もひどい目に遭って、主人公に当たりたくなったと自然に解るようなキャラクター設定であり、また演技だった。

樹木希林と柄本明は存在感があって当然のような役者。この作品でもやり過ぎと言われそうなくらいの迫力だった。

柄本が暴れるシーンで思ったが、彼が大学生を襲おうとした時には、顔を青白くメーキャップしたらだめだろうか?交感神経が働いた時の人間の表情があったら、迫力がもっと出るかもしれないと思った。

殺人事件にまでならないとしても、いわゆる恋愛のもつれ、感情のもつれというのは時には一線を越えて事件性が出る事態にまでなってしまうと思う。普通の男女でも、きっかけがあれば殺人者になることはありえる。

OLの女性は旅館の女将の座も夢見ていたが、若い女性が夢を抱くのは自然なことで、それがないと、本当にただ日々の作業をこなして生きるだけの存在になってしまう。深津絵里が演じた女性も、まさにそうだった。そんな生活から抜け出す夢くらいは持って良いはず。

そのためには恋愛、転職、転勤がきっかけとして必要だが、恋愛~結婚は人生の大きな転機であるから、当然意気込みが凄くなってくる。思い通りにならなかった時に激しい暴言を吐いたとしても、その気持ちは解る。主人公は聞き逃してやれば良かったのに・・・

主人公も余裕がなかったのだろうと理解できる。簡単に理解できたのは、つまり作品の表現が適切だったからだろう。脚本も、監督も役者も良かったからだろう。

主人公も、仕事して介護をして、誰とも打ち解けずにただ生きているだけの生活。抜け出したい気持ちでいっぱいで、その夢が叶わないとなると、怒り、絶望のはけ口がない状況に自然となりそうだ。昨今は特にそのような閉塞感が強い。

バブルで浮かれた時代はもちろん、今の都会でも考えにくい閉塞感。田舎では産業が成立しないので慢性的に閉塞しているが、特に国内の景気が落ち込むとモロに影響を受けてしまう。

役場や農協などに職が得られればラッキーだが、それにありつけないと、さて何をやったらいいのだろうか?農業や漁業では非常に厳しい。そんな社会的、経済的な現実は人の心に閉塞感をもたらす。イライラしても、はけ口がない。

それでも一線を越えてはならない。微妙な差だとしても、感情のコントロール、相手への理解、同情、そのような基本的な情緒で、なんとか踏みとどまって欲しい。彼は、やはり悪人だったのだ。そう言わざるを得ない。

原発事故に関して・・・

東日本震災の原発事故への対応について、官邸の対応は繰り返し批判されている。私を含め、誰もが不満を持ったろう。ただし報道の内容に意図的な偏向があるような気もするし、もし自分が総理なら上手くやれるかと考えると、全く自信ない。誰なら大丈夫か?と考えても、悲しいかな誰も思い浮かばない。

県の担当部署を尋ねて聞いてみた。「~薬を送りたいんですが、解りますか?」しばらく後ろのほうで相談していたが、取り決めがないので、解らないとのこと。県庁が壊滅してないなら、県単位で物資の融通を連絡すれば必要な物品を送れると考えたが、そんなシステムはなかった・・・

とにかく私自身は、震災に対して役にも立たなかった。募金はしたが、薬品も食料も贈れなかったし、個人事業主だから自分が被災地に行くことなどできない。ただ遠巻きに見るだけ。あれこれ批評する資格はない。

資格がないのに批評する。これは病的なほどの評論家気質による。せめて一方的な批判はしたくない。所詮、批判は空しい。復興を急ぐ時に足を引っ張るような態度は感心できないから。それに、単純に片付けられそうな状況でないのも明らかだから。

批判すべき本来の対象は別と思えた。事故の発生原因や発生後の対応の悪さには、原発の関係者の仲間意識、役人根性が大きなウェイトを占めていたと思う。垣間見れる様々な報道から、真の問題が透けて見える印象。ただし、私が得られる情報から真相は確認できない。

事故に関して、まず最大最悪の要因は、福島原発の位置と構造。台風でも危なっかしそうな場所に、しかも冷却用タービンをまとめて配置するなんて、常識では考えられない。震度10くらいまでを想定し、少なくとも予備の水タンクやタービンが別な位置にあり、地震、津波、テロ、隕石、何が襲っても冷却できる手はずは必要だった。爆発を避けるために、内部の圧をマニュアルで逃がすようなシステムも望ましい。

あのような施設を計画し、認可した、これが最大の要因。あくまで想像だが、常識的に考えれば米国の財界の要請が最大の理由と思う。福島第一原発は当時のアメリカの施設をそっくりコピーしたらしいが、それならGEの製品を買わされたということ。独自に高さやタービンの位置を変えられなかったのか? これも事情を確認できない。

日本側の思惑もあったに違いない。証明は難しいが、そもそも原子爆弾製造の野望があったはずだ。また、原子力保安に関係する役人は、電力会社、大学、メーカーなどと一体の傾向がある。意図が共通しているから、厳しいチェックは働かない。とにかく作ろう、危険性には目をつぶろうという意識が働いた可能性はある。

学者達が過去に同地は数メートルの津波しかなかったと述べたという報道を読んだが、記録がないだけと考えるのが普通の感覚。数百年間の記録など役に立つはずがない。大海に面してて津波が来ないと考えるのは無茶な話で、学問以前の問題。

おろかな学者を利用したのか?それとも確信犯か?学者は専門家ぶって独自の意見を言わないと注目されないし、会社は科学的根拠を求める。某国は輸出をしたいし、我が国は原子力を使いたい。思惑は合致している。

テレビに出てくる”専門家、権威”といった連中が、全くと言ってよいほど役に立たないことを改めて知った。一般人の常識のほうが、未曾有の事態には通用する。

原発の事故は深刻さが違う。可能性のあることは考慮すべき。海岸にあるのだから、10メートルくらいの津波を覚悟しないといけないと思う。確かに今回の津波は大きかったが、想定外ではない。施設があと少し高い位置にあったら、最低限の冷却機能を保てた可能性はある。常識的な対策ができていなかった。

仮に高さや配置を工夫したいという意見が出たとして、どのように検討、評価されたろうか?おそらく、「千年に一回の災害を心配するのは、杞憂だ。君は病的だね。クックック。」と皮肉混じりに断じられて、出世コースからは外れたろう。東京電力では、コストカットが得意な人物が出世する傾向はあったようだ。コストカットは数字に出るから当然か。

選ばれ、出世した人間に危機管理能力がなければ、災害は防ぎようもなかったというのも大きな原因。そうなると、会社の人事の評価、内部の人間関係に欠陥があったと言わざるをえない。

もしくは東京電力という会社が特殊ではなく、日本の社会で一般的な人の評価の仕方に欠陥があったのかもしれない。「・・・は杞憂だよ君、クックック。」という言い方は珍しいものではなく、ワタシ自身もよくやる。会社も政府も、県や市や町の選挙にも安易な判断が蔓延しているから、危険の回避という発想は消え去る運命なのか?

事故が起こった後は、どんな首脳でも対処は難しい。石原都知事でも、谷垣総裁でも絶対に無理。勝負は最初から決まっていた。100の被害を、上手くやれば80くらいには低減できたかもしれないが、放射能漏れをゼロに抑えるなど絶対にできない。

明らかに認可した当時の政府、役所の責任が大きい。危機の予測能力のなさ、ご都合主義が結果として後進の負担になった。それが本質であり、現在の責任者の問題ではない。もちろん形式上は現政権の責任だが、事故後の対応のマズサが結果に及ぼした影響は重大ではない。視点を本質から外してはいけない。事故を起こさないことが大事だったのは基本的な考え方。

総理への批判の第一は、原発を視察したために初期のベントによる減圧が遅れたというものだったが、パフォーマンスにせよ本人は被爆覚悟で視察に行っているはずなんで、むしろ賞賛されるべき。また、その後の事象を見る限り、ベントの遅れの影響は小さいと思える。最初から勝負は決まっていたのだから、言いがかりに近い。それにベントは、もし必要なら誰がいようとやらなければならない。

東京電力と感情的な対立を生んだらしい何かのやり取りはまずかったが、本来なら事故の後に好き嫌いを言っている場合ではない。人の生死がかかっているのだから、職務を果たしてから個人的な意見を言えばいい。

もちろん、官邸が素晴らしい対応をしたとも思えないが。

現場視察は、基本的には叱咤激励のために行くものだ。現場で怒ったのが本当だとすると、やはり正しくはない。現場で対応できるのは会社の人間だけだから社員に奮起してもらうしかないわけで、恨み言は抑えて献身を頼む態度が望ましい。逃げ腰の社員を怒りたくなるのは当然だが。

官邸が役人をうまく使えていないことも確かで、たぶん最近の仕分け作業などのせいで互いの不信感があって、役人達が意地になって協力したがらないからだろう。でも国難に際して意地を張るのは国賊と言える。本来なら、どんなに嫌いでも協力しなければならない。

原則を言うならば、重要な決定に際し、社会人は自分の役目以外の要素を排除しなければならない。親友でも排除し、敵でも優遇する態度を貫かなければならない。国家的な決定では身を正して望むべき。役人や東電社員の感情より、国難に対処する自覚が大事。理想として社会人はガンガン意見を述べ、指示が出たら問答無用で機械のごとく従い、その上で能動的に仕事すべきだ。

報道されるコメントに多い「役人のやる気をそぐ~東電社員の信頼を損なう」などの批判は、おおっぴらに取り上げるべきレベルの問題ではない。やる気がない役人は、本来存在してはならない。報道する人も、わきまえるべき。子供のような感情的意見を、そのまま公表すべきではない。

水素爆発の報告は、官邸には1時間後に届いたと書かれていた。誰かが止めていた疑いがあり、本来なら処罰の対象で、よっぽど責められるべき問題。既にテレビで皆が知っていたので、報告の遅れが対処の遅れにつながらないとしても、スタッフの認識の度合いを象徴している。

保安院の検討会が実質開かれていなかったという報道もある。「呼ばれないので行きませんでした。」と、委員達は発言しているらしいが、役に立たないことを証明している。官邸よりも非難されるべきではないのか?

あくまで報道による情報だが、発電所の人間は爆発の危険性が高まった時期、現場からの退避を申請したらしい。「現場の人間が全滅したら、その後の対処ができないので退避する。」という理屈と、「責任者が逃げるなどありえない。」という考え方、いずれが正しいかは、要するに責任感、使命感の問題。本当の話なら、禁固刑が望ましいのでは?

そのような申請は、保安院のレベルで対処してほしい。あっさり却下し、官邸に報告するくらいが本来は望ましい。内閣が原発事故の対処法など知るはずないので、いちいち官房長官が対応するのは役人が役割を放棄したからと言える。ちなみに、保安院スタッフこそが早々と現地から退避していたと報道されていたが、本当か?

スタッフは、官邸にどのような提案をしていたのだろうか?保安院を説得するところから始めなきゃならないなら、官邸の苦労は大変なものだ。

「本来なら、原則は、」という言い回しが多くなった。これ自体が病的な状況を意味している。我々の社会は原則が通用しない、甘ったれた馴れ合い社会なのだろう。あらゆる分野、ほとんど国民全体がそうだから、会社や官邸だけに優れた対処を求めても無理。

社会の風潮には常に違和感を感じてきたが、震災の現実を見ると通念に誤りがあったと考える。したり顔で物を言ってきた専門家も、我々も、勘違いをしていたのだろう。

病院の救急外来を例にする。これは現実に近い架空の話。

死にそうな患者さんが来る。救命に自信を持てないほど重症。「##の注射を!」と叫ぶが、「あれは手術室にしか置いてありません。」「取ってきて!」「婦長の許可が要ります。」「婦長の管理?今は緊急事態だから、私が指示する。」「・・・婦長に相談します。」「その間に死ぬだろうが!もういい!私が行く!」

看護婦にしてみれば、助かりそうにない患者で危険な処置はしたくない。後で責任を問われる。医者は転勤すればいいが、自分はここに勤めたい。医者と仲良くするより、他の看護婦達と仲良くするほうが利口。

全く手を抜いているわけではない。患者のために良かれと思っていないわけではない。でも、患者のため確実な処置をしたい、法令に則りたい → 難しく危険な処置は嫌 → 上司の指示の元でやりたい → ・・・ → 見捨てることも仕方ないという論理は、一人前のスタッフのものではない。

「##薬の管理は、夜間の救急では医師の指示のもとに管理、使用する。」というマニュアルが周知徹底していることが理想だが、起こりうる事態を予測して取り決めをしようとすることだけで激しい抵抗を生じる。「そんなに言うなら、カギは先生達で持って下さい。」などと口をとがらせる。まるで子供を相手にしているかのようで、話が進まない・・・

利口な医者もいる。まず「**先生を呼んで!」と指示する。手に余る場合に人に依頼するのは正しい。その間に患者は死ぬかもしれないが、あせって危険を犯しても話が進まないし、責任と反発を一身に背負わないといけなくなる。第一、面倒だ。複数の医者が口をそろえて指示すれば看護師は断れない。多数決が成立する。

人の命の行く末を職員の多数決で決定して良いのかいな?

誰にもそれなりの考え方、根拠はある。ただし、職責に忠実に対応し、スタッフの一員として協力する姿勢は望まれる。場をわきまえることも必要。場=すなわち、客観的な視点に立ち、個々の利害を越え、職責に忠実にあるという前提、それができなければ、いかに優秀でも使えない。プロ意識に通じるものが必要。理想としてはだが・・・

この救急外来と同じようなやり取りが政府内部にあるのでは?そんな気がする。命令系統、連絡系統の整備が必要と口で言うのは簡単だが、実際は難しい。自分の利害を優先することでやる気を出す人が多いのは現実であり、変わるはずがない。

政治主導を目指していた民主党政権では、役人の協力は特に難しかったはず。欠陥の本質はいわゆる役人の体質的な問題としても、それらの速やかな改革は無理だから、救急現場で怒っても仕方ない。法の整備で徐々に改善するしかない。仕分けのような目立つやり方は反発を生むだけ。プライドにも配慮すべきだ。

官邸は事故に際して、まず自分達が役人から反発を受けていること、相手は国難に際してもプライドや利害を優先し、責任回避ばかり考えることを予測し、それなりの姿勢を採るべきだったのかも。土下座してでも協力をお願いすべきだったと思う。

「今は国難です。官邸の手に余ります。あなた達しかいません。責任はとります。充分に能力を発揮してください。仕分けでは悪いことをしました、土下座して謝ります。」テレビの前で実際に土下座する。そうなると、ある意味で後は役人の責任。これで仕事しなきゃ貴様らのせいだと、一種の脅迫にさえなる。

相手は舌打ちし、責任を逃れようと画策するだろうが、仕事をやりだす可能性は少し高まる。意気に答えてくれる人物も皆無とは思えない。皆がクズではないはず。万の単位で人が死ぬ本物の危機なのだから。

官僚制度の改革は、歴史上でも成功例が少ない。結局は権力闘争、派閥争いに終始し、内乱、政権崩壊などの結果になっているように思える。内部から改革するのは人間技では無理。表立って敵対せず、法に従って冷静に粛清するのが鉄則。すっきり片付くことなどありえない。

もともとが難しいので、今回のような緊急時に制度改革を続けるのは絶対に無理。あっさり謝ったほうがいい。

やる気を無視していけないのは確か。人は自分の能力を発揮し、評価を得たいと願うのが普通で、それが出世に絡むし、気分的にも必要。やれ義務だ、倫理だと言われるばかりでは、積極的に協力したくないのは当然のこと。仲間から取り残されたくないという心理も大きな要素。義務感や倫理規定より強力。

プライド、機嫌、やる気、慣習、組織の論理、天下り先への配慮といった要因と、法的な義務や使命感のバランスを上手く操るのは難しい。たまに魔術師のように上手く人を束ねる人物がいるが、稀な指導者をたたえるのは止めたほうが良い。例外に過ぎないし、運が良かっただけだと思えるから。

皆から支持された指導者というのは、言い換えれば義務や使命を軽視して、運営の便宜ばかりに終始した人物とも言えるかもしれない。「あの人の時は気持ち良く仕事できたね。」と皆が思う。もしそうなら、後も同じ路線でないと職員のサボタージュに遭うから、次の指導者にしわ寄せが来る。でも、それでは組織改革ができず、組織全体が生き残れない。

良き指導者と言えど、去った後も良き結果をもたらすとは限らない。・・・逆説的だが、この経験則は本当は常識。馴れ合った過去の産物(福島第一原発も)こそが事故の最大要因であることを忘れてはいけない。役人から反発を喰うから駄目な官邸とは言えない。役人が動かざるを得ない規則を作り続けることが決め手。

指導者に過度の期待を持ち、起こった事故にも対処してくれることを期待するのは最初から無理。指導者は役人に「やれ!力を出せ!意見を言え!」と指令し、役人が「*&がお勧めです!」とアドバイスし、「よっしゃ、それで行け!」と指示、これが理想の動き方であり、現状は酷い。

酷いのは官邸ではなく、役所と考えるのが本筋。報道のポイントはおかしい。役人や某国の工作が動いているのか?意図がどう働こうと、国家の危機に際して報道機関は本質を論じるべきだ。有権者は本質を考慮して投票すべきだ。感情論や恣意的な報道に影響されるのは、死者に対する冒涜。

自民中心の連立政権に戻る気配が高くなってきたが、そうなると国家としては沈没することになりそうな印象。役人がいかに優秀でも、その意識が国家の問題の本質に関与している。国民が選択するのだから仕方ないが、本質を改善しない方向を選択するのは疑問。

とは言っても、今回の官邸の働きを支持する人は、いったいどれだけいるんだろう。私自身も支持しないし、さらに多くの人が報道に流されて本質に目がいかないと思う。

・・・再び、救急外来。

お腹をドスで刺された患者が来る。ドスの処理に困った医者(官邸)を責めるか、ドスを刺した犯人(電力会社)を非難するか、命令した敵の大親分(地震)に畏敬の念を抱くか、または犯人を取り押さえず遠巻きに見ていたボディガード(役人)を責めるか?帰り支度をしている看護婦(保安院)を責めるか?かって汚職とミスでクビになった元院長(自民党)を呼び戻すか?

今のテレビの論調なら、医者を責めている。医者は悪人?

(訂正・2011・05.22)

5月20日前後に会社から発表があり、ベントの遅れが決定的な要素だったことが判明した。遅れた理由や、官邸が指示しても会社が拒否したのか、もしくは会社が望んでも官邸がストップをかけたのか等も不明だが、ベントの遅れが爆発を生んだことは間違いないらしい。

ただし、ベントの早さよりも設計、立地、構造に根本的問題があったことには変わりないと思う。 

 

 

 

 

« ヤギと男と男と壁と(2010) | トップページ | 500日のサマー(2009) »

無料ブログはココログ