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2011年4月 5日

半落ち(2003)

- 菩薩のイメージ -

妻を殺して自首して来たのは警察官。彼の供述には穴があった。殺害後2日間、何をしていたのか話さないのだ・・・

・・・よく考えられたストーリー。醜い警察内部のいさかいや検察と警察のやりとりなどを扱ったリアルさ。テーマは家族への愛情。認知症。血液バンクも絡んで、奥行きのある話。

寺尾聰の菩薩をイメージさせる表情が素晴らしい。裁判官や警察官を演じた役者達はちょっと軽い気もしたが、ドラマ的になった点では悪くはなかった。

樹木希林は犯罪者の肉親を演じることが続いているようだが、焦点の定まらない目線、美しくない外見が非常に効果的だった。芝居自体は臭過ぎるかもしれないが、美人女優がやる場合と違って、イヤミがない。

柴田恭平は刑事役には軽過ぎる印象も受けた。もう少しドスの効いた役者のほうがよくなかっただろうか?悪役俳優なら面白くなかっただろうか?主人公を何とかして騙し、口を割らせようと恫喝する刑事のほうが、最後に主人公に同情が集まりやすい。

この映画のストーリーでは主人公への理解者が多過ぎた。孤立無援、大勢の人に囲まれて恐喝されても必死に耐える主人公であってはいけなかったのか?

この作品は暗い雰囲気だから、子供には向かない。恋人といっしょには悪くないような気がするが、楽しさは期待できない。考えさせられる、極めて真面目な映画。

捜査中の事項を報道陣に公表するのは、正式な記者会見の場合以外は良くない、ましてや取引の材料にするなどは許しがたいと思うのだが、行われているようだ。「関係者の話」という記載には疑問を感じる。規制する法律はないのか?

検察と警察の間で取引めいたやりとりはあるだろう。裁判所ともあるかもしれない。人事制度、法律などの欠陥が関係しているような気がするが、内情を知らないので解らない。

調書の筋書きを警察が書いて犯人に同意を求めるという流れは、時間を短縮する上では自然発生的にありえる。

犯人の精神状態を想像するに、自分の行為や考えを忘れてしまいたい、考えたくないという意識はあるはずだから、警察官の話に「オレはそうだったかも、そうなら辻褄が合う、きっとそうだ・・・」と、納得してしまっても不思議ではない。

したがって、尋問は完全に記録していないと信用できない。犯人も認めているから、という言い方は意味がない。今の裁判は、だから全て信用できない。証拠は全て捏造かもしれないし、調書はすべて警察官の作文と犯人の勘違いの結果かも知れない。

学術研究と同じく、調べ方まで公表されないかぎり、採用できるものではない。ダブルブラインド、ビデオ記録、外部の調査機関による判定などがなければ、本来は無効なもの。

認知症のこと

若い人に限らず、認知症が始まったら家族も本人も非常に悩み苦しむ。病状が進んで何も解らない状態になるまでは、「なぜ?本当か?誰かが自分を騙しているのか?」といった疑問と、「自分は衰えつつある。悪化している。」という自覚、恐れに苛まれる。

ほとんどの家庭では諍いが起こっている。言ったはず、聞かなかったといった類の話から、金を盗んだ、土地の境界をいじったなど、法的な争いもよく見る。

患者さんで死にたいと言った人も何人も経験したが、幸い実際に死なれた経験はない。精神科では多いのかも知れない。うつ病と区別できない場合もあるので解らない。

ほとんどの場合は、死なないように家族の注意や薬の処方対処しながら、病状が進行して自殺すら出来ないほど認知力が落ちて、話も出来なくなるのを待つことができる。病状の進行を祈るというのは医者にあるまじき行為ととられかねないが、死なれることは避けないといけないので仕方ない。

自殺の危険性がある場合は、だから安易に処方はできない。認知症の進行を止める薬が開発されつつあるが、マズイ場合は中止が必要だ。病状を止めると危ない場合はある。うつ病の病状が中途半端に改善すると、元気になって死ぬ可能性もある。

専門家達でも結構失敗しているような印象。自殺した患者の処方を見ると、効き過ぎて意欲が出て死んだ人や、大人しくなり過ぎるので内服を止められるために病状を悪化させたと疑われる例も多い。証明は難しいが。

主人公の場合は、だから奥さんを施設に入れるべきだったのでは?監視を効かせていれば、少なくとも簡単に自殺されないでおける。進行が早いようだったから、たぶん1年くらい我慢してもらえば、動けなくなったのでは?自殺を含め、殺人は避けたい。入所させて監視がベストでは?

子供の事が解らなくなるのは確かに可哀想だが、解ったままも辛い。むしろ辛さも解らないほうが幸せだと思う。少なくとも自分が患者さんならそうだが・・・

骨髄ドナーのこと・・

ドナーを世間の目から保護することは大事。殺人犯人から移植を受けた人という好奇の眼で若者を見られてはいけない・・・そんな思いは理解できるが、映画の表現としては、やや表現力不足だった。誰かのセリフでさらに強調すべきだった。

新聞にドナーの感謝の言葉を載せると、だから後で何かの悪い影響がありえる。勘違いして騒ぎを起こしてはいけない。したがって、この種の言葉は新聞ではなく、慎重に対象を選んだ会報など、個人を特定できない工夫をした後でないと掲載すべきではない。よく考えてルールを作らないと、場合によっては犯罪も起こりえる。

「新宿で一番小さなラーメン屋」というと、特定されてしまう。「そうか、あいつのせいで自分の子供は移植を受けられなかったのか。」と思った家族から殺される可能性があるかも知れない。新聞社も深く考えないといけないから難しい。

おそらく現行の法制度は、そこまで管理する規定を持たないのではないか?規定されているかも知れないが、有効性があるかどうか?

 

 

 

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