映画評

  • 当劇場は劇場主のための映画館です。訪問者を期待しておりません。内容の客観性、正確性は保障できません。でも、真摯な批評を目指します。

劇場主


Conflict of Interest

  • 特にありません。

おことわり

  • 当劇場は誹謗中傷を目的としておりません。もし権利を侵害されたと感じられた方は、申し訳ありませんが管理会社や公的機関に御相談ください。

« オーケストラ!(2009) | トップページ | 塔の上のラプンツェル(2010) »

2011年3月27日

17歳の肖像(2009)

- 結婚詐欺について -

17歳間近の女学生が青年と恋に落ちる。彼女は彼のプロポーズを受けて学校を止める決心をするが、青年には秘密があった・・・

・・・原作者の自伝かもしれないとのこと。作者は有名な物書きで、本も出しているらしい。

原題は「ある教育」といった意味。確かに彼女は学んだことが解った。

Pita

この作品でまず感心したのは、相手役のピーター・サースガード。

凄い二枚目ではない。迫力あふれる存在感もない。でも、この役にはうってつけの育ちの良さそうな、誠実そうな、どことなく不安定な印象もあるような、その微妙な部分を上手く出していた。キャスティングした人を褒めるべきかも知れない。

ヒロインが去っていこうとする場面で、うまく言いくるめる論理が素晴らしい。セリフを棒読みしたり、激し過ぎる動作を見せたら直ぐ嘘っぽくなるはずだが、少なくとも画面を見る限りアラを感じなかった。

正体がバレてた時の表情もオーバー過ぎなかった。もともと眼がギョロ眼でないから、オーバーになりにくいのか?いかに抑えて演技し、それでいて表現は伝えるという手際が良かった。

ヒロインも魅力的な笑顔を見せていた。色っぽさには少し欠けると思ったが、笑顔は可愛らしかった。これから大スターになるためには、色気の面で演出が必要かも。普通、早熟の女生徒を演じるのは、大人っぽい顔の女優がいいはずだが・・・

脇役は非常に上手い役者が揃っていた。父親役、校長役、若い教師役、金持ちの盗人役、その愛人役など、キャスティングに関しては本当に良い仕事だった。

この作品は、いちおう家族で観ることができると思うが、子供には楽しくないだろう。一種の詐欺を描いた作品なんで、教訓としての意味はあるかもしれないが・・・。思春期の女学生、おばさんには受ける要素がある。恋人といっしょに見ても悪くないかも知れないが、特に勧める内容ではないかも。基本的に、男が観る映画ではない。

上手く異性を騙す人間は多いらしい。結婚詐欺に遭ったことがないので、どんな手品で相手を騙すのか、自分の頭の中で自分の行為をどのように正当化しているのか、本心はどうなのか、そのへんが解らない。たぶん結果的に騙したことになることが多いと想像する。人を騙すのに嫌悪感を感じているようでは、とてもできない。

平気で騙せるくらいのセンスがないと、大きな商売は難しい。よほど画期的な発明でもしない限り、正直なやり方で稼げる金は知れている。大金持ちになれた人は、例外なく違法スレスレの行為をやっている傾向はある。でも、それを結婚に関してやらかす気持ちが解らない。結婚していることを言い出せないまま、ウジウジしている結果、詐欺になるのか?それとも意図的にギャンブル感覚でやるのか?

相手が騙しに気づいた時、それを察知して対処するためには、相手の感情の変化を分析し、瞬時に対応できないといけない。さらに嘘をつく~部分的に告白し、関係は維持する~諦める~開き直る~いろんな対応の仕方があるが、ある程度は相手が納得できるように説得することは確か。

自分はクソ真面目な良心的な生き方をしているから、絶対に二重婚や二股かけはできない。金持ちにもなれないだろう。どうしてこうなのか解らない。子供の頃はズル賢いガキだったのだが、徐々にバカ正直に徹するようになってきた。何か学んだ結果か?それこそ教育の影響か?

怖いもの知らずの子供の頃は、自分が人を騙せる自信があったように記憶している。ゲームが好きだった。人をバカにしていたんだろう。自分の限界を感じ、怖さを知るようになると、徐々に慎重になっていったのか?

脳の活力、神経伝達のパターン、速さ、そういった基本的な神経活動が関係しているのかも知れない。うつ病の患者さんに服を脱いでもらう時、要領を得ない脱ぎ方に笑いそうになることがあるが、反射的に動く動物的な能力が落ちて、いちいち高次の脳機能の指令を確認しながら動くようなノロさ。あれが、うつ病の本態かもしれない。

自分が診療するのは高齢者がほとんどなんで、精神的な変化と年齢的な衰えの区別がつかないのだが、動作の早さ、反応の正確さとパーソナリティ、生き方は連動しているように感じる。

スピードは大事。瞬時に反応されると、自然に見える。いちいち誤謬をチェックしながら慎重に判断しようとすると、信頼を持たれない。

反射的な対応で要領よく動いていた子供が、徐々に反射以外の神経反応の支配によるようになり、反射的な対応にストップをかけるようになる。すると、言葉遊びの要領で騙していた動物的な反応が遅れる。遅れると騙していたことがバレる。バレることを予測すると、もう騙せない。

そうやって、「まっとうな大人」になるガキも多いのでは?反射神経ばかり磨いて成長した人は、磨き方次第では人を騙せるし、社会的に覇を唱えることが可能な場合もある、しかし大きな失敗をやると「調子が狂う」=高次元の脳の情報が働いて、自然さ=スピードに変化が生じる、という具合か?

もし、この考えが正しいなら自分は生来良い人間だったわけではなく、単に反射的な対応が出来なくなったワルガキのなれの果てかも。ほとんどの大人はそうかもしれない。

 

 

« オーケストラ!(2009) | トップページ | 塔の上のラプンツェル(2010) »

無料ブログはココログ