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2011年1月17日

孤高のメス(2010)

- 誤診します -

地方の市民病院に赴任した外科医と、彼が挑戦する生体肝移植に伴う問題、彼を取り巻く人達の物語。

原作は漫画になってるそうだ。作者は臨床医で、今も地方病院の院長をやってるらしい。

映画の手術シーンは非常によく出来ていた。上手く模型を作って再現していたようだ。たぶん特撮用の工場か、食品模型の会社などがプラスチックやゴムで作ったに違いない。

主演の堤と夏川の演技も素晴らしかった。特に夏川は、今までの映画ではなぜ出演できたのか解らないこともあったが、この作品で初めて価値を理解した。例えば、鈴木京香などが演じていたら、色気が前面に出てしまって、ラブストーリーがないと不自然になってしまう。夏川ならストーリーに合致している。

たぶん本格的な怒りの表現をさせたら、彼女の場合は嘘っぽくなる。どことなく田舎っぽい顔形が、人の良さそうな雰囲気を持っているからだ。「陰陽師」の時のように怨霊や怪物が激しく呪っているような役柄の時には、彼女は不向き。片瀬梨乃のような迫力ある女優が必要になってくる。

恋心に似た信頼感、一体感を表現していた。語り手が看護婦というのは正解だった。日記の形式を使ったのもオーソドックスながら、大成功だった。

地域医療を取り巻く問題を、上手く整理し、娯楽のレベルで表現していた。

医局で派閥争いみたいなことを繰り広げる人物や、足を引っ張ろうとする医者、協力しない事務長などはオーバーすぎたが、娯楽映画だから仕方ない。

盲腸=虫垂炎に対する感覚は、医者になって随分変わった。医者になる前は、「盲腸を見逃す医者はヤブだ。」と思っていた。でも実際に診療すると、本当に難しい。随分見逃し、過剰診断をやってきたというのが正直なところ。二回ほど判断遅れがあったと思う。過剰診断は数が解らないほど多い。

オーバーに転げまわって、まるでテレビの女優のように手足をバタバタさせる患者さんがいた。診察のために寝てくださいと言うと、恥ずかしさもあるのか腹を出させまいと激しく抵抗し、所見が得られない。仕方ないので点滴を確保して採血検査をやって、消化器科ドクターの来院を待つことにした。

その日の看護婦は、なぜか眺めているだけで協力してくれないが、採血だけはしてくれた。指示がはっきりあれば断わらないが、積極的に関わりたくないという姿勢のスタッフもいる。その日は、たまたまその種のスタッフだった。

結果は明らかな虫垂炎ですということになった。消化器科ドクターが診察する頃には疲れ果てた患者さんは抵抗しなくなっており、診察が容易で、所見も出来上がって明確。後に診る医者が一番名医になれる。

この場合は私の誤診、見逃しであったと評価されても仕方ない。少なくとも家族はそう思っただろう。なぜ痛み止めをすぐしなかったのか!レントゲンを撮らないんだ!と、怒るだろう。

しかし、レントゲン撮影のためには技師を呼ばないといけない病院も多い。勝手に撮影すると、後で怒鳴り込んでくる技師もいる。そのくせ呼ぶと嫌そうな顔をするので理解に苦しむが。痛み止めも、使ったことで亡くなるケースがないわけではないので、慎重さは必要だ。特に演技者のような雰囲気がある場合は、迷う。

私には反省すべき点がある。①暴れる患者に辟易する心が確かにあった。②家族に対して詐病の可能性を聞いてしまい、怒りを買ってしまった。③看護婦スタッフと普段の連携を図って、協力を得る努力を怠っていた。④診断のキレが不足していた。

認められる点もゼロではない。①生命の危機がなく、観察が可能という判断は正しかった。緊急でレントゲン技師や専門医を呼ぶ必要はなく、結果的に予後に影響なかった。②血管確保、血液検査など最低限の行為はやった。でも、本当に最低限に過ぎなかったという点はある。

過剰診断=不必要なCT、緊急コールは随分多い。所見として明らかだと思って手術までしてもらったが、虫垂よりも他のリンパ節のほうが腫れていた、ただの腸炎だった、そのまま観察で軽快したという誤診に近いのは数が多い。見逃しを恐れるあまり、過剰に対応してしまうのだ。

患者さんの苦痛を看過してはいかんという考えで鎮痛剤を投与して、後で中毒患者と判明したことも多い。ただの便秘だったという例も非常に多い。所見だけで区別する能力はない。

誰も気がつかないのに、鮮やかな診断をした例もある。インフルエンザに引き続く虫垂炎、胆のう炎は結構あるのだが、何度か診断している。見逃していたら危険。外科ドクターが見逃した虫垂炎も何度か経験した。

ベテランの外科医たちもしょっちゅうミスしているから、私だけがダメ医者とは考えないが、腹痛に関する手際は、まだまだ不足している。

映画では移植が必須という論調だったようだが、必ずしも同調できない。移植の技術に自信があっても、シミュレーションを繰り返していない施設でやるのは危険。執刀は主人公でも良いが、大学病院でやるべきだった。万全を期す義務はある。

本人が移植を希望していたか不明の場合にも、今は親の了解で臓器提供できるようになったらしいが、賛同できない。意志は重要だ。周りの人間から有言、無言の圧力がかかるようになってはいけない。技術的な問題を理由に本人の意志確認を省略するのは望ましくないと考える。

神がかりの手技で信頼を勝ち得た優秀な医師がいても、移植をトライするかどうかの判断が優秀とは限らない。あくまで手技が優秀、一般手術の判断が正確というだけだ。臓器を使う技能があっても、もらう資格があるわけではない。

移植の場合は医療費のメドが立つのかどうか、財政的な問題も気になる。社会保障が成立するか厳しい時代に移植を論じること自体がおめでたい勘違いの可能性もある。脳死判定にも限界がある。未知の病気を作り出していたことに、後で気がつく可能性も常にある。やってみて気がついたで済むとは限らない。

移植を待ち望む患者さんが多いのは事実で、厳粛に考えないといけないが、私個人は自分に移植が必要となってもして欲しくない。もっと若い人に臓器を回すか、移植以外の医療に財源を使って、他の多数の命を救って欲しい。自分に多額の費用を投じて欲しくない。この考え方を患者さんに強要するわけではないが。

やれる自信と能力があって、目の前の人を助けられないのは忸怩たるものがあるだろうが、万全を期しても失敗する可能性があるのが医療現場なんで、今回の主人公の行為は慎重さを欠いていた。残念ながら法律上は殺人罪に相当するはず。

もちろん、問題は法規の側にあるので、情状酌量で逮捕や免許停止は逃れて欲しい。

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