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2011年1月20日

9(ナイン)~9番目の奇妙な人形(2009)

Nainn

- イマジネーションあふるる -

人形のようなロボットのような変な登場物達が、自分達の存在する意味、人類の過去の行為を知りつつ、怪物のようなロボットと戦う物語。

評判の映画だったが、熊本市の劇場ではたしか公開されなかったようだ。独特のデザイン、よく考えられた個性、人間社会の縮図のような人形達の関わり方、行動の仕方など、レベルの高いイマジネーションを感じた。学生映画はこうでないといけない。

声優は有名な俳優たちが勤めていたそうだ。主人公はイライジャ・ウッドの担当だったらしい。

似たような話は数々見てきたような気がする。漫画の世界にもたくさんあった。ほとんどは完全にロボットとしか言いようのない、金属製の体をしていた。この作品は、まずチャックや布地を使っているところが独特だった。本質には関係しないかも知れないが、弱々しさや生物くささを出す効果はあったと思う。

「ウォーリー」も似たような設定だと思うが、体が完全に機械だった。何か特徴を出さないと、観客の注目を引けないから、粗末な布地の体は正解だったんだろう。童話を思い出させたかも知れない。

自分達に電球をつけると明かりがつく、その単純なことに喜びを見せる表情などは、我々をほっとさせる効果もある。廃墟の中をボロ布をまとった格好で歩くのは、さながら被災した人間のようだ。ますます人間臭く、同情のような感情を起こす。ちゃんと考えていたんだろう。

機械の怪物との戦い方も面白かった。ほとんどは逃げているばかりなのだが、そこがリアルだった。戦いのシーン、逃亡のシーンがないと映画としての盛り上がり、迫力に欠ける。人形達のドラマばかりでは話にならない。

失敗したSFのいくつかは、その肝心の迫力に欠けていたような気がする。強力な武器で敵を壊滅させてバンザイといった単純さに陥っていた作品も多い。基本は劣勢で、少し勝利して快感を得るというのが鉄則だ。

魂の表現も美しかった。人間の最後の魂の一部が空に登っていくと考えると寂しいものがあるが、笑顔をみせるなど、完成度の高いシーンだった。

 

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