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2010年12月30日

レイジング・ブル(1980)

- ヒーローの行く末その二 -

監督 マーチン・スコセッシ 主演 ロバート・デ・ニーロのコンビで贈るボクサーの物語。

ライバル役のシュガー・レイ・ロビンソンというボクサーのことを全く知らなかったが、我々世代で有名なシュガー・レイ・レナードが彼にあやかって名前をつけてるくらいだから、大選手だったんだろう。どちらかといえば、この映画の主人公はやられる場合が多かったようだ。でも、タフネスぶりは事実。

モハメッド・アリがカシアス・クレイといっていた時代に、ジョー・フレイザーと世紀の一戦!のような大掛かりな宣伝の試合を観たことがある。技術的にはアリのほうが華麗で、優勢だったことも間違いないのだが、フレイザーの逆襲は鋭く、アリがダウンさせられていた。華麗な選手がタフで無骨なファイターにやられると、心を打つような感覚がある。

キンシャサの奇跡と言われるアリの逆襲も感動ものだった。あれも、劣勢の選手が急に立場を変えるからこそだろう。

アメリカの選手達は、結構ステージで客を笑わせるショーマンになっている例が多いらしい。フレイザーもそうだったらしい。日本だと、ステージでよりテレビが目立つ。ガッツ石松や具志堅、輪島選手などもお笑いの世界にいる。なぜか?

ボクサーというのはドラマになる存在。たくさんのボクサー物語を観てきた。単純な殴り合いの迫力、意識を失うことが普通という世界、栄光の舞台からやがては没落するものが多いこと、奇跡の逆転など、要素が多いからだろう。

主人公は「どうしてオレはこうなったんだ?」と嘆くが、その理由に関して観客に理解させる演出、脚本は高いレベルを感じた。ただのボクサーの栄光と没落のストーリーに留まらない、深さを感じる。

主人公の演技も当然素晴らしかった。体重を大幅に変化させて、リアルな人物の姿を再現したのは、それだけの効果を生んだようだ。ただし、これは今ならメーキャップで何とでもできただろう。

ボクシングシーンがチャチだったら、さすがに面白みがなくなってしまう。ある程度のトレーニングはやっていたようだ。ロッキーよりリアル。

弟役のジョー・ペシの演技も重要だった。実際にもマフィアと関係していそうな感じだが、兄を裏切る面、凶暴な面などを上手く表現していた。

ボクサーに限らず、若く体力がある頃に自由な生き方をした人物が齢を取り、格好もおじさんおばさんになってくると、哀れさを感じてしまう。昔のアイドル達もそうだ。人気と体力、色気、本人の意志の強さなどは関連している。

アイドル達は、人気がある時期に必ずしも収入も多くもらっていたとは限らないらしい。事務所がほとんどを取って、タレントには安めの給料しか入ってない場合もあると聞く。でも、若い時代は耐えられる。下積みのアーチスト達は極貧で頑張っている。齢をとると、そうはいかない。たいていは養育費の関係もあるのか?それからの夢のあるなし、自分の未来への期待度、無謀な自信のあるなしが違うのか?

スポーツジムで伊達な雰囲気を持つおじさんの裸を見ると、足の筋肉が落ちてしまって、スマートという表現が適切でなくなり、単なるヤセ、るい痩というべき状態になっている。若くないと、色気がない。

遊び人だった友人達も、いつの間にか髪の薄いおじさんになっている。衰えた人を見ると、可哀想な気持ちになる。自分も見事にそう。

つい最近までは若い女の子を見るとドキドキしていたが、今は老人が孫娘を見るかのように、「悪い男につかまるなよ」なんて見方をしてしまう。情けないのだが、好々爺になっちまったいという状況。

ヒーローと同じく、自分も「イッツ・ショータイム!」と残りの体力にムチを入れるようになってしまった。

 

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