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2010年9月28日

しあわせの隠れ場所(2009)

- タッチが素晴らしい -

裕福な家庭が貧しい黒人の高校生を引き取って育てることになった。育った環境のギャップなどを乗り越えて、高校生はフットボール選手を目指す・・・

・・・原題は「ザ・ブラインド・サイド」。クウォーターバックの死角になる方向を意味し、そこを守る選手の重要性、ひいてはマイケル・ウィアーのようなバックの選手の重要性、存在意義を意味しているようだ。特に彼の場合の保護本能(本当かどうかは判らないが)に特徴がある選手を際立たせる効果がある。

実話らしいが、かなりの脚色はありそう。どう考えても、貧しい黒人の中から明らかに素質のある青年を選んでいる。ただ可愛そうだからではない。当初から特定の大学に進学させる計画だったことは疑いようもない。上手く美談の部分を強調したに過ぎない。

主演のサンドラ・ブロックの演じ方に好感を持った。きつい表情、態度は育ちの良さを表現するのに最適だった。美人じゃないと思うし、本当のエレガンスは持っていないように思うが、行動力ある女性を上手く演じていた。観客が好感を持たざるを得ないような、ユーモアある演技を笑わずに演じられたことが成功の秘訣だった。

Siawase

きついだけじゃなく、絵本をちゃんと読んで聞かせるなんて、忙しいデザイナー家業の主婦には難しいことだが、ちゃんとこなしているというのも好感につながる。子供たちが、これまた出来すぎの良い子。昔のアメリカのテレビ番組から呼んできたようなキャラクターだった。

素晴らしいヒロイン像だったが、アカデミー主演女優賞に相当するかどうかは判らない。この年は、なぜか男性が主演の映画が多かったので、運も良かったのではないか?アバターのヒロインはアカデミー賞ものだったが、実体がないので難しい。

作品のタッチがすばらしい。メロドラマになっていない。その関係で、家族でも恋人とでも観れる、さりげない作品になっている。

黒人青年を演じていた俳優は、少々肉がだぶつき気味で、とても才能あるスポーツマンには見えなかったが、表情には好感を持った。好感を持たせることが、この映画では大事だったのかも。出来すぎた美談なんで、観客に嫌悪感のようなものを感じさせたらアザトイ話になってしまう。

音楽も大事だった。美しいオーケストラ音楽などで盛り上げすぎると、やはり嫌悪感を生む。メロドラマになってしまうと観客の多くがしらけて、そっぽを向く。あくまで喜劇タッチ、少しシンミリという路線は正しかった。

大学のOBの意味は、日本とは随分違うと聞いている。日本では個人で数億単位の献金ができる人間は少ないが、あちらでは桁違いの富豪がたくさんいるから、大学への寄付は珍しくない。大学当局への圧力もかけられる家庭が少なくない。献金は影響力になる。

「私はライフル協会にも所属している。判事とも知り合いだ。」と、ギャングたちを脅す場面で、つまりはコネで相手を黙らせている。そんなパトロンを持つことができた才能ある選手の成功談。でも、観ていて不快感は感じなかった。ほっておけばギャングの一員になった可能性が高い青年の未来に、奇跡をもたらしたことには違いないからだ。

日本では伝統的に援助は少ない。秀才を援助して婿養子にして、自分の後継者にして店を守るといった、やや内向きの例はあったようだが、例えば政界や財界に出させるために無償の援助をするという例は少ない。援助、寄付に対する伝統に違いがあるからだろう。社会に対する意識より、家に対する帰属意識が高かったからか。古代ローマやイギリスなどの伝統を受け継ぐアメリカでは、個人への援助の伝統がある。

今の日本は奨学金制度を利用すれば、苦しいながらも大学卒業は可能だし、まだまだ裕福~中流家庭も多いので、学費に関してはなんとかなる。でもアメリカの大学は授業料が高いらしいので、助けがないと難しい。授業料のローンを組めれば、苦労して卒業までこぎつける可能性があるという状況らしい。

Photo

本当のマイケル君は、こんな顔らしい。こんな顔の身長2mくらいの青年を見たら、失礼ながら私なら怖くて、理屈ぬきに銃を向けたくなる。映画のような穏やかな顔なら話は違うかも知れないが、明らかな才能がないと幸運にはめぐり合えない。あくまで珍しい例。実際のところ家に入れたら、すぐに強盗に早変わりする若者も多いはず。

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