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2010年9月23日

ジャスティス(1979)

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主演 アル・パチーノ

若手弁護士の主人公は正義感に燃えている。無実の罪で投獄されている若者を釈放すべく努力しているが、厳しい判事に拒絶されている。ところが、その判事が起訴され、弁護は主人公が担当することになった・・・

変態趣味の判事、自傷癖の判事、皿を投げて暴れる弁護士など、あまりに個性的な人物が法廷をウロウロしていると、いかに異常な状況かが強調されるが、やや真実味を失いかねない。

この作品は、だからかリアルではなかった。ラストの主人公の熱弁も、確かに熱演だったが、クサい印象を受けた。はっきり言えば失敗作だと思う。何か企画の段階で検討の足りないものがなかったのか?

家族で楽しめる内容とは思えない。若い人なら正義派の主人公に共感できる点も多いとは思うが、恋人といっしょに観て楽しめる内容かどうかは解らない。不快な気持ちにはならないと思うし、退屈もしないとは思う。主人公が危機に陥るので、緊迫感はある。

最初から全体の流れをどうするか決めていなかったのかも知れない。大スターのパチーノが熱弁をふるって正義を貫こうとする姿を映画にしようというコンセプトだけがあったのかも。個性的な脇役で固めれば、ヒットは確実という思惑も当然ありえる。

今でもスターは一連の作品に短期間に集中的に出演する時期がある。そのような契約なんだろう。だから、名作もあれば契約で仕方なく出演したのかと思える作品も見かける。その一種かも。

アクセントをつけるのは老人との会話で、リー・ストラスバーグが老人役を演じていた。この作品の数年後には亡くなっているから本物の老人だが、ちゃんと演じていた。さすが。

法曹界の腐敗、混乱を描く社会派ドラマは多い。頻繁に作られるところをみると、どうやら本当に腐敗はあるようだ。

司法取引というのが、そもそも日本人には理解しがたいが、向こうでは普通にやられている。有罪を認めるから減刑されて、明らかな犯罪者なのに直ぐ釈放・・・怖い気がするが。

裏取引、自分の成功のために汚い手を使うのも日常茶飯事かも。この作品のような露骨な脅迫は少ないと思うが、収入や資格、役職などを餌にした取引はあるはず。その取引に応じない限り、少なくとも成功は望めないのかも。

日本の場合は金銭面での直接の取引は多くないと思うが、特定の会社の顧問を紹介するか否か、退職後の仕事の世話、そんなものは必ず条件になっているはず。情報が特定のルートで流れる、担当の選定に微妙に恣意的な判断が加わるなどは実際にあるはず。

判事が自分の持っている権限を生かして裁くのは、法的には当然のことだ。でも、その判断が正しいかどうかは、特に法的な規制はないと思う。そんなことは誰にも解らないということを前提にしているからだ。後日真実が明らかになった場合に、判断を誤った判事や検察官が処罰されるような規定はない。

真犯人が見つかったから裁判官が減給処分を受けることはない。無罪を勝ち取った人物が映画のように犯罪を犯せば、弁護士は責任を感じるのが当然だが、社会的に明確な対応はないし、法的な処罰はもちろんない。

言い換えれば、司法のやりたい放題だ。そうしないと怖くて起訴や判決などできないから仕方ないのか?評価も必要ないということにはならないはずだが。

映画のような裁定はひどすぎる。でも、ありえることだ。

厚生省の局長を捜査していた大阪地検の主任が、フロッピーを改竄した疑いで21日逮捕されてしまったが、驚くことはない。氷山の一角と思う。検察のエースと目されるためには、自分の描いた筋書きを貫く度胸、執念が必要と考えていたに違いない。

それが検察の仕事の流儀、テクニックという伝統があったはずだ。逮捕された検事個人の問題ではない。上司には連絡が行っていたという報道もあるが、本当だろう。今回は相手が官僚で、友人達に官僚が多いことから、内部で何がやられたかのチェックがはいって判明したに過ぎない。普通の刑事事件などは、警察が勝手に証拠品を置いたり、隠したりしているはずだ。

裁判官、検察官、弁護士などは、仲間うちの評価しかないのが根本的な問題。したがって繰り返すようだが、裁判員が裁判官を選ぶシステムが必要だ。裁判官に判決を出させ、どれが適当か裁判員が選択するのが本来の姿だろう。

警察官の捜査ぶり、検察官の仕事ぶり、弁護の仕方が適当だったか、それを判定できるのは司法関係者の仲間うちでは無理だろう。今回の事件を最高検察庁が捜査するなんて、そもそもナンセンス。

司法に信頼がなければ国力を損なうという自覚が足りない。

 

 

 

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