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2010年8月27日

抱擁のかけら(2009)

- 小道具が巧み  -

盲目の映画監督が主人公。過去を封印するために名前を変えている。彼を世話する製作者の女性、その息子、過去の恋人、富豪らが織りなす愛憎の物語。

ペネロペ・クスルは愛人役として当代ナンバーワンらしい。あらゆる映画で愛人として活躍している。確かに美人でセクシー、表情も派手で、愛に生きる女という雰囲気がプンプンする。下のモニカ・ベルッチ様を完全に追いやった感じ。色っぽさだけでは生き残れないのだろう。

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監督が、これまた愛憎劇専門かと思えるアルモドバル氏。こんな愛の物語と、必ず悲劇があったというストーリーになる。それに喜劇的な味付けをするか、悲劇のままで終わらせるか、希望の灯をともすかの若干の変化をつけながら映画を作っているようだ。

この作品は監督自身の脚本によるらしい。映画の中で主人公達が、いろんな映画のプランを考えるシーンが何度かあった。プランを考えるのは本人も楽しいだろうが、観ている我々も何となく楽しくなる。「ああ、面白いアイディアだな。」というのは、何か希望のような感覚だ。

この映画のラストで、編集作業によってできた映画を「これ面白いよ。」と若者が言うシーンがあった。あの感覚が、この映画を希望をもたらしている。たぶん悲劇を希望につなげることを狙っていたのでは?

テレビのメロドラマでも、延々と悲しい場面が続くばかりでは辛い。時々美しい愛があって、悲劇が襲い、我慢や努力があって、また邪魔がはいり、それに耐えて・・・という色づけが必要だから、メロドラマの原則に従っただけかも知れないが、手際が良かった。

劇中劇で、過去の映画のバージョンを変えるシーンがあった。ペネロペ・クルスともうひとりの女が部屋で麻薬の入ったカバンについて話し合うシーンだが、下手な編集と上手い編集を演じ分けていて感心した。演じ分けが不充分だと何を言いたいのか解らなくなるから、演出と演技の腕の見せ所だった。

写真がバラバラにしてあって、つまり思い出のかけら、抱擁のかけらのタイトルにつながる小道具だったが、大量のかけらを若者が並べるよというセリフにも希望を感じさせるセンスを感じた。

「映像はこのへんか?」と盲目の主人公が聞きながら手を伸ばすのは、ちょっとやりすぎかなと思ったが、美しいシーンだった。あれでラストにしても良かったくらいだ。

さて、この作品を家族で観ることはいかがか?猟奇的殺人シーンのような気持ちの悪いシーンはなかったので、観て悪いとは言えない。でも、小さな子供には全く向かないのは確か。マセガキなら面白いだろうが。

恋人といっしょに観るのは悪くないと思う。基本的には不倫に近い話なんで、夫婦で観るのは良くないかも。奥さん連中が連れ立って観るのは最高のパターン。

高級なメロドラマという印象。メロドラマでは必ず旅をしないといけない。美しい画になる景色の場所へ。そして寂しげな海岸へ。誰かが凧揚げをしていないといけない。でも、ちょっとパターン化された景色だったのでは?

そつのない演出だったのだが、涙を流す大悲劇で感動したとは言えない。大泣きするのは、たぶん女性だけだろうが、全体的には少ないと思える。恋愛劇は、基本的には大泣きさせるべきではないか?

主人公が映画監督というのは、監督の意向が反映されたからだろう。物語を考えるうちに、なぜか主人公は作家か映画監督になる傾向がある。自分の妄想みたいな話を作品にしたがるのである。

アルモドバル、君もか!

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